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2006年1月 9日 (月)

続・マラウイ徒然1  元旦にマラウイ政治の歴史をふりかえる(小林由季)

2006年 明けましておめでとうございます。

新年にちなんで、しばらくお休みしていた「マラウイ徒然」に「続」をつけて、再開してみようかという気持ちになった。

私は昨年に引き続き、マラウイのブランタイヤで年を越したが、雨季の中、元旦は曇空で明け、一日中雨が降っては止みしており、青空はついに見ることがなかった。

元旦の朝、起きてテレビを点けると、TV Malawiでは「マラウイの歴史」として、マラウイの初代大統領カムズ・バンダ博士の演説が放映されていた。マラウイは64年にイギリスより独立したが、その直後に大統領になったカムズ博士は「マラウイの人間は一生懸命に働かなければならない。我々には(ザンビアにある)銅鉱も(南アフリカにある)金鉱もないが、土地がある。この土地が経済の源となる。マラウイが発展していくためには、Loyalty (国への忠誠)を中心にしたUnity (異なるエスニック・グループを超えた団結)が必要だ。しかしこれだけでは十分ではない。更に、Discipline(規律)とObedience (従順)も大事である。」と演説していた。「これがカムズ大統領のMalawi's Four Cornerstones(四つの礎)だよ。」と横で夫が説明してくれる。(*カッコ内は小林による注。)

強力なリーダーシップで国民を引っ張ったカムズ大統領は、周囲の国が共産主義化し、南アフリカのアパルトヘイトに反対する中、資本主義を貫き、南アフリカを支持することを宣言し、南アフリカからの支援を引き出し、台湾と国交を結んだ。彼によれば、それが南部アフリカの内陸国、資源のないマラウイの生き残る道であった。自らを終身大統領と規定したバンダ大統領であるが、言論の自由を統制してMalawi Congress Party(MCP)による一党制支配を保持し、大勢の人が秘密警察に逮捕され、政治難民として国外に逃れる人も出て、独裁政権と批判されました。それでも、「あの時は物言えば唇寒しだったけれど、飢えることだけはなかった。」と、近年ではその経済運営手腕が懐かしがられてもいる。

しかしデモクラシーへの流れの中、終身大統領制は終焉を見ることになる。93年にレファレンダムによる多党制への移行が行われた後、94年の総選挙ではカムズ博士が率いていたMalawi Congress Party(MCP)は多数議席を取ることができず、United Democratic Front (UDF)が与党となり、その党首であるバキリ・ムルジ博士が大統領になった。その後2004年までの10年間、UDFは与党であり続けましたが、カムズ時代からの揺れ戻しだろうか、国はデモクラシーへの移行、人権の確立の面では進歩したが、規律や統制を失い、重要な経済インフラを民営化した結果、経済面では後退したとも言われた。

2004年の選挙で大統領になったビング・ワ・ムタリカ博士は、UDFが擁立した人物ですが、特に経済運営面で、カムズ政権時代への回帰を唱え、就任時には「私たちは自分たちの国を発展させることができる。外国の助けも借りるけれども、発展の形は私たちが描くのです。」とスピーチをしている。

そのムタリカ大統領は05年にはUDFを離脱して自分の政党であるDemocratic Progressive Party (DPP)を設立。大統領についていく形でUDFなど既存の政党から議員が離脱したが、それでもなお昨年の国会ではUDFとMCPが半ば連立したような形で国会の議席数188(全議席数193に対して、当時5議席が空席だった)の内、107議席を占めて多数野党を形成、その中に議員の出身地別の対立も入り込み、国家の年度予算成立への妨害や、大統領弾劾動議が提出され、合間にストレスであろうか、国会の議長が会期中の議場で心臓発作で倒れて帰らぬ人になるなど、政治的には非常にturbulent(大荒れ)な一年であった。

しかし05年12月に行われた議員選挙の補選は、大統領の党であるDPPに対する信任投票のような形となって、5議席全てでDPPが当選した。大統領も「たとえ弾劾されても、もう一度選挙に出て勝利する自信がある」とコメントしている。そのせいか、これも元旦のTV Malawi番組「大統領日記Presidential Diary」では、国民への新年のメッセージとして大統領が次のようにスピーチした。「私は2004年の当選後、昨年までにXX道路やXX水路、国会議事堂建設など、さまざまな開発プロジェクトを立ち上げてきました。開発プロジェクトのサイト選定には、その選挙区の議員が政権側であるかどうかは関係ありません。(中略)野党の皆さんも一緒に国の開発のために頑張りましょう。」大統領は比較的簡単だが、自分の実績をアピールしつつ、野党に対しては、政治的に自分に刃向かうのではなく、一緒に開発を頑張ろうと言っているのでした。

私 「ところで、バンダ大統領の「四つの礎」だけど、Loyalty(忠誠)とUnity(団結)、Discipline(規律)までは今でも大事にした方がいいように思うけれど、Obedience(従順)というのは誰に対するObedienceだったの?」
夫 「特に誰に対する、ということではなくて、Don't argue, just do it ということだよ。」

むむ。独裁政権で名高い「カムズ大統領」に対する服従、ということではなく、「不言実行(理屈を言わずにすべきことを黙って実行すること)」ということだったのか?本当にそうであれば、今も生きるべきValueだとは思うけれど。

私は、大雨の中、暮れていく元旦につらつらと次のようなことを考えました。マラウイの人々が、誰かにObedient(服従する)になるのではなく、自分たちで考えて、働いて、自立できる社会になるよう、自分は開発コンサルタントとして、またNGOのメンバーとして、「夫が申すところのObedientに」マラウイの開発・発展に少しでも貢献していけたらいいな、と。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

(以前のマラウィ徒然バックナンバーはこちら

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