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2007年10月14日 (日)

パイロット活動(位田和美)

(前回のコラム「青少年センターにおける現行啓発活動調査」)

任期中の最後の1ヶ月間、腰を据えて1箇所で活動できたことは、非常に実りの多いものであった。というのも、約1ヶ月間の調査中は、各青少年センターにつき3-4日間の日程で、スタッフとの成果分析(不賛成意見多数につき、折り合いに時間がかかる)、地域のキーパーソンへの聞き取り(まず日程調整が至難の業であり、現場へ行かないとアポは取れず、アポは取れても守られるとは限らない)、青少年へのインタビュー(学年末であったがためにアクセスが困難であり、さらに、本音を聞きだすのに時間がかかる)、啓発活動の見学、と盛りだくさんであった。そして、盛りだくさんであるがために、自らのエネルギーを使い切ったにも関わらず、一過性の活動に陥る可能性が否めなかった。実際、調査を終え、配属先である青年省へ中間報告をした際には、先方の賛辞とは裏腹に、人事問題や保健システム不備という根本問題を目にし、私には焦燥感、無力感だけが積もった。

そんな精神状態で臨んだパイロット活動であったが、スタッフとの関係が深まるにつけ、さまざまな内外の課題を抱えつつも、自らの哲学をもってできることから地に足をつけて取り組んでいる、青少年センタースタッフの姿に感銘を受けた。例えば、青少年センターに検査技師を雇用するのが困難であるのならば、出張検査を実施し(日当を出すことができる)、何とかセンターと検査技師とのつながりを保ったり、パートナー援助機関からの資金配当が遅延しているのならば、保健センターが実施するルレ(コミュニティヘルスワーカー)の研修場所を提供することにより、効率よく保健センターやルレとの連携を保っていたり、ITが苦手であれば、隣の青少年局でボランティアをしている人に頼んで手伝ってもらい、月間報告書の義務は(意外にも)きっちりと達成しようとしていたり、等々。これら最低限のセンターの機能を守る努力を見、質の改善は大きな課題ではあるが、なぜ目標に掲げている固定検査数が伸びないのか、ピュアエデュケーターやルレが思うように機能していないのか、を理解することはできた。

そこで、実際の活動としては、フィージビリティに配慮し、①センター長が活かしきれていない人脈を駆使し、また、センターの最大の課題である広報活動を克服すべく、ロビー活動の強化、②ロビー活動をする上で補助となる、広報ツールの作成、③さらなるお金をかけなくても啓発活動ができるよう、IEC技師の部屋に埋もれている「使える」啓発教材の整理・活用、④今までセンター長の感覚で実施してきた活動を客観視すべく、四半期毎の目標設定・掲示、の4つを活動として行った。

この1ヶ月間の活動の最大の成果は、上記①のロビー活動であろう。センター長は、一番はじめに訪れたロビー活動先である市役所にして、青少年センターがその存在以外に、機能や役割等まったく理解されていなかったことを初めて知ったのである(知名度が低いとの調査結果にも、最後まで反対していた)。これまで、何となく日々の付き合いから知られているだろうと踏んでいた青少年センターが知られていなかったという事実に対して、センター長はすぐさま認識を改め、その後、教育委員会、宗教指導者、州議会、軍医務局とロビー活動を重ねていくにつれて、説明型から提案型へ変わっていき、また、各機関が抱える課題をセンター長と共有してくれるようになり、センター長も地域問題のコーディネーターとしての役割をも認識するようになった。

結果として、宗教指導者からの提案により、「イスラムとリプロダクティブヘルス」と題したコンファレンス開催という運びとなった。(2007年10月7日現在、まだ開催はされていません)これは、特定地域での教育現場におけるリプロ教育反対という保守派への対応に困っていた教育委員会のニーズにも応えるテーマであり、また、今まで単独で活動してきた各機関にとっても、連携強化のチャンスである。当コンファレンスが開催されれば、より一層の相乗効果が期待でき、今回介入した青少年センターの活性化にもつながると踏んでいる。

こうして、前半こそ課題の多さ、重さに無力感を感じたものの、何とか改善の糸筋を見出すことができた。もちろん、これで課題がすべて解決した訳ではないし、スタッフの活動継続性はモニタリングしていかなければならない。けれど、今回垣間見させてもらった、現場の人々の背伸びしない、でも希望を失わず、細々と続けるという姿勢が、私自身を現場で働くよう惹きつける最も大きな要因であることを再認識した滞在であった。

以上

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2007年9月14日 (金)

青少年センターにおける現行啓発活動調査(位田和美)

前回のコラム(2度目のセネガル)

