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2005年1月

2005年1月31日 (月)

ユニセフーエチオピアの組織について:部署間でのコラボレーション(利根川佳子)

インターン第一日目は、ユニセフ・エチオピア事務所の各セクション・マネージャーとのブリーフィングを行った。今回は、そのブリーフィングに基づいてユニセフ・エチオピア事務所について感じたことを書きたいと思う。

ユニセフ・エチオピア事務所は、およそ100人の職員を抱えており、8割以上はエチオピア人で占められ、男女比はだいたい半々である。エチオピア人の多さに驚いたが、現地事務所であるだけに理想的な姿だと感じた。また、秘書職がほとんどであるが、女性が多いという印象を受けた。一方で、エチオピアの南部州のユニセフ・カントリーオフィスでは、働いている人のほとんどがエチオピア人の男性であった。
具体的なプロジェクトを行っている部署は以下になる。

- Gender and Child Protect Section
- Early Warning Disaster Preparedness Section
- Water and Sanitation Section
- Health and Nutrition Section
- HIV Section
- Education Section

ブリーフィングでは各セクションでの中心のプロジェクト、そして教育の持つ影響力、重要性が中心となる話題であった。教育に絡めた各セクションマネージャーの論点はまとめると以下のようである。

● Gender and Child Protect Section

- 女性のエンパワメントの手段としての教育の重要性。
- FGM(女子割礼)のようなHarmful Traditionを防ぐ方法としての女性への教育の重要性。

● Early Warning Disaster Preparedness Section
- Emergencyでは教育のプライオリティが低い場合が多いという現実から、Emergencyの中での子供の教育の重要性。

● Water and Sanitation Section
- 女性の仕事である水汲みが女子教育を妨げているという事実から水施設の普及の重要性。
- 学校施設の中での水設備の重要性。(水施設があることにより親が子供を学校に行かせることへのインセンティブとなる。)

● Health and Nutrition Section
- 教育によって女性の早婚や無計画な多産が減り、母親が子供の健康に気を遣うという事実に基づく教育の重要性。

● HIV Section
- HIVを防ぐための学校でのHIV教育の重要性。
- 教育を受けている人はHIVを防ぐ可能性が高いという事実に基づく教育の重要性。

私が女子教育プログラムでのインターンであったため、どの部署の方も教育に近づけて話そうとしてくれたのかもしれないが、ブリーフィングを通じて「どの部署も教育が大切だと認識しているのだな」と改めて感じた。

しかしながら、「Education Sectionと一緒に何か仕事をしているのですか」と聞いたところ、どの部署もしていないという。驚いたことに、私が聞く限り、どの部署も他の部署と共同の仕事がなかった。インターン中も、それぞれの部署は完全に独立しているという印象を受けた。プロジェクトごとに資金が出るために部署を超えての仕事が難しいというのが一つの原因かもしれない。

また、ブリーフィングの中で驚いたことは、教育という点で他の部署で関係づけできそうなプロジェクトを行っているにも関わらず、他の部署のプロジェクトについてもあまり知らない様子であったことである。定期的に各部署のマネージャーが報告会を開いていたから、お互い全く知らないということはないと思うが、他の部署の仕事まで把握する余裕がないのかもしれない。また、もしかして、知っていてもお互い言及せず、干渉せずに仕事しているのかもしれない。このような状況に大変驚いた。

水の部署では、他の国際機関とNGOと一緒に学校で給水施設を整えて、より多くの子供へ教育の機会を与えるというプロジェクトを行っていた。このプロジェクトに教育の部署の人たちは関わっていない。教育の部署もうまく巻き込めば、よりよいアプローチができるのではないかと感じた。

また、私の滞在中に、教育の部署も、NGOとのプロジェクトを始めつつあった。NGOの視点を加えて、より包括的にアプローチするためだ。

もちろん、他の援助機関とのコラボレーションは重要だ。しかしながら、ユニセフ・エチオピア事務所内には色々な分野を扱っている部署があるのだから、その中でのコラボレーションが進めば、それだけでもすでにより包括的なアプローチが可能ではないかと思う。多くの援助機関では、援助協調やセクターワイドアプローチ等が注目され、各援助機関が援助の重複を避け、お互い協力して効果的に援助を進める方向性がでてきている。ユニセフのような大きな機関になると、一つの機関においても援助協調が重要だと思った。

2005年1月24日 (月)

理数科教育パイロットプロジェクトの開始(里見陽子)

