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2004年5月30日 (日)

コミュニティと住民参加-プロジェクト実施にあたって再考してみると(2)-(上岡 直子)

 前回のコラムでは、World Learningのグァテマラ二言語教育のプロジェクトが、住民参加を活動の重要な一部としてプロジェクトを実施したことにより、父母会のメンバー達が二言語教育の重要性を理解し、子供たちの教育を積極的に支持するまでになった。しかしそれにもかかわらず、昨年末の評価調査では、ドロップアウトの減少、就学率向上というようなデータに、特別な変化が見られなかった、ということを述べた。プロジェクト期間が短ければすぐ数字に反映されるのが難しいのはわかるが、当プロジェクトは、すでに五年も実施している。このような定量的指標は、プロジェクト以外の外的要因にも左右されるので、これだけでプロジェクトの達成度を測るのは適当でないことは承知している。

 しかし、ここで次の疑問が沸いてきた。住民の参加を促すにあたって、父母会を対象に会話をもち、そのメンバー達の教育に対する意識改善・行動をおこすことを助けてきたが、その効果は父母会の活動に積極的に参加してきた人々に留まり、他の父母達が教育に対する理解や関心を特に高めたわけではなく、その理由もあって、コミュニティ全体の学校教育の底上げにならなかったのではないか。

 通常World Learningが教育プロジェクトを実施する際は、コミュニティにすでに存在する父母会を活用し、それを対象に住民参加を図る。しかし、前回のコラムで言及したJo de Berryは、その“Exploring the concept of community: implications for NGO management” ( CVO International Working Paper Number 8, 1999. Center for Civil Society, London School of Economics )というペーパーにおいて、NGOが既存の住民組織を通じて、コミュニティ・ベースの活動を行う際に、注意すべき点を幾つか指摘しており、そのひとつが以下である。

 既存の住民組織は、コミュニティの一部のエリートにより組織され、構成されている場合が多いため、コミュニティ全体を代表しているとは限らない。よって、コミュニティ内に存在する他の社会階層の意見と参加を、排除していることがありえる。外部者であるNGOは、コミュニティを同質の統一体と捉えがちであるが、いずれのコミュニティもヒエラルキーが存在し、社会的に分断されているのが普通である。その現実と、複雑な力関係は、外部者には理解し難い。これらのヒエラルキーや分断は、経済的なものであったり、ジェンダーや異なる民族グループに起因する社会的な要素によるものであったりと、様々である。

 そこでグァテマラの場合を鑑みると、父母会を通じて住民参加を図ってきたわけだが、Jo de Berryが指摘するように、父母会も一部のエリートなり社会層が構成するもので、コミュニティ内の様々な経済的社会的グループそれぞれが代表されているとは、限らないのではないだろうか。私がグァテマラを訪れたときに参加した父母会のミーティングでは、出席者の殆どが農民のようであったが、そういえば何人かは携帯電話を、畑仕事用の鉈などと一緒に腰のベルトにぶる下げていたのを、思い出す。その人達は、その農村の農民のなかでも、比較的恵まれている人たちなのであろう。また、参加者の一人は、着ているものからして一般の農民と違う、Tシャツ、ジーンズ姿だったので、人に訊ねてみたら、米国に出稼ぎに行き蓄えた貯金で、その土地には珍しい立派なコンクリート作りの建物を建て、雑貨屋を営んでいるとのことだった。そしてなによりも印象的であったのが、女性の参加者の少なさであった。二十数名集まっていた人々のうち、女性はただの二人。学校の父母会というと女性が多いように思うであろうが、男性が殆どだった。プロジェクトの住民参加担当者の説明によると、コミュニティには通常多種の住民組織が存在するが、女性に特化したグループ以外は、殆どの組織が男性中心に構成されているのが一般的で、学校の父母会もその例外ではない。そして、父母会のミーティングや活動も、男性が大多数の場合が多いとのことだった。そうしてみると、父母会の活動から、女性の意見や参加が、かなり排除されているのは明らかである。また、グァテマラの山岳地帯、特にプロジェクト実施地のキチェ県では、内戦中に寡婦になり、母子家族で子供を育てている女性の割合が多い。これらの母子家族は、父母会より一切疎外されている可能性が高い。

 学校の父母会のメンバーに女性の割合が少ないのに関しては、グァテマラの同プロジェクトは特別な配慮を図り、プロジェクトの途中から、50のコミュニティにおいて、女性の父母会参加を図るための活動を、試験的に加えた。まず、コミュニティの男女双方を対象に、父母会の女性参加が重要であることの認識を促すワークショップを実施した。そしてそれと同時に、女性を対象とし、父母会の活動への参加を助けるためのトレーニングをおこなった。内容は、教育の重要性に関する一般的な事柄から、父母会の組織構成や機能などに及ぶ具体的知識、また簡単な識字教育にまで及んだ。父母会に参加することを躊躇していた女性たちが多少でも自信をつけ、父母会の活動に意義を見出して、積極的に参加していくことを助けるのが目的であった。この活動により、これらの50のコミュニティにおいては、父母会メンバーの母親の割合が平均25%まであがり(当活動前は、平均5%)、また父母会の母親メンバーが、父母会が主催するミーティングや活動に、他の女性達を引き込むことから、全般的に女性が学校や子供たちの教育に、以前に比べ積極的に関与するようになった。

 ここで思うのが、これと同様に、父母会がコミュニティを代表するものといえるかどうか、その構成を、コミュニティ内の様々な経済・社会層の存在と、その力関係の実態と照らし合わせてあらかじめ鑑み、住民参加の活動を発展させることが、必要だったのかもしれない。Jo de Berryは、そのペーパーの結論において、NGOが、プロジェクトの裨益者である住民達に関する簡単な民族学的調査を行ったり、既存の調査や情報を活用したりして、まずコミュニティの現実を把握しようとすることが、NGOのコミュニティ・ベースの活動を意味あるものとし、効果を挙げる上で、非常に大切であると主張する。それも、外部者の視点でなく、住民自身によるemicな視点から、コミュニティの現実を浮き上がらせるものでなくては、意味がないと言う。

 Jo de Berryのペーパーは、グァテマラのプロジェクトの住民参加の側面に関しても、幾つかの有益な示唆を私に与えてくれた。父母会が果たしてコミュニティ全体の住民参加を促進しているかどうか充分配慮し、参加に不均衡がないようなプロジェクト活動形態を整えることが必要であると、遅ればせながら認識を強めた次第である。

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