前回紹介したHIVエイズ対策VCT(Voluntary Counseling and Testing)統合サービスプロジェクトでは、全国13箇所ある青少年センター中、8箇所を選定し、支援を行っている。私の派遣は、3ヶ月間という短い期間であるため、同時に派遣された短期隊員と2人で手分けして現行啓発活動調査を実施することとなった。結果、私が担当したのは、セネガル東部2州にわたる計4箇所の青少年センターである。

そもそも、青少年センターには、青年省が雇用するコーディネーター、IEC(Information, Education and Communication)技師、それから、某国際機関が雇用支援していたソーシャルアシスタントおよび検査技師が配置されているはずである。私の活動対象である啓発活動は、上記IEC技師を中心に、ピュアエデュケーター、地域啓発員(ルレ)によって実施されていることになっている。しかしながら、2007年1月から調査開始時の2007年6月にいたるまで、ほとんどの青少年センターでは某国際機関との雇用契約の切れたソーシャルアシスタントと検査技師が不在という状況であった。さらに、援助機関がプロジェクトのフェーズ終了に従って手を引いて行く中、開構以来外部依存の強かった青少年センターに資金源が少なくなった現在、青少年センターが報酬を渡して啓発活動を委託していたピュアエデュケーターやルレのセンター離れが強くなっている。このように、調査開始以前から、人材確保という青年省レベルでの組織上の問題に直面していた。しかしながら、現行活動調査自体は、手探りながらも大学院で勉強したフォーマティブリサーチ手法を適用し、各青少年センターにてSWOT分析、質的・量的調査を実施することができた。

上記4箇所の青少年センターを比較した結果、見えてきたのは、まず、当然のことながら、青少年センターとしての人材配置がきちんとされており、それぞれがそれぞれの職務を、プロフェッショナリズムを持って果たしているセンターほど、センターの知名度も高く、VCT受診数、カウンセリング受診数も多く、センターとして機能しているということであった。次に、地域のオピニオンリーダーや医療機関や教育機関等の主要機関との連携が強ければ強いほど、青少年センターの青少年の行動への影響も大きいことがわかった。さらに、啓発活動数や青少年センターの知名度とVCT受診数は必ずしも比例せず、やはり啓発活動の質とコミュニケーション手段の吟味が必須であることが再確認された。

以上から、青少年のVCT受診を含む行動変容には、青少年個人レベルでの啓発、および青少年を取り巻くコミュニケーションを網羅したソーシャルネットワークからの啓発の強化、ならびにオピニオンリーダーをはじめ、地域社会の連帯意識としてのHIVエイズ対策が必要であると言えよう。そこで、青少年センター4箇所の現行啓発活動の各レベルに応じて活動強化のための提案をした。

結果、後半1ヶ月間に介入すべく選定したのは、地域の青少年間での青少年センターの知名度が低く、IEC技師は配置されているけれども、事務所仕事をこなすだけで対外活動に消極的であり、ピュアエデュケーターやルレも機能しておらず、コーディネーターが地域の情報と人脈を豊富に有しているにも関わらず活用していない、つまり、地域のオピニオンリーダーとの連携が希薄な青少年センターである。次回コラムでは、啓発活動能力強化の準備としての青少年センターの広報活動、組織マネジメント強化を中心とした、1ヶ月間のパイロット活動について記したいと思う。

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2007年8月31日 (金)

2度目のセネガル(位田和美)

前回までのコラムでは、青年海外協力隊 村落開発普及員として2年2ヶ月間過ごしたセネガル村落部での活動について書かせていただいた。その後、1年間ワシントンDCの大学院でPublic Healthを勉強した後、2007年5月末に再びセネガルへ降り立った。今回は、3ヶ月間という短期間ではあるが、某援助機関がセネガル青年省および他援助機関と合同で実施している、HIVエイズ対策VCT(Voluntary Counseling and Testing)統合サービスプロジェクトが対象とする、青少年センターにおける啓発活動の強化という名目で派遣された。

上記プロジェクトは、15歳から24歳までの青少年をターゲットと設定し、危険な性行動を取りがちであると言われる青少年におけるVCTサービス受診数を上げ、HIVの低感染率を維持することを目的としている(1)。 本プロジェクトが始まる2005年2月以前には、某国際機関が青少年センターにおけるリプロダクティブヘルスに関するカウンセリングサービス実施支援をしており、本プロジェクトは既存のカウンセリングサービスにVCTという新サービスを統合し、より包括的に青少年の健康を維持向上しようとしている。また、本プロジェクトの醍醐味は、通常VCTというと医療機関で実施し、対象層を動員するのに対し、対象村である青少年の集まる青少年センターにVCTサービスを設置しているところにある(2)。 これにより、性感染症や婚前妊娠というセンシティブな問題を抱え、医療機関で人目につくことを恐れる青少年や、医療機関に支払うお金がない青少年、また、健康であるがためにわざわざ医療機関へ行く必要はないが、感染予防が必要な青少年をカバーすることができている。実際、2007年1月時点で、全国104箇所あるVCTセンター中、上記プロジェクトが対象としている青少年センター8箇所のみで18%のVCT実施という成果を挙げている。