ジトッと湿気がへばりつくような蒸し暑さ。コロンボ郊外の空港に降り立った瞬間、そんな熱帯の空気に取り囲まれ、圧倒されそうになりながら「南国」を実感した。モンスーンの時期でもあり日差しは特段強くも感じられなかったが、蒸し暑い。DCを出た日も暑かったが、それとは違う、熱帯の匂いがした。
「いつもこんな感じですか?」
空港まで迎えに来てくださった調査団員の方に、思わず聞いてしまった。

前回のコラムでは、留学先のアメリカ・ワシントンDCから開発の現場であるスリランカに行くことになったいきさつをお話した。そして私がスリランカに来た目的は、「JICA初中等理数科分野教育マスタープラン開発調査」に従事するためである。これは、その名の示すとおり開発調査という技術協力のスキームで実施されている開発計画調査(マスタープラン:M/P)である。最近では、開発調査に実証調査を含む形で行われることが多い。つまり、マスタープランの素案を元にパイロットベースで実証事業を実施・モニタリング・評価し、マスタープランで提案する内容や方向性の適用・普及可能性を検証すると同時に、現場での経験から学んだことをマスタープランに反映させることを目的としている。スリランカの案件もこの形で実施され、私はその実証事業(パイロットプロジェクト)の担当コーディネイターとして、調査に参加した。教育省のオフィサーがカウンターパート(C/P)チームとなり、我々調査団と一緒に活動した。

学校から提出されたプロポーザルを元に、最終的に25校が「パイロット校」として選ばれた。パイロットプロジェクト開始前に着任した私にはまず、まもなく開催される事前ワークショップの準備そして実施という仕事があった。5日間にわたるこのワークショップでは、パイロット校の校長や教員を招いて我々調査団・C/Pチームと共にプロポーザルの仕上げを行い、レポートの書き方や予算管理の方法を確認したうえで、パイロットプロジェクト実施に係る各校との契約となる。

学校側が準備してきたプロポーザルは、C/Pによる英訳を経て我々の元に来るのだが、プロジェクトの必要性、妥当性、対象、具体的活動、期待される成果、指標、そして予算までを含む大がかりなものである。もちろん内容的にはまだまだ改善の余地あるものだが、これを準備するために学校の先生方や保護者たちの相当な苦労と努力があったものと伺える。そもそもスリランカの教育制度では、教育活動の内容はもちろんのこと、指導法から教員研修、学校施設や備品に至るあらゆる面で教育省からの指示に従うのみであるのが通常であり、先生たちが自ら計画を立てて教育の向上のために物事を進めるというのは全く初めての試みなのである。

それだけに、パイロットプロジェクトを「勝ち取った」25校の先生たちは皆嬉しそうだ。ワークショップを終え、自分たちの学校を良くするために頑張ろうと互いに励ましあいながら、晴れ晴れとした顔でそれぞれの学校に帰って行った。もちろん、学校を良くするというのは「言うが易し…」であり、この後1年間、汗をかきながらあれやこれやと様々な形での投入をしていくことになる。

2005年1月10日 (月)

ローカルNGOによるPLA研修(位田和美)

雨季中、農作業に勤しむ住民に圧倒され、村落開発に挑戦する自信を失い、悶々としていたとき。私の葛藤を見透かしたかのように、JICAセネガル事務所企画の現地技術補完研修が実施された。本研修は、村落開発に関して豊富な経験を有するローカルNGO、ENDA3Dの指導の下でのPLAの実践学習を目的とし、研修中に得たアイデアを任地での活動に活かそうという意図から企画・実施されたものである。「PLAの実践学習」とは!しかも、セネガルローカルの老舗NGOの手法を実地体験できるとは!まさしく私が欲していた研修内容であり、事前学習から相当の心意気を持って臨んだ。

かくして5日間の研修は、(1)PLAツール概要確認、(2)PLAツール実践、(3)ENDA3DによるPLA実践見学、(4)村の3ヵ年計画立案、の4本立てで、非常に効率よく実施された。また、研修期間を通し、ENDA3Dの24時間体制および現地ファシリテータ(近郊村在住の村落開発普及員)のマンツーマン指導により、きめ細かなサポート体制がしかれ、私自身が抱いていた疑問や課題にも懇切丁寧に応じてくれた。

