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2005年12月

2005年12月12日 (月)

子育てを中心としたボランティア活動(杉原ひろみ)

夫の仕事の関係でワシントンDCに暮らし始めて5年が過ぎた。この4月より日本の大学院に籍を置き、「北朝鮮における人道・開発援助研究」の研究を再開させたものの、まだまだ一日の大半を、国際協力の仕事とは直接的に関係のない子育てに明け暮れている。フィールドから届く他の執筆者の生き生きとしたコラムを読む度、自由に身動きが取れないわが身をもどかしく思うこともある。

娘が1歳半になり、外で活発に遊ぶようになってきた一年前、娘の遊び友達を求めて地元コミュニティが活動拠点になっている国際女性グループのメンバーになった。100名近い会員からなる子育てを中心としたボランティア団体だ。そこでは、親同伴で月齢の近い子供が集まって一緒に遊んだり、歌を歌ったり、工作をしたり、絵本の読み聞かせをしたりしている。すべて会員のボランティアで成り立っている。また、毎月1回夜、大人だけの文化交流イベントなども行っている。

会員の出身国もヨーロッパ、アジア、ラテン=アメリカ、中東など40カ国にのぼる。ワシントンDCという土地柄か、皆、学歴も経歴も高く、出身国に帰れば医者や弁護士、教師、研究者という会員が沢山いる。さらには開発援助関係者もいる。しかしワシントンDCに配偶者の仕事の関係でやってきたため、自分が培ってきたキャリアを十分に生かしきれないまま子育てをしている人が多いため、必然的にボランティア活動に熱が入る。

その中で、私は半年前から新会員受け入れコーディネーターになり、運営活動も始めた。運営者の一人になって積極的に汗を流さない限り、いつまでたっても私と娘の名前と顔を覚えてもらえず、サルのようにすぐに高い所に登ってしまう娘に対して、親身に注意したり怒ったりしてくれないと思ったからだ。また、「○○ちゃんのママ」から脱却して、私自身の名前を呼んでもらいたかったことも動機として挙げられる。

しかし、一旦運営者に加わると、そんな些細なことなどすっかり忘れ、毎日、さまざまな出会いや出来事が起こり、その対応に追われている。何せ会員の国籍、人種、宗教、キャリア等のバックグランドがさまざまであるため、組織のガバナンスや意思決定プロセスが複雑にならざるを得ないのだ。そして何より異文化間コミュニケーションの難しさを痛感している。また共通言語が英語であるため、どうしても英語が出来る会員のボイスが大きくなりがちである。

子育て中心のボランティア組織であることも忘れ、社会開発を行う上で欠かせない「参加型開発」を思い出したり、市民社会の側面から組織を俯瞰したりしている。今後、娘のお昼寝が続く限り、開発の視点から見た子育てのボランティア活動についてもコラムを書いていきたい。

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2005年12月 5日 (月)

ケニア・タンザニアでのボランティア-その4 アルーシャ編(早川元貴)

(前回のコラム「ケニア・タンザニアでのボランティア-その3 ナイロビ編」) 

4週間のボランティアも丁度折り返し点に達し、三週間目にはタンザニアのアルーシャに移動しました。アルーシャは私の勤めた東アフリカ共同体(EAC)の本部のある街です。以前お話したように、EACの加盟国はケニア、タンザニア、ウガンダの三国で、本部には200人ほどの職員が勤務しています。EACの本部が置かれている建物にはルワンダ国際刑事裁判所が入っていることもあり、国連職員や滑稽な白いカツラを被った裁判官の方を良く見かけました。ちなみに、私の滞在したアルーシャのホテルの冊子には「ようこそアフリカのジュネーブへ」、というような行があり、思わず苦笑いしてしまいました。

アルーシャでの私の主な仕事は、ダルエスサラーム、ナイロビでコンタクトを取った大使館、援助機関へのフォロー・アップとEAC保健部門のドナー・アウトリーチ戦略の作成です。また、私がアルーシャに着いた翌週に加盟国の保健大臣会議が開催されるということでその準備、会議中の事務的アシスタントも担当させていただきました。上司が言うには、この保健大臣会議ではEACの保健部門のプログラムの今後5年間の戦略的方向を決定するということで、かなり重要なものだということです。