今回のコラムでは、次回以降2度に分けて、①前半2ヶ月間の青少年センターにおける現行啓発活動の調査結果、②後半1ヶ月間の選定した青少年センターでの啓発活動強化パイロット活動について記したい。

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(1)セネガルにおける一般人口のHIV感染率は、サブサハラアフリカ諸国でも低く、0.7%である。ちなみに、一般人口のHIV感染率が1%を超えると、「流行期」に入り、全国に蔓延しやすいと言われている。

(2)青少年センターの有するVCTサービスには、青少年センターでVCTを行う固定検査と、学校へ居住地まで赴く出張検査の2種類がある。

2007年3月 4日 (日)

五嶋節さんの講演を聞いて-子育てから学び、考える-(杉原ひろみ)

2007年2月15日、寒さが厳しいワシントンDCにて、五嶋節さんの講演会が開催された。五嶋節さんと言えば、ニューヨークに暮らし、五嶋みどりと五嶋龍のふたりの子供たちを世界的に有名なバイオリニストに育て上げた母である。その彼女が、二人の子育てを通して学んできたこと、体験してきたことを話してくださったのだ。

私には3歳の一人娘がいるが、子供にバイオリンの英才教育をさせようと思って、そのノウハウを聴きに行ったわけではない。むしろ、同じアメリカ東海岸の地で、マイノリティの日本人として、どうやって子育てをしてきたか、また、二人の子供がアメリカの教育を受けてきたにも関わらず、正しく美しい正しい日本語を話すのを知り、どうやって子供にそのような日本語を教えたのか、そうしたことに興味があったのだ。

実際の五嶋節さんは、自分の意見を忌憚なく言う、ごく普通の関西のおばちゃんという印象で、親しみを感じた。でも、普通の母親と何かが決定的に違う。それは、一つに、自分で自分の人生を開拓する力強さ、二つに、信念を貫き通していること、三つに体験に裏打ちされた自信、四つに子供たちの勉強に関し、音楽を中心に据えながら、歴史や文化、物理などの別の分野にも広がりを持たせ、音楽との関連づけを誘導できるだけのバイタリティと探究心。その四つに尽きると思った。

自分で自分の人生を開拓する力強さについては、私自身、結婚、出産、子育てを通じて、女性こそ、そうしたたくましさが必要だと痛切に感じている。学生時代、そして組織で働いている時は、進むべき道というものが存在した。しかし、女性の場合、結婚、出産、子育てなどを経るにしたがい、そのような定まった道が存在しなくなる。そんな中でどうやって自身の人生を切り開いていくか。これは同時に、いかに信念を貫き通していくかにもつながる。

五嶋節さんは、子供ととことん向き合い、愛情を惜しみなく注ぎ、自分の持つエネルギーを無限に投下し続けても、失敗の繰り返しなのだと言う。彼女は子育てに全力投球をし、そればかりでなく、自分の信じる道をひたすら突き進んでニューヨークに渡り、信念を貫いて子供を二人とも世界的なバイオリニストに育て上げるという実績を作った。それが大きな自信となり、現在の節さんがいるのだろう。

子供たちをバイオリニストに育て上げるだけでなく、自ら考えるという「本当の」勉強をしっかりやらせていたことにも驚いた。「なぜだろう?」「どうしたらそうなるのだろう?」といった素朴な疑問と好奇心を出発点に、物事の本質を追求し、音楽の世界から歴史や文化、物理、心理など別の世界に広がりと奥行きを持たせる教育は、子供に愛情を注ぎ込むだけではできない。親も子供以上に勉強したに違いない。

では、五嶋節さんの話を聞いて、この私はこれからどうしたらいいのか?帰り道、前々日に降った雪が歩道のあちこちに残り、危うく滑りそうになりながら、うなってしまった。

一に、子育てを通じて、親である私がもっと楽しみながら学んでもいいのではないか。娘がアメリカの幼稚園で読んでもらう絵本や、楽しそうな行事一つを取ってみても、そこにはアメリカのみならず、世界の文化や歴史、政治が凝縮されている。そこをもう少し深く掘り下げ、自分自身の見聞を深めるのも楽しい。そして、娘がもう少し大きくなったら、私なりの解釈を、わかりやすい言葉で説明できるようにしたい。

