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2005年8月

2005年8月29日 (月)

国際理解と国際協力(松本 麻美)

(前回のコラム「世界の縮図と自分の現実」)
UWCという世界80カ国から来る学生から成る「世界縮小版」の環境で、私は自分なりに国際理解とは何たるものかということを学んだ。そして次にそのような知識をもって、自分なりのこれからの世界への関わり方、すなわち国際協力についての思いを固めることが出来た。

まず国際理解について。前回のコラムにも書いたように、理想主義に溢れる学生が集まったにも関わらず、国際理解を実践するのは決して容易ではなかった。例えば同性愛主義者への理解を即すイベントの次の朝には一部のアフリカ系の学生が、それについての嫌悪感をあらわにした議論を学校会議で始めた。比較的リベラルな思想あふれる北欧から来るルームメイトと、保守的なアジア人学生の対立の話は日常的によく聞かれた。

しかしそれぞれの文化が衝突し合ったものの、最終的に多文化が共存することは出来たのである。食堂では誰が隣に座っても様々な会話が出来たり、例え行動を常に共にしなくても相手の行動を寛容に認められるようになった、また卒業文集には皆たくさんの国から来た友人からのメッセージでびっしりだった。

このような体験から私が学んだ国際理解とは、全ての文化・人々を「好き」にはなれなくても、「受け入れるという努力をすること」こそが国際理解と言えるのではないか、ということである。そこには自己犠牲・自己否定は伴わなくていい。単純に自分自身が属する世界の大きさを認識すること、多文化が存在して当たり前で皆それぞれ違うものなのだ、とありのままに受け止めることが求められているのだと思う。

次に試行錯誤しながら国際理解を学び、実践する中で固められていった自分にとっての国際協力の思いについてお話ししたい。UWCに行くまで私は国際協力とは一つの目標と価値観をボーダーレスに共有する人たちが、それらの実現に向けて協力しあうことだと信じていた。そしてその方法というのも当時の私にとって、ニュースでよく見る「国際」と名がつくような職業以外を考えられなかった。

しかしUWCの2年間を通して、いかに世の中にたくさんの価値観が存在し、もしも一つの価値観をボーダーレスに共有すして実現しようと考えたら、数多くの文化的背景をもつ価値観は粉々に否定されなければ成らない。そしてその行為そのものは既に平和的ではない、と私は気づいたのだ。誰も争いを心から望んでいる訳ではない、根本には平和を実現したいという思いがある、一人一人が幸せであり続けたいと願う、それは確かに共有していた。しかしそれらの思い・価値観をいかにして具体化しようかとするときに考える時、様々な価値観がその姿を現すのだ。

そんな中で私が見つけ出した理想的な国際協力とは、他の価値観を認めつつ自分の信じる価値観を実践していくということだ。お互いが向き合って、違いを認め合いながらこの地球という大きな共通スペースを共有することこそが「国際協力」なのではないだろうか。そして結果として、私は常に他の人・文化の考えに触れ、それらの理解に努めながら、自分自身が信じる思いを実行するために、自分らしく自分の才能と情熱を生かした方法で世界に関わって行こう、と強く思うようになった。

今ようやくスタート地点に立っている。まだまだ成長過程ではあるけれども、UWCの2年間で培った私なりの国際理解、国際協力の思いを自分の核の部分として大切にしながら、まっすぐに自分の道を進んで行きたい。

2005年8月22日 (月)

「できること」から・・・(位田和美)

(前回のコラム「PLA実施」)
赴任当初から(今から思えばツールの実践としての)PLA実施にこだわりつつも、村によっては実施に踏み切れなかったり、実施してもその後の活動へ効果的につながっていかなかったり、と活動方針や活動内容を探る日々が続いた。その一方で、配属先からは「女性グループの組織化」を支援するようにとのお達しが下った。「女性グループの組織化支援」と言うと聞こえはよいが、ここでは住民にとってかなり高額な登録料を支払い、煩雑な事務手続きを行い、各国政府がフィナンスする女性対象のプロジェクトに申請するよう住民の総意を取り付けることを意味する。配属先にとっては、登録されないグループはいくら活動の実が伴っていようと意味を持たないようだ。またもや登録グループの数を「配属先の成果」として重視しているともとれる業務命令だ。財源の乏しい地方行政機関としては致し方のないことか、でも、登録するしないに関わらず、やる気のあるグループを積極的に支援するべきではないのか、などと青臭いことを考えたりもした。しかしながら、手段はともあれ、登録制度の存在を知るということ自体が何かしらの住民活動機会の提供になれば、また、これが長年地域開発を担ってきた配属先の経験に裏打ちされたセネガル式のやり方なのかもしれない、という想いから巡回村の住民たちと話をしてみた。すると案の定、あまりに自分たちの現実とかけ離れた話である、と途方に暮れている。やはり、住民の身の丈に合った活動を展開するためにも、とにかく自分に「できること」から手をつけ、住民の反応を見ながら進化していくしかないな、と観念した。配属先には「まだ私自身に住民を組織化する力量が備わっていないので。」と、組織化にとらわれず自由に活動させてもらえるよう理解を取り付けた。

