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2005年1月 3日 (月)

スリランカに行くことになったいきさつ(里見陽子)

このコラムでは、2003年7月から2004年12月までスリランカで教育開発のプロジェクトに携わった経験をお話したいと思います。まず冒頭、2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震津波による被災者とそのご家族の方々へ心よりお見舞い申し上げます。また、状況の厳しい被災地で救援活動に携わる全ての方々に対し、心よりの応援と祈念を送ります。今回被害はインド洋周辺を中心とする12カ国にも及び、スリランカも死者2万5千人以上、避難生活者80万人という未曾有の国難に遭遇しています。私にとってスリランカは特によく見知った土地であるだけに毎日気が気でならない思いでいますが、「がんばれ、スリランカ!」の気持ちをこめてコラムをお送りしたいと思います。

大学院を修了した2003年春。卒業式のため日本から来米していた両親との旅行から戻り、さてこれからいよいよ本格的に就職活動だ!と気合いを入れていた(?)頃、スリランカにいるという一人の日本人コンサルタントの方からメールを受け取った。タイトルは「JICAスリランカ理数科教育マスタープランの人材募集」。ワシントンDC開発フォーラムの傘下で機会をいただき私がフォーカルポイントを務めていた「紛争と開発ネットワーク」メンバーの方が私のことを紹介してくださったそうだ。調査の一環で実施されるパイロットプロジェクトの現地コーディネイターを募集しているというのがメールの内容だった。

面白そうだ。何と言っても「スリランカ」である。2002年2月に政府と反政府組織LTTEとの間で和平協定が締結され、復興支援・平和構築といった観点から研究対象として取り上げてきた国。また「紛争と開発ネットワーク」でも、トピックのひとつでスリランカにおける紛争と開発への取り組みをウェブサイト上にまとめるなど、注目していた国である。とにかくスリランカが私の関心国リストのトップにあったことは間違いない。

早速そのコンサルタントの方に返信すると、すぐにプロジェクトの資料が送られてきた。それからメールや電話のやり取りを経て採用が決まり、約3週間後にはパイロットプロジェクト・コーディネイターとして着任することになる。

フィールドでの経験を積むことは私にとって願ってもないチャンスではあったが、全く迷いがなかったわけではない。当時私はDCに本部のある開発NGOでリサーチアシスタントをしていた。OPT(F1学生ビザ保持者が卒業後に米国内で実務経験を得るための滞在許可)待ち身分のため無給で週3日働いていたが、そのポジション自体は有給であり、フルタイムの仕事を探しつつしばらくはそこで経験を積もうと考えていた。OPTは今しかチャンスのないもので、且つそれまでの就職活動の手ごたえから、私にとってOPT無しにアメリカで開発関係の団体に就職するのは極めて困難であろうことが予想できた。(OPTが無ければ雇用者が高額の費用をかけ就労ビザをスポンサーしなければならないため。)

一方、このままではフィールドに出るチャンスはなかなかやって来ないこともわかっていた。開発の現場を知らずして開発のプロになれるわけがない。苦労して取った学位なんてただの紙だ。だったらチャンスが目の前にある今、それをつかまない手はない。しかもそれはスリランカという、私が行きたかった国。

結局は、決心するのにそれほど時間はかからなかった。慌しくアパートを片付け、ワシントンDCから丸二日かけてスリランカの商都コロンボに到着した。
筆者プロフィール

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