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2005年3月20日 (日)

津波被災地復興支援の現場から(1)(里見陽子)

前回のコラムを書いた直後に、またスリランカに行くこととなった。急に決まってバタバタと出てきた目的は、昨年8月まで1年間全国を対象に実施した教育改善の活動を、今度は津波被災地で実施することである。東部州アンパラ県の沿岸、カルムナイ地区で津波により全壊・半壊した学校がその対象となった。ということで、前回少しばかり思わせぶりな終わり方をしてしまい申し訳ないと思いつつ、被災地での様子を書くことにする。

私がスリランカを離れて日本に帰国していたのは、結局2ヵ月半くらいだったから、コロンボに戻ってきても懐かしいと思うこともなく、普通に元の生活に戻ったような気分でいた。が、アンパラに入ると話は別だ。コロンボから車で8時間。いかにも、遠い。

今回はプロジェクト実施対象がアンパラ限定なので、私もここに住み着いて業務に従事している。地方回りの旅ガラスだった前回の仕事と違い、対象地域は範囲限定されている分移動は少なく、田舎生活にどっぷり浸ることとなる。しかし、これはこれでなかなか良いものである。住めば都とはこのことだ。

津波による死傷者数で見て被害の最も大きかった東部地域は、今回の津波だけでなく、2002年まで20年近く続いた内戦の影響も受けている。シンハラ人が70%を占めるスリランカの中でも、東部はタミル人やムスリムという少数派の人々が住んでいる地域であり、これまでも他の地域と比べ政府や外国からの支援が届いていなかったのが東部である。

さらに、アンパラの特徴として、タミル人とムスリムのコミュニティが細かい層のように交互しているという点があげられる。他の地域では比較的大きく居住地域が別れているのに対して、ここでは村落ごとに民族や宗教が異なるため、それだけ村落間の緊張が高く、小競り合いが多い。

サーフィンスポットとして有名なアルガムベイなどを除けば、外国人観光客が集まるようなリゾートもなく、小さな田舎町がいくつかあるだけのアンパラ県だが、津波を機に多くの援助関係者が多数出入りするようになり、ここは今ちょっとした”津波景気”のさなかにある。ゲストハウスなんて、平気で普段の5~10倍くらいの料金をとっても常に満室状態だし、ドライバーや事務職など人件費含め、全体的に物価がかなり高騰している。

沿岸の被災地カルムナイの町を歩いていると、人々の顔は思いのほか明るい。しかし、人々の心の中では津波によってできた大きな傷がまだ癒えていない。地震や津波の知識がなかっただけでなく、あの日、12月26日の朝も人々は地震の揺れを全く感じることがなかった。突然襲ってきた津波が、町を家を人を呑みこんだのだ。

”Sea is coming! Sea is coming!(海が来る!)”

今でも、また津波が来るとの噂が流れて町がパニックになることはしばしばだ。数日前、津波がきたと聞いて家を飛び出した少年が、逃げようと必死で走って道路に出た瞬間、トラックに轢かれて亡くなるという痛ましい事故があった。ショックで言葉が出ない。津波の水を飲んだ人は半年以内に死んでしまう、などという噂を信じて苦しむ子どもたちもいる。インフラの復旧はどんどん進んでいるが、心理的・精神的な面でのサポートが急務であると感じる。

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