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2004年11月

2004年11月29日 (月)

セネガルの現実(位田和美)

 前回書いたとおり、私は青年海外協力隊として、PLAの実践、住民のニーズの追及という課題を持って村落開発に挑もうとしていた。そのセネガルに足を踏み入れたのは2004年4月。協力隊の研修システムとして、到着後1ヶ月間は現地語学訓練で占められ、いざ任地へ赴任するときには、乾季ももう終盤に入っていた。

 そして、右も左もわからない任地へ赴任後、1週間足らずでとうとう雨季に突入した。雨季になると、各農家はこぞって種子や肥料を準備し、ときには農業銀行に対し、その年の収穫物を担保に融資を申し込んだりする。郡政府も、私の配属先である農村普及センターも、この頃には落花生の種子の販売管理に忙殺され、種子を求めて次々と押し寄せる農家をさばき、農耕準備の一環を担う。準備が整うと、人々は皆一斉に畑へ行き、朝から晩まで、雨が降る速さと闘うように、落花生や粟(ミレット)、とうもろこしといった主要作物の種子を植える。種子の植え付けが終わっても、農作業は延々と続く。雑草処理、土の掘り起こしなど、人のみならず、牛や馬の休まる暇もない。まだ幼くて農作業ができない子も、皆と一緒に畑へ行き、木陰でさらに小さい子の子守をする。まさに一家総出である。それもそのはず。この期間の雨量と農作業量が一年間の収穫量を左右し、その年に「食えるか」「食えないか」が決まるのである。住民の、一家の生活がかかっている。

 こうなると、もう参加型開発どころか、住民と話をすることもままならない。雨のために陥没の多くなった悪路を忍んで村へ行っても、老若男女とも畑へ出払っているため、村はもぬけの殻である。たまに昼食担当で家に残っている女性に出会っても、重労働の農作業と家事の二重苦でやせ細り、今にも倒れそうである。

 こうして私の意気込みは、村のリアリティの前に総崩れとなり、はからずしも雨季が明けるまで、少なくとも住民の邪魔にならないよう、村の生活を観察することになった。その数ヶ月間、農作業に勤しむ住民の生活と、私の持つリアリティとのギャップを痛切に感じた。そして、いつしか私自身が持っていた村落開発課題に挑戦する見通しと自信をすっかりなくしてしまったのである。

2004年11月15日 (月)

異文化間コミュニケーションを紐解く Vol. 1(坂本欣也)

「地球に乾杯!NGO」をご覧になった読者の方々が用いた検索エンジンでのキーワードを元に、以前掲載したコラムを厳選してお送りいたします。
第8回:キーワード=「文化ってなあに

 少し学術的抽象的になってしまうかもしれないが、私の専門の異文化間コミュニケーションに戻り、この数回は少しずつその「得体の知れないもの」を「なるほどそういうもの」に変えていただけるよう説明していこうと思う。

 異文化間コミュニケーションでまず触れなければならないのが、「文化ってなあに?」ということである。 私のワークショップでは「文化の島」というモデルを使っている。 島は見えている部分と海底に沈んでいて見えない部分から作られている。文化も島と同じで、見えている部分と見えない部分にわかれていると考えられる。見えている部分は、物理的な物(例:建造物、料理、映画、書物、衣服など)と人間の行動様式(例:挨拶の仕方、食べ方、話し方、議論の仕方、衣服の着こなし方、など)である。 逆に見えない部分は、概念的なもの(例:ものの見方、考え方、価値観、世界観、歴史観など)である。 理論的に言えば、水面下の目に見えない概念的文化に基づいて多くの目に見える物理的なものや人間の行動というものを作り出しているのである。

 異文化間コミュニケーションでは特にこの行動様式と概念的文化との相関に着目し、異文化間で引き起こされる摩擦や問題を分析し解決しようとしている。 例えば、日本人が相手の年齢や相手との関係に応じて巧みに言葉を使い分けるいう行動様式は、目上の人は敬うべき存在であるという極めて儒教的な、人間関係を縦に見る価値観から生まれている。 他にもよく引き合いに出される話で、日本人は相対的に見て 国際会議で議論に参加できないと評されることがあるが これも日本人にとっての「会議」というものが 「事前の調整や根回しなどで ある程度決まった事を公に承認する為の場である」という日本人独自のものの見方も一つの要因となっている。 そしてこれらの考え方を持ち合わせていない社会から来た人々には こうした日本人の行動が理解しがたいものに映る。 たとえ初めは好意的に「珍しい、面白い」と感じても、時間の経過と共に「奇異で不快なもの」という評価にすり変わる危険性が高い。