二に、自分が世界を旅し、イギリスで勉強し、アフリカで仕事をしていた時、学んだことや強烈に感じたこと、そして現在の研究生活の中での学びを、ある意味で普遍化し、子育てに還元していってはどうか。子育ては日々の地味な仕事であり、それを自分の仕事や研究とどう絡めていくか。ワシントンDCでは圧倒的なマイノリティである日本人として娘が育つ中で、私がこれまでしてきた仕事や研究を応用させる時がすぐそこに来ているような気がする。

そして三に、逆に子育てから国際協力分野に、何らかの形で再び還元できる方法を考えてはどうか。五嶋節さんが「音楽道場」というNPOを日本で立ち上げたように、私には私なりの方法で、時期を見てフィードバックできないものか。再びアフリカのフィールドに出向いて働くということは、たしかに刺激的だが、だからと言って今、子育てを疎かにしてまでしたいとは思わない。もっと自分の足元に、自分が輝けるものがあるのではないだろうか。それが何なのか、少しずつ考えていきたい。

とまあ、頭で考えてまとめてみたものの、日々の子育ては体力勝負なのである。マイナス10度近い寒さの中でも外で雪遊びをしたいと、玄関のドアをこじ開けようとする娘を見て思った。

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2006年11月27日 (月)

開発援助の側面から見た人道援助(杉原ひろみ)

前回の関連コラム「米国NGOが実施した米朝二国間の人道援助

そもそも「人道援助」と「開発援助」は何がどう違うのか。英国の大学院で開発学を学び、開発援助の側面から実務や研究に就いてきた私には、実は「人道援助」には馴染みが薄かった。それゆえ、米国政府の対北朝鮮援助を研究するようになって初めて、「人道援助」とは何かを考えるようになったと言っても過言ではない。私の知る人道援助研究は、難民や人権問題を扱う国際政治・国際法の研究者や、緊急援助活動を行う実務家が研究論文を発表するケースが多い。そして事例研究として、スーダン、ソマリア、エリトリア、リベリア、コソボ、アフガニスタン、カンボジアなどが取り上げられている。人道援助研究では、これまで開発援助関連の英語文献しか読んで来なかった私にとって、知らない言い回しや専門用語が多く、論文を読むことはかなり苦痛だった。

他方、日本国内で「平和構築」という言葉をよく耳にするようになった。米国の対北朝鮮人道支援について研究にするようになって以来、ずっと平和構築と北朝鮮で何か接点はないのだろうかと考えてきた。「地球に乾杯!NGO」の2006年2月6日付コラムの「北朝鮮の人道・開発援助の特異性(2)」で述べたように、北朝鮮の特異性として、これまでの他国の援助と比較して、緊急援助、食糧支援で問題となった事柄が一度に、しかも極端な形で現れている。そして、対北朝鮮援助は国際政治の重要問題と理解されている半面、国際政治で主流の「安全保障化のパラダイム(Securitization Paradigm)」では北朝鮮の人道政策分析ができない。

北朝鮮では1995年に起きた水害のため、西側諸国を中心に「緊急救援活動」が行われていたが、自然災害がなくなっても慢性的な食糧や医薬品等の不足が続いたため、一部の対北朝鮮支援は緊急援助から開発援助へシフトしていった。そうした中、現場で支援を行う関係者は、人道か開発かといったジレンマに悩まされるようになった経緯がある。北朝鮮のような「脆弱国家」に対する緊急援助から持続的開発への援助に移行を考えるヒントが「平和構築」の一連の議論に隠されていないかと考えたのである。

私は、国レベルで考える安全保障などマクロな国際政治分野からだけでは片付けられない国内・地域固有の問題が多く、そこを紐解き、解決していかないかぎり、「複雑な政治的危機」(Complex Political Emergencies)は解決できないのではないかと考える。そうした考え方は、開発、中でも農村開発の基本であり、それを応用した援助手法が主流になってきている。しかし、国際政治や国際法研究をざっと読み解くと、そうした視点から書かれたものが皆無と言ってもいい。そんなとき、開発援助の視点から研究をしているデイビッド・ヒューム(David Hulme)らが書いた論文が目に留まったのである。彼らは紛争解決・平和構築研究と開発政策研究の両者の分野を見事に橋渡ししていた。

