北朝鮮の人道開発援助の特異性(2)(杉原ひろみ)
(前回のコラム「北朝鮮の人道開発援助の特異性(1)」)
前回のコラムでは、私が現在、行っている北朝鮮の人道・開発援助が極めて特殊で、それゆえ研究、分析を困難にしている4つの点のうち2点を挙げた。今回は、残りの2点について言及してみる。
第三に、これまでの他国の援助と比較して北朝鮮が決定的に異なるのは、これまでの緊急援助、食糧支援で問題となった事柄が、北朝鮮では一度に、しかも極端な形で現れていることだ (リード、2004)。リードは、比較の対象としてエチオピアやカンボジア、イラクでの緊急援助や食糧支援を例に挙げている。エチオピアで起きた1983-1985年の飢饉に国際社会は緊急援助を実施したが、後になって、援助が実は政治目的に利用されてしまっていたことが判明した。カンボジアでは、1979年にポル・ポト政権が崩壊し親ベトナム政権が樹立されたが、援助機関は、多数の国民への援助を実施するのに、カンボジア政府による厳格な監督を受けるという条件を甘受するか、あるいはクメール・ルージュの残党が侵入いるタイ国境付近の難民を支援するのかという、究極の選択をしなければいけない状況に追い込まれた。また、イラクでは、十年にもわたる国連の経済制裁で疲弊したイラクに対して食糧援助を行うことは、サダム・フセインの独裁政権を支援し、強化することになり、イラク国民の苦難を継続させることになっていたと非難された。こうした過去の経験と失敗が、北朝鮮で同時に起きているとリードはいっているのである。そうした北朝鮮の人道・開発援助をどのように分析するのか。答えはなかなか出てこない。
第四に、対北朝鮮援助は国際政治の重要問題と理解されている半面、そのような見方だけでは決して捉えきれないことである。具体的には、国際政治で主流の「安全保障化のパラダイム(Securitization Paradigm)」では北朝鮮の人道政策分析ができない(スミス、2000)。スミスは、英国ウォーウィック大学政治・国際学部で国際関係を専門とする教授だが、これまでWFPやUNICEF、NGOのスタッフとして何度も北朝鮮に滞在しているため、人道援助の実務レベルから国際政治分野までを網羅する論文を執筆している。国際政治は私の専門外なので、人道援助の実務家寄りの論文を読む分には彼女の議論についていけるが、彼女の国際政治面から書かれた論文を読むと頭がしびれてしまう。それを敢えて国際協力の側面から解釈すると、スミスは上記の主流パラダイムでは複雑な北朝鮮政治や急速な変化を把握しきれないと主張している。北朝鮮の現体制の継続か、終焉かを議論するのでなく、歴史的背景を重視し、状況に応じ、道理にかなった分析を行い、朝鮮半島における平和や安定、そして飢餓からの解放に向かって現実的に実証する必要があるとしている。
たしかに結論が二者択一となる議論は楽である。しかし、開発援助の現実はそんなに単純な議論で切り落とせるものではない。歴史・経済・社会・文化などさまざまな要因を総合して考え、そこに暮らす人々の開発を考えなければならず、唯一の答えなど存在しない。間口が広く奥が深いので、それが面白いところであり、また研究を進める上で、困難なところでもある。
(バックナンバー)
参考文献
●Michael Edwards. 1999. Future Positive. London: Earthscan.
●Edward P. Reed. 2004. “Unlikely Partners: Humanitarian Aid Agencies and North Korea”. Ahn Choong-yong, Nicholas Eberstadt, Lee Young-sun (eds.). A New international Engagement Framework for North Korea? – Contending Perspectives. Washington DC: The Korea Economic Institute of America.
●Hazel Smith. 2000. “Bad, Mad, Sad or Rational Actor? Why the ‘Securitization’ Paradigm makes for Poor Policy Analysis of North Korea”. International Affairs Vol.76 Issue 3.


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