さまざまな試行錯誤を経て、いつしか保健啓発活動が私の活動の中核を占めるようになってきた。保健啓発活動は、医療機関やNGOと協力し、村の保健施設や学校を舞台に、人々に基礎保健および疾病予防の知識を伝え、地域の保健衛生状態を改善することを目的としている。私は誰でも目で見てわかるように、視覚教材を中心に、ときに歌をまじえたり、紙芝居をしたり、簡単な実験をしたり、と自分も聞いている相手も楽しめる時間になるよう工夫してみた。実際には、外国人である私がカウンターパートと一緒に皆の前に立つだけで、まず人々の目をひき、また、つたない現地語で話したり歌ったりするのが人々の好奇心をくすぐり、結果的に保健啓発活動が住民の一種の娯楽ともなったようだ。これにより、住民との距離がぐっと近くなったような気もする。やはり「体験を共有する」ことは大切だなと思った。

機材や特別な専門知識がなくても「できること」から、皆と一緒に楽しみながらの活動は、協力隊活動のとっかかりとしてまずまずの感触を得た。しかし、とっかかりはとっかかりでしかない。この保健啓発活動に限っても、(1)基礎保健知識の横の展開(地域全体への普及)、と(2)これら保健啓発講座で見聞きした知識を実践するに至る行動変容の促進は、任期中を通して考え続けていく大きな課題である。

2005年8月15日 (月)

津波被災地復興支援の現場から(4)(里見陽子)

スリランカの現場で日常生活やプロジェクトの活動を左右するもの、我々の頭を悩ませるもの、それはハルタール(harthaal)と呼ばれるストライキ(抗議行動)である。プロジェクトの実施において、重要な外部要因であると言える。「ハルタール」の語源はよくわからないが、インドやバングラデッシュなど他のアジア諸国でも使われているようなので、外から入ってきた言葉なのだろう。スリランカでは、シンハラ語・タミル語共通の言葉として一般化している。

ハルタール中は政府機関が閉鎖、商店もすべて営業停止し、普段なら通りを賑わすバスも運行停止になる。学校もそのほとんどが休みだ(ただし最終的に学校閉鎖にするかどうかは校長の判断であり、ハルタール中にも関わらずやっている学校も、たまにある)。これだけでも地域経済や市民活動に大きな打撃であるが、もっとも怖いのはその抗議行動が暴力化することである。例えば、石を投げつける、タイヤを燃やす、電柱やブロックなどで道路を封鎖する、道路の真ん中で炊事を行う、など。

これまではハルタールと言えば、反政府組織LTTE(タミル・イーラム解放の虎)の支配地域および支配力の強い地域における、LTTEの対政府抗議運動であることが大半だった。ところが最近ではいろいろなタイプのハルタールが頻発している。

例えば、避難民キャンプ住民によるハルタール。政府による津波被災者支援が満足に届いていないという不満から、避難民キャンプ住民がハルタールを実施する。地元からも有力政治家が出ているのに、大臣となった彼らが、被災した住民のために何もしれくれない、という不満に加え、不自由なキャンプ暮らしがこの先いつまで続くのだろうかという、先行きの見えない不安。そういったものが時折住民たちを動かし、抗議行動が実施される。

ムスリム住民によるハルタールもいくつか続いた。6月24日、スリランカ政府とLTTEの間で津波復興支援事業の調整機構Post-Tsunami Operations Management Structure (P-TOMS) の設置に関する合意文書(MoU)が調印されたのを受け、これに反対するムスリム住民・政党がハルタールを繰り広げた。P-TOMSにおいて、ムスリム勢力がLTTE同様の扱いを受けていない(署名者になっていない)ことに対する抗議が主な理由と考えられる。

このような政治的に不安定な地域で活動する我々としては、安全管理に大変気を遣う。「明日はハルタールがあるらしい」との情報を受けると、その地域に出入りできなくなるので自宅待機となる。(私が住んでいるのは、LTTE勢力範囲外で津波の被害も受けていない内陸の町。)

「午後からハルタールがあるらしい」という情報が確認されれば、事務所閉鎖となり、職員は皆先を争うようにして帰宅する。道路が封鎖される前に、あるいはバスが通っているうちに、速やかにその地域を脱出しなければならない。

こういうことが、ほぼ毎週のように起こる(避難はしたが、結局単なる噂だけだったということもある)。計画を立てて仕事を進めることができないのは、我々にとって大きな足かせだ。しかし、これがスリランカの現状である。自らの安全確保のためにも、必要な情報をキャッチする「耳」と「感覚」が重要だと感じている。

2005年8月 1日 (月)

女子教育とは(利根川佳子)

今回で6回目を向かえることになったコラムであるが、インターンのテーマであった女子教育について書き、私のコラムを締めくくりたい。

私個人のこのインターンシップの目的は、教育における男女格差がなく、女子生徒がエンパワーメントできる教育とはどうあるべきかということを、エチオピアでの実際の現場を見ることで考えてみるということであった。

