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2004年4月

2004年4月18日 (日)

NGOの多様性 (杉原 ひろみ)

(前回のコラム「ドナーの事情と農村開発プロジェクト支援」)

最近、一般的なNGOについての議論は聞かれるようになったが、等身大のNGOの姿から語られているように思えない。今の日本のNGOに関する議論で必要なのは(1)NGOの多様性の理解、(2)NGOは国際協力における主要かつ重要なプレーヤーであることの認識、の2点ではないだろうか。そこで、当ウェブサイトで他の執筆者が多数寄稿してくれたコラムを元に、NGOの多様性についてまとめる。

 私も含め、人間はとかく得体の知れない人や組織に出会うと、既存の硬直したカテゴリーでくくることで、ひとまずほっとすることが多い。しかし既存のカテゴリーに収まり切らないのがNGOである。NGOの多様性を示すものとして、「人」と「場所」の移動がある。

●人の移動の多様性
 
 現在、日本は雇用システムや形態が変わりつつあるとは言え、ひとつの組織に長期間勤務するのが慣例で、NGO←→政府系・国際機関、NGO←→民間企業、NGO←→アカデミック、など自分のキャリア形成に応じて組織間の移動を自由に行える社会環境が整備されていない。

 しかし国際協力の現場では、人は組織や場所を超え、仕事とキャリアを求めて移動している。例えば松尾氏コラム「原色でNGOを見て」によれば、BRACの若手スタッフの中には、開発分野でキャリアを積むためのエントリーポイントとしてBRACで働いている。実際、上岡氏コラム「ペルーで考え、急遽心はバングラディッシュへ」を読むと、BRACで培ったスキルとキャリアを売りにアメリカの教育系NGO「World Learning」に転職したバングラデシュ人もいる。また、廣光氏コラム「NGO『Forest Trends』 設立の経緯」によれば、世界銀行やUSAID、米国系財団に勤務していた者が環境系NGO「Forest Trends」を設立している。開発途上国の現場では、杉原コラム「南から見た北のNGO」でも触れているが、北のNGOの途上国事務所に勤務していた女性が、開発援助機関に転職するケースもある。さらに、マイケル・エドワーズ(彼の著書"Future Positive" の邦訳は、現在、仲間と翻訳出版を手がけており、2004年11月日本評論社より刊行予定)のように、OXFAMやSave the Children UKに勤めた後、世界銀行を経てフォード財団に移った者もいれば、国際NGOのTransparency Internationalの創設者の一人、Frank Vogleも世界銀行職員であった。

 こうした例だけでもわかるように、人は「南のNGOから北のNGOへ」「開発援助機関から北のNGOへ」「南にある北のNGOから開発援助機関へ」と移動しており、「この人はNGOの人」「あの人は援助する側の人」といったカテゴリーで人をくくることは出来ない。

●場所の移動の多様性

 NGOは、人だけでなく場所の移動も行っている。例えば、黒田氏コラム「アクションエイド(ActionAid)」によれば、英国NGOアクションエイドは北の国のNGOをやめようと、本部を英国から南アフリカ共和国に移すという計画が近い将来実現するらしい。また、杉原コラム「クミ・ナイドゥの講演の意義(1)-世界銀行における「市民社会」の位置付け-」にあるが、世界110カ国、600を超えるネットワークと団体が会員となり、世界規模の市民社会と参加型民主主義を強化するために活動しているCIVICUSの場合、かつて本拠地がワシントンDCであったが、安価なオフィス賃貸料と安い給与でも優秀な人材が集まる(物価が安い)こと等を理由に、南アに本拠地を移している。

 さらに開発途上国で生まれたNGOが力をつけ、自国で経験した活動を他の開発途上国で生かし、活動を展開することもある。下澤氏コラム「北のNGOと南のNGOのあいまいな境界線」によると、前述のバングラデシュのNGO・BRACは、活動の場をバングラデシュだけでなくアフガニスタンに広げている。

 資金面の事情からオフィスを多数設ける場合もある。例えば、ある米国の緊急援助関連NGOは事務所をワシントンDCだけでなくブリュッセルにも設けている。その理由として、(1)米国だけでなくEU、ヨーロッパ各政府から資金協力を得ており、「特定の国・地域に属するNGOへの支援」と言ったドナー側の条件を満たすため、(2)税法上の問題、を挙げている。

 こうしたNGOにおける場所の移動の多様性を見ても、NGOを「国」や「北か南か」といったカテゴリーでくくることは出来なくなっている。

 以上、NGOの多様性を示す具体例として、「人の移動」「場所の移動」を挙げたが、これはNGOの特徴である機動力のよさの結果とも言える。こうしたNGOの多様性を理解し、発想の転換をはかって柔軟なものの見方、考え方を国際協力に関わるすべてのアクターが行う必要があるのではないだろうか。