会議期間は4日間でしたが、加盟三カ国の保健省から総勢30名ほどの代表団がやってきました。初日、二日目は高級事務レベルの会議で、各国保健省の事務次官とその補佐の方が中心となってEACの保健プログラムについて専門的な政策議論が展開されました。この事務次官レベルの政策議論は二日間延々と展開され、それぞれの国内事情、エイズなどの保健問題の政治的見解などを聞くことが出来、非常に面白いものでした。

高級事務レベルの会議では、事務次官とEAC事務局(私の上司)が政務官に提出する戦略文書を作成するのですが、30名の参加する文書作成過程はまさに議論、議論でまた議論です。そして30ページほどの下書き文書を一行、一行全体でレビューして行きます。「ここのセンテンスは“the”ではなく“a”であるべきだ」など、文字通り「重箱の隅をつつく」プロセスです。

3カ国の代表団の間で見解の違いがあり、事務次官レベルで取りまとめるのにかなり時間がかかりましたが、3日目には、無事、三カ国の政務官がEAC事務局が取りまとめた戦略書に署名、最終日には保健大臣が戦略合意書に署名して会議は終了しました。私はコピー取りなどに走り回ったり、かなり雑用作業に追われましたが、事務次官レベルのセッションの進行を担当させていただいたり、地域レベルでマルチの政策交渉の場に携わる有意義な経験をさせていただきました。

誰が言ったのか覚えていませんが、アフリカの経済発展の遅れの一つの要因として、「アフリカの人はあまり働かない、あまり勤勉でない」ということを耳にしたことがあります。そのときは「へえ」と聞き流していましたが、今思うと無性に腹が立ってしまいます。今回の滞在を通じて感じたことは、むしろ「アフリカの人は良く働く」ということです。少なくとも、私の出会った人達、ホテルの従業員にしろ、道路の清掃員、保健省の役人、EACのスタッフから受けた印象は、本当によく働く、というものです。特に、私の上司は本当に体力的にタフです。

その一方で、アフリカ社会の物資の不足という問題は非常に身近に感じられました。ぼろぼろのホウキで道を掃く裸足の清掃員の人たち、午前中一度もクラッシュしなかったらラッキーと感じさせるコンピューター、大量コピーをすると必ず紙詰りを起こすコピー機、ハサミと糊を使った手作りのアドレス・ラベル(EACの秘書は「アフリカ・スタイル」と呼んでいましたが。)、ワシントンDCやジュネーブの職場で当然と思っていた些細な物が、アフリカでは手に入らない、またそのことでフラストレーションも溜まりました。そんな訳で、現地人、外国人を問わず、そんな物資に恵まれていない環境の中で毎日熱心に働く人達には、ただただ頭がさがる思いです。

ボランティアを終えてジュネーブに戻ってきてから1-2週間ほどは本当に上機嫌というか、自分でも身体の調子が良いというのが感じられました。それはタンザニアからジュネーブに戻ってこれたのが嬉しかったのか、或いはボランティアで良い経験をした為かは定かではありませんが、今回のボランティアが自分にとって良い経験であったということには変わりはありません。

ボランティア期間中はいろいろな経験をしましたが、その中でも、実際にフィールドを自分の目で見ることができたこと、アフリカでも自分のスキル・専門知識を活かして仕事が出来るという自信がついたことが最も大きな収穫でしょうか。現地の人との触れ合いも間違いなく貴重な経験だったと思います。

渡航前、以前務めていたワシントンDCのNGOの上司から「アフリカの人の親切さ、優しさを実感する良い機会になるね」てなことを言われました。セネガルに住んだことのあるWHOの同僚もアフリカの人たちの親しみやすさや人懐っこさについて、いつか話していました。アフリカを画一的に捉えて美化するつもりはありませんが、今回のボランティアを通して考えると、やはり彼らの言っていたことは多かれ少なかれ当たっていたかなっという感じがいたします。

「来年また来るかもしれません。」と別れ際に上司に半ば冗談で言いましたが、機会があれば是非もう一度訪れたいと思います。「フィールドに行こう」は、またしばらく私の目標になりそうです。

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