PLA実践前は、現地語もままならず、社会的背景の異なる外部者である自分が住民にどのように接したらよいのか、住民の前で「話をする」という事自体に全く自信がなかった。しかしながら、いざ腹をくくってやってみると、住民はこの「何者かよくわからないお客さん」に対し辛抱強く応えてくれ、むしろ、片言の現地語に四苦八苦している「外国人」との会話を楽しんでくれている様子さえ伺えた。研修実施時は雨季の真っ最中であり、また、そのうちの1日は定期市の日と重なり、住民が集まるかどうか懸念されたが、女性グループ代表の言葉を借りれば、「お客さんが来ているのに、集会に行かない訳にはいかない」と、自分の予定を変更してまでも参加してくれる住民が少なくなかった。
他方、PLAツール実践時には、ニーズとウォンツの分析が甘く、幾度も失敗を重ね、納得のいく結果を残すことはできなかった。それでも、自分なりにファシリテーション方法を試行錯誤する過程で学んだものは多く、PLA理念の現地適用度の高さ、PLAの技術面での奥深さを再認識し、また、村落開発における私自身の課題を明確にすることができた。

さらに、何よりも昼夜を通してENDA3Dや現地ファシリテータと様々な議論を交わし、彼らの仕事にかける熱意やポリシーを垣間見ることができたのは、本研修の最大の成果である。彼らは「今のセネガルは経済的には決して豊かだとは言えない状況にある。けれど、後10年、今の世代の人たちが頑張って国の基盤を築いていくことができたら、必ず良い未来が開けると思う」と言う。これを聞いたとき、私もこのような希望溢れる国で、彼らや住民と一緒に、少しずつ、ゆっくりと国の基盤作りに参加していきたいという想いを新たにすることができた。

2005年1月 3日 (月)

スリランカに行くことになったいきさつ(里見陽子)

このコラムでは、2003年7月から2004年12月までスリランカで教育開発のプロジェクトに携わった経験をお話したいと思います。まず冒頭、2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震津波による被災者とそのご家族の方々へ心よりお見舞い申し上げます。また、状況の厳しい被災地で救援活動に携わる全ての方々に対し、心よりの応援と祈念を送ります。今回被害はインド洋周辺を中心とする12カ国にも及び、スリランカも死者2万5千人以上、避難生活者80万人という未曾有の国難に遭遇しています。私にとってスリランカは特によく見知った土地であるだけに毎日気が気でならない思いでいますが、「がんばれ、スリランカ!」の気持ちをこめてコラムをお送りしたいと思います。

大学院を修了した2003年春。卒業式のため日本から来米していた両親との旅行から戻り、さてこれからいよいよ本格的に就職活動だ!と気合いを入れていた(?)頃、スリランカにいるという一人の日本人コンサルタントの方からメールを受け取った。タイトルは「JICAスリランカ理数科教育マスタープランの人材募集」。ワシントンDC開発フォーラムの傘下で機会をいただき私がフォーカルポイントを務めていた「紛争と開発ネットワーク」メンバーの方が私のことを紹介してくださったそうだ。調査の一環で実施されるパイロットプロジェクトの現地コーディネイターを募集しているというのがメールの内容だった。

面白そうだ。何と言っても「スリランカ」である。2002年2月に政府と反政府組織LTTEとの間で和平協定が締結され、復興支援・平和構築といった観点から研究対象として取り上げてきた国。また「紛争と開発ネットワーク」でも、トピックのひとつでスリランカにおける紛争と開発への取り組みをウェブサイト上にまとめるなど、注目していた国である。とにかくスリランカが私の関心国リストのトップにあったことは間違いない。

早速そのコンサルタントの方に返信すると、すぐにプロジェクトの資料が送られてきた。それからメールや電話のやり取りを経て採用が決まり、約3週間後にはパイロットプロジェクト・コーディネイターとして着任することになる。

フィールドでの経験を積むことは私にとって願ってもないチャンスではあったが、全く迷いがなかったわけではない。当時私はDCに本部のある開発NGOでリサーチアシスタントをしていた。OPT(F1学生ビザ保持者が卒業後に米国内で実務経験を得るための滞在許可)待ち身分のため無給で週3日働いていたが、そのポジション自体は有給であり、フルタイムの仕事を探しつつしばらくはそこで経験を積もうと考えていた。OPTは今しかチャンスのないもので、且つそれまでの就職活動の手ごたえから、私にとってOPT無しにアメリカで開発関係の団体に就職するのは極めて困難であろうことが予想できた。(OPTが無ければ雇用者が高額の費用をかけ就労ビザをスポンサーしなければならないため。)

一方、このままではフィールドに出るチャンスはなかなかやって来ないこともわかっていた。開発の現場を知らずして開発のプロになれるわけがない。苦労して取った学位なんてただの紙だ。だったらチャンスが目の前にある今、それをつかまない手はない。しかもそれはスリランカという、私が行きたかった国。

結局は、決心するのにそれほど時間はかからなかった。慌しくアパートを片付け、ワシントンDCから丸二日かけてスリランカの商都コロンボに到着した。
筆者プロフィール

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