その他関連コラム:
・ 杉原ひろみ「NGOが果たす役割は残されているか-ウェブサイトコラム『地球に乾杯!NGO』から見えてくることー」(国際開発ジャーナル2003年7月号)
・ 杉原ひろみ「グローバル社会におけるNGOの役割-開発援助問題から発展して‐」(ワシントン日本商工会会報2003年4月号、No.353)

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2004年4月11日 (日)

原色でNGOを見て (松尾 沢子)

 以前JICAの実務でNGOと関わっていたときは、一つ一つの団体と付き合うというより、本邦のNGOセクター全体を相手に新しい事業を立ち上げていたので、NGO内部事情や個々人の生の意見というものにはさほど触れる機会がなかった。

またロンドン大学でNGOマネジメントの修士課程を履修していたときも、NGO出身のクラスメイトと互いの経験を話し合ったが、お互いの現場を実際にみていないので、なんとなく分かったような気になって一年が過ぎてしまった感がある。

そんな私にとって今回バングラデシュNGOのBRACでインターンをするということを決めたとき、一番楽しみだったのはこの有名なNGOで実際に働いている人と出会えるということだった。実際に現場で働いているNGOスタッフと日常的に話をし、彼らがどんなことを考えながら暮らしかつBRACで働いているかを垣間見ることは、いわば白黒の無声映画を音声付カラー映像でみるような経験である。つまりそれまでは文献を通じて役者が何をしているのかは理解できても、実際の役者(BRACスタッフ)の声を聞き、彼らが立ち回るセット(バングラデシュ)をありのままの姿で見ることがなかったからだ。

バングラデシュでは初対面の人との会話は往々にして兄弟姉妹の数、既婚・未婚、出身地から始まる。私も昨年秋に当地にきてから数えられないくらいこのやり取りをして、今は聞かれる前から話してしまうこともある。最初はこのやり取りが苦痛だったが、ある時からこれはBRACスタッフなりその他NGO関係者のことを知るのに使えると気づき、逆にこちらから出身地や両親の仕事、兄弟姉妹の就職状況、NGOで働いていることに対する親戚内の意見などを根掘り葉掘り聞くようになった。

 きちんと集計はとっていないが、私がよく話をするBRAC歴10年以上の層の傾向として、教育関係に従事する両親を持つ人が多い、土地持ち、長男長女は少ない、夫婦共働きが多い(ダッカの本部の場合。地方事務所ではあまり聞かなかった)といったことがあげられる。

 兄弟皆NGO勤務というケースもあれば、金にならないNGO勤めをビジネスマンの兄弟に笑われている人もいる。総じてみな子供の教育に熱心で、自分自身も機会があれば留学したいので、とりあえず日本に行く方法を教えてくれと聞いてくる。多くのNGOスタッフと同じく職場では政治の話はしたがらず、昨今の政党政治の激化については諦観している模様。

 見聞きするにつれ、これらの個別の「色」の下にはBRACへの就職動機という下塗りの色があることも見えてきた。彼ら自身は貧困層の出身ではなく、自らの状況を変えるというよりも、バングラデシュ独立後の社会の発展に貢献したいという意欲を持ち、硬直した政府機関よりもBRACを選んだ人々のようだ。昔は修士を持っている人を採用する傾向が強かったことを反映して、海外留学は稀であってもみな高学歴で、個人間で程度の差はあれ、社会規範を守り、男女平等や環境配慮といった現代国際社会の常識を実践しようという気持ちがある人々の集まりのように見受けられる。

 他方、若い世代は違ったタイプの「色」を持っている。一つのキャリア形成の手段としてBRACへの就職を割り切っていて、実際数年後にやめていく。BRACがバングラデシュ社会から優良就職先として認知されていること、また海外の組織でも通用するネームバリューに魅かれて、開発関係に限らず国際的に働きたい彼らの多くは履歴書に「BRAC勤務経験あり」と書けることを喜んでいる。

 また世代を問わず、結局は自分の地域の開発に直接関わりたいとBRACを退職してNGOを立ち上げる人もいれば、BRACという大組織の中でしかれたレールの上を走るだけでは自己実現が難しいからと、地方の中規模NGOへ転職する人もいたりとBRACとの関わり方は十人十色である。

 どのようにこれらの違った色は作られるのか。BRACという組織のなかでこれらの色が油絵のように重ねて塗られることで、既存の体制を覆い隠す新しい構図が生まれるのか。こんな問いかけが関係者と話すにつれ、組織体としてのBRACの今後について生まれてきた。また、より広く諸外国のNGOで働く人々のもつ色と描かれる絵と、日本の場合との比較研究も、市民参加を推進するJICA職員として、また私個人の関心として、取り組んでみたいとも考え始めている。

筆者は休職中JICA職員。当コラムは発表者個人の見解であり、所属先の立場を述べたものではない。筆者プロフィール

2004年4月 4日 (日)