デイビッド・ヒュームは、1990年代初頭にマイケル・エドワーズ等と「政府とNGOの関係」について研究していた英国マンチェスター大学教授である。その後、1997年から2年間、英国リサーチ・研修NGO「INTRAC」のジョナサン・グッドハンド(Jonathan Goodhand)等と、DFID(英国国際開発省)などの予算で、平和構築と、そこでのNGOの役割について研究し、ワーキングペーパーを12本、DFID向けに執筆している。また、一部が論文としてThird World Quarterly(1999年2月号)という開発分野で有名な学術誌に特集で掲載された。それ以降、開発分野において「複雑な政治的危機」(Complex Political Emergencies)という用語とその概念が定着したと言える。同時期に、デンマーク国際学研究所(CDR)において、ジョアキム・グンデル(Joakim Gundel)が文献調査を実施し、ワーキングペーパーにおいて人道援助の潮流を詳しく書いている。

DFIDへ提出されたワーキングペーパーを読むと、ヒュームとグッドハンドは「紛争の原因分析をする際、国際・国レベルの分析ではなく、コミュニティ・レベルの分析を試みる。その理由として、紛争は各々、異なる力関係、構造、アクター、信仰、不平不満などを背景にしている。そして、喜怒哀楽などの感情や、知性・理性など、コミュニティが持つ心が紛争と密接に結びついている。」としている。私はその考えに共感し、私の米国の対北朝鮮人道援助研究の基本姿勢がようやく見つかったような気になった。

参考文献:
●Goodhand, J. and Hulme, D. (1997) ‘NGOs and Peace Building in Complex Political Emergencies: an Introduction’, Peace Building and Complex Political Emergencies Working Papers No1, IDPM, University of Manchester.
●Hulme, D. and Goodhand, J. (2000) ‘NGOs and Peace Building in Complex Political Emergencies: Final Report to the Department for International Development’, Peace Building and Complex Political Emergencies Working Papers No12, IDPM, University of Manchester.
●Goodhand, J. and Hulme, D. (1999) ‘From Wars to Complex Political Emergencies: Understanding Conflict and Peace Building in the New World Disorder”, Third World Quarterly Vol20, No1, pp13-26.
●Gundel, J. (1999) ‘Humanitarian Assistance: Breaking the Waves of Complex Political Emergencies – A Literature Survey’, CDR Working Paper, Centre for Development Research.

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2006年9月25日 (月)

千羽鶴と日本文化(杉原ひろみ)

(前回のコラム「「フューチャー・ポジティブ」を翻訳して(1)」)

「Bさんが発作を起こして倒れ、今、病院のICUにいる!」

運営委員の一人として所属する国際女性グループの幹事メーリングリストで一報が流れたのは、つい一ヶ月前の事である。このグループは、主に外国人(出身国は40カ国に近い)としてアメリカに暮らし、小さな子供の育児に奮闘している女性、約100名からなる。Bさんはそのグループの代表だ。ビジネスとボランティア双方のマインドをバランスよく持ち、緩やかなリーダーシップを発揮する彼女に私は一目置いていた。出身国はトルコだが、年齢も同じで、初めての外国生活を留学生としてイギリスでスタートさせたのも一緒、そして何より同じ月齢の子供を持つ同士として親近感を抱いていた。しかし、普段はお互いに忙しく、なかなかゆっくり話をする時間がなかった。9月に入り、お互いの子供が幼稚園に通うようになったら、彼女を我が家に呼んで、お茶でも飲みながら、自分自身の人生を語り合いたいと思っていたその矢先、Bさんが突然、倒れてしまった。

「この私に一体、何ができるだろう?」

彼女の病状を伝える情報が運営委員内に流れるや、病状の補足説明、今後のリハビリ、米国民間医療保険制度、米国の公的社会福祉や生活保護の盲点など、溢れんばかりの情報がメール上で飛び交った。もうすぐアメリカに来て6年が過ぎるのに、自分がいかに外国人としてお客様気分でのうのうと暮らしていたか反省した。同時に、開発援助分野に詳しくとも、人生を生き抜くのに全く役に立たない自分の無力さを思い知り、落胆した。自分に出来ることがあまりにない。

日本を離れて12年。イギリス、ジンバブエ、アメリカと移り住んできた。どの国に暮らしていても、口ばかり達者で理論的でも、実際に行動に移し、最後まで責任を持ってきちんとやり遂げる人が少ないことに、苛立ちとストレスを感じることが多かった。日本人として生まれ育つ中で培ってきた日本人気質と相手を思いやる心を、何とか彼女に伝えたい、彼女なら私の思いが通じるはずだ。気付けば、娘のお道具箱から折り紙をかき集め、千羽鶴を作るための鶴を折り始めていた。

その後、9人の日本人会員から賛同を得て、みんなと一緒に千羽鶴を黙々と折り続け、最終的には2週間という短期間に千羽鶴を作り上げることに成功した。千羽鶴の大きさは140センチ、重さは1.3キロにもなった。

