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2005年10月17日 (月)

開発学から見た北朝鮮人道・開発支援研究へのこだわり(杉原ひろみ)

(前回のコラム「『米国政府とNGOの対北朝鮮人道援助』を研究し始める訳」)

国際社会で北朝鮮の人道支援が取り上げられるようになったのはいつだろうか?

それを考えるとき、自身の過去10年間のこのテーマへのこだわりを思い返すとわかりやすい。1995年、大規模な水害を理由に、北朝鮮政府が国際社会に支援を求めてきたことが報道されたのは、私がロンドン大学大学院で勉強を始めた時のことだった。当時、修士論文のテーマを探していた私は、これをテーマに何か執筆できないかと、先生に相談に行ったことがある。もう10年も前の話だ。絶対的に資料がなさすぎると却下された記憶がある。当時、「工業開発」や「東アジアの奇跡」をテーマに韓国が事例として取り上げられることはあっても、北朝鮮の人道支援に着目する先生などいなかった。今でこそウォーウィック大学政治国際学部ヘーゼル・スミス教授や、USAIDナチオス長官をはじめ、多くの人が研究成果を発表しているが、1995年当時、私の調査不足もあり、英国内における研究者は、旧東ドイツの元外交官で北朝鮮赴任歴がある大学の先生ぐらいしか探し出せなかった。

翌1996年、インターン先を探してウィーンのUNIDO本部に出向き、北朝鮮の図們江地域開発の韓国人担当者と話をしたが、「実はこのプロジェクトは上手くいっていない。君にインターンとして来てもらってもすることがないよ。」と言われた。

1997年初頭、日本で国際金融機関を志す者の研修プログラムに参加し、現地研修でマニラのアジア開発銀行に行った際も「北朝鮮の人道・開発支援を語るのはまだまだ先の話だ。一つの国に固執せず、他国でのフィールド経験を積んでから北朝鮮問題を考えても遅くはない。」と言われ、以降、私は北朝鮮の人道・開発支援について追うのを止めていた。

それでも時々、北朝鮮の動向を伺い知る断片的な情報は私の元に入ってきていた。1997年から2000年までジンバブエに勤務し、全く地域を異にしていたが、98年頃だったか、北朝鮮は財政難でジンバブエの北朝鮮大使館を閉鎖した。その直前、ハラレ郊外にあるムバレ・ムシカ・マーケットにマイクロバスにて集団で乗りつけ、日用品を山盛り買いあさる北朝鮮外交官を何度も目撃したと、複数の人から聞いた。1980年代にジンバブエで仕事をしていた日本人は、「1980年代のジンバブエには沢山の北朝鮮の人が暮らしており、私が歩いていると、ジンバブエや北朝鮮の人から、おまえもNorth Koreanかと聞かれたものよ。」と言っていた。北朝鮮に医学留学していたと言うジンバブエ人にも会ったが、彼らは皆、80年代に北朝鮮に留学している。これはジンバブエに限ったことでない。タンザニア人の中にも北朝鮮留学をした人がいる。

しかし、2000年にワシントンDCという政治の街に暮らし始めてから、英国留学当時では考えられない情報が入ってくるようになった。米国NGO連合体でインターンをしていた2001年、たまたま防災訓練で一緒に階段を上り下りした彼が、実は米国NGO側を取りまとめ、米国政府との間に入って連携を取ろうとした陰のキープレイヤーの一人だった。その後、彼の紹介で、北朝鮮支援を行うNGO団体が定期的に集まる「北朝鮮ワーキング・グループ」に同席させてもらった。そうした場に居合わすことで、昔、英国で研究しようにも出来なかった北朝鮮人道・開発支援を研究したいと思うようになったのだ。

現在、私は育児中心の生活で、ワシントンDCの中心地に出かけて人に会うことなど出来ないが、育児の合間に読む本にも、彼の名前やグループの名前、そして「北朝鮮ワーキング・グループ」に参加していた当時のメンバーが、書籍や政府関連報告書に登場する。それ以外にもワシントンDCには、韓国料理を食べながら、韓国・北朝鮮をテーマにゲストがプレゼンテーションを行い、質疑応答を行うKorea Clubという場がある。そこで知り合い、気さくに話をした人も、実は専門書に登場していたりする。

こんな断片的な情報が私の元に集まっている。しかし、実際のところ、国際社会の対北朝鮮・人道・開発支援はいつ、誰が何をどれほど行ってきたのだろうか。1990年代以降、東西冷戦の終結にともない、国際社会も北朝鮮も大きく変わってきている。次回コラムでは、資料を基に時系列に追ってみる。

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