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2004年12月 6日 (月)

私にとって身近なエチオピア、エチオピア人にとって身近なDC(利根川佳子)

エチオピアをインターン先に選んだ理由は、大学学部時代にアフリカ政治ゼミに入っていたので、地域としてアフリカに行きたいという気持ちがまず一番にあった。そして、アメリカに来てから、エチオピアが身近な存在になっていたからだ。エチオピアを身近に感じていた理由は大きく二つある。一つは、昨年インターンをしていたWorld Learningはエチオピアで教育プロジェクトを行っていた。私自身は、ラテンアメリカでの教育プロジェクトのお手伝いをしていたが、アフリカ担当の方からエチオピアのお話を聞くことが多かったし、個人的にエチオピアでの教育プロジェクトに興味を持っていた(http://www.worldlearning.org/wlid/news/ethiopia_education_story.html)。

2つ目は、現在在学中であるジョージワシントン大学も、USAIDのファンドでエチオピアで教師教育のプログラムを行っていたことである(http://www2.gwu.edu/~ethiopia/)。この関連からか、授業で事例としてエチオピアがよく使われており、いつのまにかアフリカの中で一番身近な存在がエチオピアになっていたのである。そして、運が良ければ、ユニセフのプロジェクトと併せて、World Learningとジョージワシントン大学が行う二つのプロジェクトもエチオピアにてぜひ見たいという思惑もあった。

さて、実際にエチオピアに行って知ったのだが、驚いたことに、エチオピア人にとって一番身近なアメリカの都市はワシントンDCであった。エチオピア人に「どこからきたの?」といわれ,もちろん「日本です」と答える。そして、「今はアメリカのワシントンDCで勉強しているんだけどね」と続けると、首都アディスアベバに住むエチオピア人の多くは、「母親がDCにいる」、「親戚がDCにいる」…と返ってくるのである。さらには、発音の近いダジャレとして、「ああ、ワシントンDessie(デッセイ)ね(笑)」と返される。(デッセイは、アディスアベバから約400キロ離れた小都市。)

ワシントンDCは、アメリカの中で一番エチオピア人が多い都市なのだ。特に、アダムス・モーガン、18ストリートの辺りは、エチオピア人が集中している。アメリカに行ったことがないアディスのエチオピア人も、「DCの18ストリート」を知っている。調べてみたところ、アメリカにいるエチオピア人約75万人のうち、約30万人がワシントンDCにいるそうだ。実際に、DCを走るタクシーの運転手の多くはエチオピア人だという。

ワシントンDCがエチオピア人にとって一番身近な都市であることも驚いたが、多くのアディスに住むエチオピア人がアメリカに行く事を夢とし、家族が離れ離れになっても渡米することに更に驚いた。ユニセフを初め、国際機関で働いている多くのエチオピア人は、家族の誰かがアメリカにいた。アメリカで働き、エチオピアの家族に送金しているのだ。途上国で田舎に住む父親や若者が、大都市に出稼ぎへ行くという話を聞くが、エチオピア人の中流以上の階級では、アメリカへの出稼ぎが多くなっているようだった。ユニセフの教育セクションの秘書をしている女性も母親はDCにいて、老人を訪問し、家を掃除するといった、訪問介護を仕事としているという。

エチオピア人の中流以上、上流の家族は、日本の中流家庭よりも裕福な生活を送っている場合が多い。お手伝いさんが家にいて,掃除も料理もしてくれる。そういう人たちが、アメリカでの生活とのギャップに耐えられるのだろうかと心配になる。

親戚の誰かがアメリカのグリーンカードが抽選で当たった場合、親戚中でお金を集めて飛行機代を工面するという。金曜日の夜(アメリカへの便がある日)は、空港は見送りの人が多すぎて、見送りのみの人は空港に入れない。私も友達を見送りに空港に行った日がたまたま金曜日で、空港の外で見送りの人たちが大行列を作っていた。アメリカへ行ったとしても、いつエチオピアに戻ってくるかはわからないのだ。

このアメリカ出稼ぎ傾向は、エチオピアの失業率が高いことも影響しているだろう。調べてみると、一番最近の情報で、1997年の失業率が30%となっており、現在は更に高くなっているらしい。また、エチオピアの都市にすむ15~30歳の男性の約半分は職がない状況だそうだ。私が、アディス郊外にある職業訓練高校を訪問した時に、先生が卒業しても職につける生徒は少ないと言っていた。その学校では、自ら起業することを生徒達に勧めていた。

ユニセフの秘書の女性も、システムエンジニアとして働いている女性も、私と同じ年ぐらいだったが、母親がずっとアメリカにいて離れ離れだという。エチオピア人の多くは、家族と暮らすことができなくても、アメリカで働きたいというアメリカンドリームを持っており、アメリカに行くことが高地位を表しているようにも感じた。また、アメリカ行きは、中流階級以上の人たちが豊かな暮らしを保つための一策かもしれない。アメリカにいる家族メンバーによって、その家族の経済的豊かさは守られているのかもしれないが、エチオピアでも家族の在り方が変わりつつある様子をさびしく思った。

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