実は私は、千羽鶴は折ったことがなかった。しかし、今回、友人の快復を祈願して千羽鶴を折ってみて、日本文化を再発見できた。言葉による励ましではなく、日本、そして東アジアの伝統に根付いたものをアートにして祈りにつなげる文化、1000羽という鶴を折る間に相手のことを考え、思いやる心、それを形に示す文化など。

外国で日本人として暮らしていると「イエス、ノーがはっきりしない!」「結論は何なの?もっと論理的に話してよ。」「あなたは何をしたいの?」「日本人はリーダーシップが発揮できない。」「日本人は存在感がない。」「日本人はボランティアをしない。」など言われる。そのせいか日本人である私は、常に萎縮していた。

でもそれは違う。日本文化は欧米の発想とは全く異なるから、彼らにはわかりづらいだけなのだ。欧米で美徳とすることが日本ではよくないこととみなされることもある。またその反対もある。どうやって欧米人の思考回路に合わせて日本文化を説明していくか。そして彼らの心にじわじわと響かせるか。そのためには、日本の文化伝統を学び直し、自分の頭で考え、言葉や形にして表現する訓練が必要である。

Bさんの一日も早い快復を祈りながら、日本文化について考えさせられた。

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2006年8月28日 (月)

青年海外協力隊の役割(位田和美)

(前回のコラム「人々の中のNGO」)

今回は、数あるフィールド・ポストの中でも、まさに「草の根レベルで」「住民と共に」活動する青年海外協力隊の役割を個人的観点から記したい。

前回のコラムでは、NGOが住民の生活に必要な公共サービスをも提供していることを記した。そして、それらのサービスは成果を挙げている場合が多く、私の赴任地に限って述べると、地方政府からの信頼も非常に厚い。

私は、赴任当初からNGOをはじめとする援助団体の活動地域・分野を把握することに努力を払ってきた。というのも、青年海外協力隊の常として、地方政府に配属はされているものの、具体的なTORも活動制約もなく、地方政府のリソースを活用しつつ、独自の活動を展開することが可能であるからである。つまり、自身の役割を認識した上で、赴任地における地方開発支援活動の住み分けによる相乗効果を図ろうとしたのである。

結論から言うと、地方開発における協力隊の役割は主に2つあると思う。

第一には、住民との対話や自身による観察を通して、村の現状(例えば、住民の課題は何か、現在行われている各種プロジェクトのその後がどうなっているか)を情報整理し、関係機関に伝えること。

青年海外協力隊の活動は、非常に限られた地域に限定されることが多い。しかしながら、それを逆手に取り、当該地域の情報を包括的かつ詳細に集めることが可能である。NGOはその規模が大きければ大きいほど、プロジェクト開始後の個別フォローアップが甘いことがある。当然、プロジェクトの中間評価や最終評価は行われているのであるが、それら評価システムから漏れるものも多いのである。そこで、軌道修正可能な時点で活動提案も含めた現状報告をするのが有効である。小回りが効き、ある程度客観的な視点を持った協力隊の情報提供は実際、重宝されることが多かった。

もうひとつの役割は、新しい付加価値を生み出すことである。協力隊は、言わば異文化から来ているため、地域に根付いている人々の気づかないポイントを発見することができることもあるであろう。

例えば、私の任期中、関係機関に最も評価されたもののひとつに、「掲示版」の定着が挙げられる。掲示版は日本では身近な広報ツールであるが、セネガルではあまり一般的ではない。しかしながら、その効果は絶大であることは村の各種行事の中で証明された。自身の今までの経験と村の情報を有機的に結びつけ、さまざまな提案をしていくと、互いの情報交換も進み、理解も深まったと感じている。

2年2ヶ月のセネガルでの活動を終了した今、協力隊というのは、本当に住民の生活に密着した活動を展開できる事業である、とより一層感じている。物理的には、非常にミクロな視点に限られてはいるものの、一定地域全体の課題を鳥瞰することができ、また、その原因を住民の生活観を持って感じ取ることができるのである。住民と心を通い合わせることができるという意味において最もダイナミックで面白い職業ではないか、とひそかに自負している。

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2006年8月21日 (月)

「フューチャー・ポジティブ」を翻訳して(1)(杉原ひろみ)

2006年7月23日朝6時過ぎ、3歳の娘に起こされて一日が始まった。でもその日はいつもの朝とは違った。緊張しながら日本の実家の郵便ポストから新聞を受け取ったのだ。その数日前、出版社の編集者から連絡が来て、朝日新聞書評欄に、「地球に乾杯!NGO」執筆者の仲間と共同翻訳した本「フューチャー・ポジティブ」が取り上げられると聞いたからだ。