国際開発の中で、女子教育は注目されているテーマのひとつである。2000年の国連ミレニアム宣言では、初等・中等教育におけるジェンダーの格差をなくすことを2005年までに解消し、2015年までには全教育段階における格差を解消することを目標としている。2005年というと、まさに今年なのだが、目標達成は難しいだろう。

このような世界的な流れもあり、ユニセフは女子教育プログラムを世界中で展開している。 1996年から行っているAfrican Girls Education Initiativeという女子教育プログラムも、アフリカだけでなく世界中で展開することになり、Girls Education Initiative に拡大した。

私はユニセフ・エチオピア事務所の女子教育プログラムのインターンであったわけだが、運がよかったのは、当時の教育オフィスのヘッドは女性で、個人的にも女子教育に思い入れがある人だった。彼女の影響もあり、ユニセフ・エチオピア事務所の教育オフィスは女子教育に傾倒していたため、男性職員も女子教育について理解を示していた。だが、これが他の事務所でも同じかどうかはわからない。 実際に、今年の8月から男性の新しいヘッドに代わることになり、女子教育担当者は女子教育への取り組み方の変化を危惧している。

女子教育はなぜ重要なのか。

エチオピアにいる間に自分の仕事について聞かれることが良くあったので
「ユニセフの女子教育プログラムのインターンだ」と答えると、
「何で女の子だけなんだ?男の子だって教育が必要だろ?男は大事じゃないのか?」
と言われることが何度もあった。女子教育を掲げているNGOの職員にさえ、このような質問をされたことがあった。

そのときの私の答えは、
「男の子よりも女の子の方が学校に行ってないでしょ。女の子は社会的に弱い立場であることが多いから、教育を受けて、自分に自信をつけるべきじゃない?」
実際にエチオピアの小学校就学率は男子が75%で女子が43%(2001年)である。

女子教育の利点は多く研究されているが、ここでは4点取り上げたい。

第一は出生率の減少である。多くの発展途上国特にサハラ以南アフリカでは、急激な人口増加は深刻な問題となっているため、出生率の減少は課題の一つである。(ちなみにエチオピアの平均出生率は7人である。)ある研究によると、アフリカにおいて7年以上の教育を受けた女性は教育を受けていない女性よりも産む子供の数が少ないことを証明している。この出生率の減少は、多くの教育を受けた女性が晩婚化することに影響している。また、教育を受けた女性は避妊をし、家族計画を行う傾向があるため出生率の減少につながる (Shults 1993)。

第二に、女性が教育を受けることによって、その子供が健康である傾向が証明されている。教育を受けた女性は、教育を受けていない女性よりも子供の健康に気を使う傾向がある。一点目の出生率の減少ともかかわってくるが、実際に、教育を受けた女性は、教育を受けていない女性よりもその子供の幼児死亡率が低い。

そして第三点目は、教育を受けた女性は、その子供、特に娘に対して教育を受けさせるということである。父親よりも母親への教育の方が、娘の教育に対して好影響があることが研究されている(Shults 1993)。 
このような点から、女子教育は、一人一人の子供、さらには国レベルの問題までも左右する影響力があることになる。

さらに、最後に第四点目として、私がユニセフの教育オフィスのヘッドに言われたことを挙げたい。彼女に言われたことは、「女子教育プログラムは、結局は教育の質全体を上げることになるのだから、男の子も結局は利益を受ける」ということである。例えば、女子教育のプログラムには、女子のことを考えたトイレの整備、また家事を手伝う女子のために、午前や夕方、週末などのフレキシブルな授業スケジュールの設定などが挙げられる。もちろん女子のことを考えて行われるプロジェクトだが、トイレの整備も、フレキシブルな授業時間も男子生徒に対しても一緒に行われている。結局は、女子教育は教育の環境が改善され教育の質全体を上げることになり、男子にとっても女子にとっても好影響を与える学習環境が整うことになる。

女子教育に対しての考え方は人により様々だと思うが、エチオピアでのユニセフのインターンを終えて、私が考える女子教育への考えは固まった。

つまり、女子教育は女子のみが利益を受ける教育ではないのだ。女子教育にフォーカスすることで、出生率減少や子供の健康など女子への教育がもたらす利点を促すと共に、女子教育によって教育の質全体を上げることになり、より快適な環境で女子も男子も教育を受けることができるようになると考えられる。これが女子教育に取り組む意義だと感じる。

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気がついてみれば、インターンを終えてちょうど1年がたつ。私のコラムも書き終わるまでに1年かかってしまった。インターンで感じたことや学んだことを文章にする機会をいただき、本当に勉強になった。改めて杉原ひろみさんに感謝したい。

私は、5月にアメリカの大学院を無事卒業し、エチオピアにまた戻ってきた。現在は日本大使館で、視点は異なるが、エチオピアの教育中心に仕事をしている。私にとって、去年のユニセフのインターンで経験したこと、考えたことは初心として、いつまでも私の胸の中に残り続けるだろう。

Resource:Schultz, T. Paul. 1993. Returns to Women’s Education. In Women’s Education in Developing Countries: Barriers, Benefits, and Policies. Edited by Elizabeth M. King and M. Ann Hill. A World Bank Book.

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