 重要な点としては、価値観や歴史観などの概念的文化は深層心理に根強く存在するが普段は全く意識していないということであり、その概念的文化から引き起こされる行動様式も無意識に行っていることの方が多いということである。 何故なら、それらは意識的に学習する(例:新入社員研修など)ものもあるが、子供の頃から人との関わり方、コミュニケーションのとり方などについて家庭、学校、地域社会などから無意識に学習していることの方が多いからである。 その為、外国人から日本人の行動様式や考え方についての質問を受けたときに、はっきり答えられない、それ以前に何故自分自身がそのように行動しているのか分からないし考えたこともない、ということが起こるのである。 またその質問に答えられないのは英語に上く訳せないからではなく、多くの場合日本語でも上手く説明できない。 そのイライラする経験が度重なると、「どうして外国人は何故?としつこく質問してくるのか」とか「彼らは何から何まで説明としないと分からないのか」など相手に不快な印象を持ってしまう危険性もある。

 このように、相手の言動や行動に不信を抱いてしまうのも、自分の概念的文化に基づく価値判断である。 個人間レベルの争いから国・民族間の紛争や戦争も 表層的な政治経済的な理由も勿論あるが、根本的に概念的文化の相違から相手に深く嫌悪感を抱くことが原因となっている場合が多いのではないかと感じる。 文明の衝突と言われる今回のテロ戦争もそうした異なる概念的文化同士の衝突であると考えられるのではないだろうか。だとしたら、概念的文化を理解し認め合わない限りそうした摩擦も永遠になくならないのではないだろうか。それは可能であるという希望的観測を常にもっていたいが、昨今の報道を見ていると悲しくなることが非常に多い。 

(本コラムは2003年2月12日に掲載しました。続きはバックナンバーでご覧ください。)

2004年11月 8日 (月)

国際協力でのキャリア・ビルディング(1)『国際協力を仕事として』から(杉原ひろみ)

「地球に乾杯!NGO」をご覧になった読者の方々が用いた検索エンジンでのキーワードを元に、以前掲載したコラムを厳選してお送りいたします。
第7回:キーワード=「国際協力の仕事

 プロフェッショナル・キャリアをどう築いていくか?私はその時々に考え、最終的には自身の嗅覚を信じ、信念を貫いて今日までやってきた。しかし人生の岐路に立たされる時、いつも読み返す本が『国際協力を仕事として』(西崎真理子他著、彌生書房)である。

 96年春の留学時、日本人の留学仲間が貸してくれたのがこの本だった。国際協力の第一線で活躍する30代女性12人の援助活動体験記である。開発援助や人道援助の仕事に携わり、その後の人生をどう歩んでいるか?国際協力の最前線で働き続ける女性、結婚して転職した女性、夫の赴任地(途上国)に同伴し、そこで活躍する場を切り開いた女性など。当時の私は、いろいろな生き方があることに新鮮な驚きと希望を感じた。また、仕事と家庭生活との両立をいかにするかといった人間臭い視点が含まれ、どことなく親しみを感じた。

 この本が出版されて7年。その間、曲りなりに私も途上国で国際協力の仕事に携わる機会に恵まれた。結婚して家庭も持った。そしていつの間にか当時の彼女らと同じ年代に入っている。それでも私にとって彼女らは遠い憧れの存在だった。しかし、ワシントンDCに暮らすようになり、偶然、著者の一人にお世話になった。本を読んで想像した彼女は、もっと大きく強く、風を切るように颯爽と歩く女性だった。しかし等身大の著者はごく普通の気さくな日本人女性で、しなやかに生き、余裕が感じられ、ほっとするような人だった。

 いつまでも本を傍観するのではなく、自分のものとして引きつけ考える必要があるのではないか?先日、改めて読み返してみて、生意気にも思うようになった。

 私がこの本を高く評価する理由は2つある。一つは、キャリアを目指した動機、それを実現させるための準備、実現してみて思ったこと、挫折など、12人の著者全員が誠意を持って語っている点である。十人十色な生き方を提示してくれることで、読者は部分部分を抽出し、自分が抱えている問題と照らし合わせて考えることが出来る。国際協力の仕事に就くこと自体をゴールとした本や体験記が多く、うんざりするだけに、この本は7年経っても色あせることがない。

 少し話がそれるが、この事例を挙げるという方法がいかに有効かは、途上国の現場でプロジェクトを多数抱えていたとき感じた。政策形成者はとかくプロジェクト運営の「マニュアル化」にこだわる。しかし実際には、内部・外部要因、環境、その時の偶然性などが左右し、マニュアルを作成してもその通りに行かない場合がほとんどだ。むしろ役立つのは、マニュアルより具体的な成功・失敗事例を示されることである。

 プロフェッショナル・キャリアをどう築いていくか?という問いに対して、この本は十二分すぎるほどの答えを示し、同時に「How To本」など小手先の情報は役立たないことを示唆してくれる貴重な本であると思う。