「うわー、本当に私たちが一生懸命に手がけた本が写真入りで紹介されている。しかも、伝えたかったメッセージが評者にちゃんと伝わっている!!」

前月にも、フジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞社2006年6月19日付)で書評が掲載されたが、朝日新聞という全国紙で、しかも写真入りで取り上げられるとは考えてもみなかった。仲間と一緒に手がけた翻訳が印刷され、ハードカバーの本として出来上がっただけでも嬉しかったのに。5年分のやる気をもらった気がした。

今回のコラムでは、私個人の「フューチャー・ポジティブ」翻訳動機について書いてみる。

「開発援助って本当に必要なの?」

自分自身が国際協力の実務界から距離を置くようになって初めて、真剣に業界外の人の声に耳を傾けるようになった。私の友達には、国際問題に関心を持ち、問題意識の高い仲間も多いし、実際にプチ・ボランティアを私生活で行っている仲間もいる。彼女らにはちゃんと考える頭がある。その彼女らの懐疑的な問いかけは私の心に深く突き刺さった。

開発援助の担い手が集まる勉強会で、どうしたら幅広い国民から共感を生む援助ができるか議論される時、必ず「メディア」をどうやって巻き込むかが話題に挙がる。かつてワシントンDC開発フォーラムのBBLでもそうしたことが話題になった。

しかし、「メディア」の一つの新聞だが、開発援助関連では、汚職や談合といった事件記事か、熱血ヒーロー的な人物を取り上げた情熱的な記事がほとんどで、開発援助とは何か、なぜ国際協力が必要なのか、といった根本的な問いに対し、真っ向から答えた読み応えのある記事が少ないという印象を受ける。

開発援助を担う政府や国際機関も広報の一環で開発援助紹介をしているが、それはあくまでも紹介記事に過ぎず、貧しい国のA村に対し、私たちの機関はこんなプロジェクトを実施して成功しました、といった美談が多い。しかし援助の現場では美談など少ない。むしろ泥臭く、失敗の連続である。そうした泥臭い一面を紹介した方がよほど彼女らの疑問に対する答えのヒントを与えることになるのだが、広報である以上、それは難しい。

さらに、草の根レベルの開発支援は、労力投下のわりに予算消化が出来ず、また裨益住民の数も少ないなど、援助する側の勝手な理由もあり、実際の政府開発援助全体に占める割合は微々たるものに過ぎない。それなのに、一般の広報では、そうした草の根レベルの支援プロジェクトが大きく取り上げられるという矛盾もある。それ自体は悪いことではない。しかし、草の根レベルのプロジェクトと、新聞で掲載される大型プロジェクトの汚職や談合事件との接点が全く見えてこない。

そんな中、経済学者が書くような経済開発一辺倒の議論でもなければ、社会開発学者が主張するような「木を見て森を見ず」的なミクロな議論でもない、一般の人にもわかるような書物があってもいいじゃないか。そう思うようになったのだ。そんなとき、「フューチャー・ポジティブ」の翻訳出版の話がわいてきたのである。

「速い方がよい、大きいほうがよい、そして速くて大きいのがベストであるという前提が正しければ、十分な数のプロジェクトがあれば世界の貧困問題は解決できるだろう。しかし開発という「ぬかるみ」においては、これらの前提は通用しない。重要なのは、人々がこのぬかるみを通り抜ける方法を探し出す力であり、人々が自分たちではできないことを実現させる組織・制度の存在である。」(pp.105より抜粋)

この本は、開発援助の歴史や問題点を綴った上で、個人個人が、そして組織が何をすべきかを示唆し、「援助する側がまず自らを変えること」を何より強調しているのである。

マイケル・エドワーズ著「フューチャー・ポジティブ -開発援助の大転換ー」(日本評論社)

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2006年7月24日 (月)

「フューチャー・ポジティブ-開発援助の大転換-」書評

「地球に乾杯!NGO」コラム執筆者が参加した翻訳本「フューチャー・ポジティブ-開発援助の大転換-」が、フジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞社)と、朝日新聞で書評されました。

●フジサンケイビジネスアイ(2006年6月19日付)
国際社会の貧困やテロリズムに立ち向かうための、国家・企業・市民が連携した「グローバル・ガバナンス」的アプローチが期待される中で、あるべき国際支援とは何か、これまでに見えてこなかった姿が見えてくる、と評しています。
http://www.business-i.jp/news/book-page/debut/200606190010o.nwc