コミュニティと住民参加 -プロジェクト実施にあたって再考してみると(1)-(上岡 直子)

(前回のコラム「グァテマラの先住民が開発したコンピューター教材」)
 コミュニティを開発の主要対象にし、プロジェクト活動に住民参加を推進すること…これは、NGOが長年手がけてきたことであり、近年は政府や国際開発機関もその重要性を認識し、NGOや地方政府と連携して、この開発形態を推し進めようとしている。しかし、実際に自分がプロジェクトを、コミュニティ対象・住民主導を看板に掲げながら実施してみると、これで果たしてコミュニティや住民主体の開発と言い切っていいものか、疑問が湧いてくる場合が少なくない。最近、グァテマラのプロジェクトに関して、この点をまた新たに考えさせられた。

 私がWorld Learningで担当しているグァテマラ二言語教育プロジェクトは、グァテマラの中でも先住民の人口の割合が高い、キチェ県の数百のコミュニティを対象にしており、住民参加をプロジェクトの基調のひとつにおいている。というのは、先住民の母語であるマヤ語や、第二言語としてのスペイン語の教授方法を、教員養成を通じて強化し、二言語による教材を開発して学校に配布しても、生徒の父母が子供の教育に無関心だったり、子供を学校に送らなければ、学校教育向上にも限界があると判断するからである。それに、同プロジェクトに関しては、プロジェクト効果を挙げるに当たり、父母に教育の重要さ認識し子供の教育を支援してもらうことが大切であるほかに、二言語教育に関する正しい理解を深めてもらうことも、重要な点である。というのは、五年前のプロジェクト開始時に行った対象コミュニティの父兄からの聞き取り調査においては、一般的に先住民の父母達は、自分の師弟が自分達自身の言語を習得することに関心がなかったり、反対であった。というのは、父母の多くが、自分達の言語に劣等意識があったり無用だと見なしていた。将来子供たちが良い経済的機会を追求るにあたっては、スペイン語を習得することが一義的であり、もし二言語教育であったら、スペイン語と平行し、マヤの言語の代わりに英語を教えて欲しいという意見が、多数だったのである。しかしキチェ県を含むグァテマラ農村部においては、先住民の子供たちは、小学校の授業が、自分達の母語であるマヤ語でなくスペイン語で教授されているために、授業内容が理解できず、しまいにドロップアウトしていくのが一般的な現状である。

 そこでまず同プロジェクトは、既存の父母会を通じて、教育の重要さや二言語教育の理解を深める目的で対話を図った。マヤ語とスペイン語における二言語教育が、子供たちの学習効果を上げるのにいかに必須であり、それにより退学率も減る可能性があること。また、子供達の母語であるマヤを最初きちんと習得することが、第二言語のスペイン語の習得にも役立つこと、などに関する会話が、父母会のメンバーたちと定期的に交わされた。その結果もあり、プロジェクトが対象としているコミュニティにおいては、父母会が二言語教育を支援し、マヤの言語が話せる教師を学校にあてがってくれるよう県の教育局にかけあったりするまでになった。私が昨年の十月に対象学校の幾つかを訪れた時も、プロジェクトが父母会の要請を受けて、学校の教科内容に関する父母会の希望をまとめ、教師と討議するプロセスを手伝っていたところであった。子供たちにまず教えて欲しい教科内容として真っ先に父母会のメンバーがあげたことがらも、マヤ語の基礎能力やマヤの生活習慣・文化・伝統だった。五年前には考えられなかったことである。

 しかし、去年の暮れに実施した評価調査において、プロジェクトの対象学校において、就学率や学校終了率の向上や、ドロップアウト率の低下が、特に見られないという結果が出てしまった。これは、二言語教育が教育の効率性を上げるという推定を押し出して実施していたプロジェクト関係者には、ショッキングな結果であった。もちろん、プロジェクトの達成度をこのような数量的な指標で判断するのは、あまり意味がないことかもしれない。また、これらの指標は、外的な様々な要因(例えばコミュニティの社会・経済状況の変動など)に大きく左右されるため、プロジェクトの介入だけの問題ではない。実際にプロジェクトは、定性分析を含めた様々な指標を定めて、プロジェクト効果をモニターしでいる。

 しかし、ここで思い出されたのが、私が最近読んだ、London School of Economicsの博士課程の学生、Jo de BerryによるNGOのコミュニティ・ベースの活動にかかるペーバーである。彼女曰く、”the concept of community as used in NGO policy is weakened by the assumption that community inspired action will be beneficial to all.”(Exploring the concept of community: implications for NGO management, Jo de Berry, CVO International Working Paper Number 8, 1999. Center for Civil Society, London School of Economics).

 そこで、次回の私のコラムでは、Jo de Berryのペーパーを基に、グァテマラの二言語プジェクトが、既存の父母会を通じて行ってきた住民参加活動と、そのコミュニティ全体にかかる影響を、多少掘り下げてみたいと思う。
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