 次回は、私がこの本を高く評価する理由その2「女性のキャリア・ビルディング」について触れることにする。

(本コラムは2002年11月25日に掲載しました。続きはバックナンバーでご覧ください。)

2004年11月 1日 (月)

インターンの獲得:人とのつながりの大切さ(利根川佳子)

このコラムでは、2004年5月~7月の2ヵ月半の間行ったユニセフ-エチオピアでのインターンの体験を書かせていただくことになっている。ユニセフのインターンを通じて実際にエチオピアで体験して学んだことをこのコラムで書いていきたい。
第一回目は、インターン獲得の経緯について書きたいと思う。

1年制ではなく、2年制のアメリカの大学院を選んだ理由の一つは、夏休みの間にフィールドでインターンができるという点であった。
それまで開発と教育に関心をもって勉強していたが、実際に途上国といわれているところに行ったことがなかった。やはりフィールド経験を通して、自分の開発援助への信念を確認したいという気持ちがあった。また、修士に進む多くの人が職務経験を持つ中で自分に実務経験がないという点からも、インターンを通して少しでも実務体験を得たかった。

ユニセフ-エチオピアでのインターン獲得は、人とのつながりそして行動力により成し得たものだと思う。

日本のNGOでボランティアの経験があり、また、アメリカでもワールド・ラーニングでコラムの執筆者でもある上岡直子さんの下、インターンをさせてもらっていたので、夏のインターンでは、NGOの視点とは異なるであろう国際機関の視点を学びたいと思っていた。国際機関の中でも、特にアフリカで女子教育プログラムを行っているユニセフでインターンをしたいと考えていた。ユニセフは、African Girls Education Initiativeというアフリカの女子教育に焦点を当てたプロジェクトを1996年から行っている。

私のような職歴のない大学院生がユニセフの現地事務所でインターンをするには二通り方法がある。一つは、日本ユニセフ協会の支援による現地事務所への派遣(http://www.unicef.or.jp/new/0305_a.htm)、そしてもう一つが一般公募
(http://www.unicef.org/about/employ/index_internship.html)である。
日本ユニセフ協会は、旅費を支給してくれるため大変魅力的であった。もちろん応募した。しかしながら、例年アジアに学生を送っている協会に、アフリカに行きたいという私の想いが伝わらなかったのか、面接があまりうまくいかなかったのか、残念ながら受かることはできなかった。それが、2003年の11月頃だった。

日本ユニセフ協会を通してのインターンの選考には落ちたものの、やはりユニセフでインターンをしたいという気持ちを捨てることができず、一般公募でのインターン募集に申し込もうと考えていたとき、同じ大学院の先輩が1年前の夏にアフリカでユニセフのインターンをしていたという情報を得た。その先輩に連絡をとってみたところ、ニューヨークのユニセフ本部にいらっしゃる職員Aさんに相談してみてはどうかと言われた。先輩から、Aさんのメールアドレスを教えてもらい、複数のメール交換をしてユニセフのことについて色々と伺った。Aさんとのメールのやり取りで、ますますユニセフに興味を持った私は、ぜひ直接Aさんからお話を聞きたいと思い、ニューヨークのユニセフ本部まで訪ねることにした。それが2003年の12月末である。

年末のお忙しい中、お時間を作ってくださったAさんから、多くののユニセフの資料をいただき、ユニセフ組織全体の活動や活動理念など詳しいお話をうかがった。その時に、私の今まで学んできたアフリカ政治や現在学んでいる教育の開発のこと、そしてユニセフでのインターンを通して、いつも弱い立場に置かれている女の子への教育のあり方についてのユニセフの視点を学びたいという熱意をAさんにお話した。そして、Aさんがお知りあいのユニセフのアフリカ事務所で働く方達を紹介してくださるということになった。

形としては、一般公募のプロセスを踏んだが、Aさんが私の推薦状を書いてくださり、現地事務所へも直接メールを出してくださった。このAさんの推薦がなければ、私がユニセフのインターンを獲得することは難しかっただろう。実際に国際機関へのインターン獲得は大変競争率が高いと聞いているし、私の友人でたくさんの現地事務所へ一般公募でのインターンを申し込んだが、返事は全くもらえなかったと聞いた。

私は本当に運がよかったと思う。Aさんを紹介してくれ、親身に相談に乗ってくれる先輩が近くにいたし、Aさんもフィールドの経験を重視し、積極的に若者をバックアップしてくださる心強い方だった。敢えて言うなら、私がそのような素晴らしい人たちと知り合えるチャンスを逃さなかったのが良かったといえるだろう。

実際のエチオピアでのインターンでは、さらに人とのつながり、フットワークによって多くの経験を得ることができた。
次回は、エチオピアを選んだ理由について書きたいと思う。
筆者プロフィール

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