●朝日新聞(2006年7月23日付)評者:酒井啓子(東京外国語大学教授)
国際援助は、他者への施しという優越感を払拭することによって初めて「他者を適切な形で助けることができる」という原著者の意見に賛同し、個人個人が、自分の立ち位置で何が出来るか考えることが必要だと述べています。
http://book.asahi.com/review/TKY200607250384.html

アマゾンへのリンク:
マイケル・エドワーズ著「フューチャー・ポジティブ 開発援助の大転換

2006年7月 3日 (月)

ビル・ゲイツの国際開発への参入(畑島宏之)

マイクロソフト社の創業者の一人であり、IT産業の立役者、有名人かつ億万長者であるビル・ゲイツ、マイクロソフト社会長が、2009年に同社の経営から引退し、夫婦で「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」の運営に専念すると発表した。

このニュースはよく「マイクロソフトがグーグルのような新興勢力に押されている、世代交代」などとして、あたかもビル・ゲイツが隠居するような印象を与えている。

しかし、国際開発業界に身を置く私は、わくわくした。ビル・ゲイツが私の業界に「転職」してくるのだ。また、このことはこれまでの有名人の途上国開発問題への取り組みと大きく異なり、まさしく新時代を示す重要な出来事だと思う。

ゲイツ財団は、コンピューターの配布などのCSR活動を行っているマイクロソフト社とは異なり、世界の保健医療分野を重点に援助する極めて明確なターゲティングを行っている財団だ。

このニュースに私が注目した点は二つある。

第一は、「ゲイツ財団」の規模で、この額は「援助」のイメージを変えるインパクトがある点だ。

途上国に流れる資金を見ると、現在、ODA(政府開発援助)は実はわずかなものになってしまっている。民間資金(投資や融資)は、ODAの3倍を超え、ODAは資金フローの主流と言えなくなってきている。また、かつてODAで行われていたインフラ投資(交通や発電などの基幹インフラ)は民間主導で行われることが多くなってきた。私がこの間出張で行ったバンコクのスカイトレイン(高架鉄道)は民間資金によるものだ。アフリカを席捲している携帯電話も民間投資によるものだ。

反面、公的援助機関は正直言って「シブイ」状況にある。ODAは税金でまかなわれているため、財政再建下の日本では増額に対して理解を得るのは難しい。さらに、国連の緊縮予算や世銀の予算凍結など、国際機関でも予算増額がなかなか認められない状況が続いている。

その中でこのニュースは、民間財団が、国連や公的援助機関に匹敵する財力を持って参入してきたことになる。また、さらなる資金集めにつながっていくようだ。実際、アメリカの「投資の神様」として有名なウォーレン・バフェット氏は財団に307億ドルを寄付すると発表した。その寄付により、ゲイツ財団全体での年間援助額は少なくとも28億ドルとなる(1)。これはカナダやイタリア、年間ODA額が2004年度第7位のスウェーデンを上回る。また、日本の年間ODAの三分の一弱に相当する。これまでもゲイツ財団は保健医療分野に年間8億ドル援助してきたが、これはWHOの年間予算と引けを取らない。

非ODA援助は日本でも地味ながら見られるようになってきた。私が以前、カナダの評価研修で会ったフィリピンの環境関連省庁の人は「日本の援助を受けて植林事業を行っている」と言っていたが、詳しく聞いてみるとODAではなく、スーパー大手イトーヨーカドーからの資金で行っているとのことだった。民間企業のCSR活動も国際協力活動として重要になってきた。

二つ目に、ビル・ゲイツの参入は、これまであった「セレブ」の国際協力活動への参加と異なることだ。ダイアナ妃やU2のボノ氏、黒柳徹子さんの国際協力活動はメディアの注目を集め、世間の関心や寄付金を集めることに貢献した。しかし、このビル・ゲイツの参入はそれとは異なる。ゲイツ氏自らが企業家としてビジネスを起こし、育てた経験を持っている。また自らが潤沢な資金を持ち、実際に資金を持って活動していくことができるのだ。ゲイツ氏はまだ若い。資金だけでなく経営手腕やアイディアも持って国際開発の分野に登場して新風を巻き起こして欲しい。

援助=公的なODAではなくなり、個人、企業、民間団体、ODAなど多様なアクターが、それぞれの資金、利害と意識で援助活動を行うようになってきた。援助は「公的援助機関」の独占物ではなくなってきた。このビルゲイツの引退のニュースはその時代を象徴する出来事のように思えた。

そして、そのような状況の中、開発ワーカーはどうあるべきか。私たちが訳したマイケル・エドワーズ著「フューチャー・ポジティブ 開発援助の大転換」をぜひお読みください。
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(注1)米国NPOの規制により、毎年最低でも基金の5%に当たる金額を活動に支出しなければいけないとなっているため。(出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Gates_Foundation

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