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2006年5月

2006年5月29日 (月)

米国NGOが実施した米朝二国間の人道援助(杉原ひろみ)

(前回のコラム「米国の北朝鮮人権法の成立過程を追う」)

「米国の対北朝鮮人道・開発支援」に関して、特定の政策立案プロセスを研究したいのか。それとも具体的なプログラムやプロジェクトに焦点を当てた研究をしたいのか。前回のコラムでは、政策レベルの研究の一例として、北朝鮮人権法の成立過程について考えてみた。今回のコラムは、具体的なプログラム・プロジェクト焦点を当てて考えてみることにする。

リードによると、北朝鮮でどのドナーも人道援助の枠組みを超え、大がかりな開発援助を進められない理由は主に2つある。一つに、核問題や人権問題など政治的な対立が解決していないため、開発援助を見合わせているのである。二つに、開発援助の実務者の間で常に問題になることとして、北朝鮮内部における透明性とデータ収集能力の欠如、そして包括的な評価(assessment)に対して非協力的であるため、開発援助を実施するのに限界があることだ(Reed, 2005)。

では、アメリカが大がかりに北朝鮮に対して援助を行わない最大の理由は何であろうか。まず、米国の法律に「国際テロ支援国家に対して、開発援助は行わない。」という条項があり、北朝鮮は国務省の国際テロ支援国家リストの中に入っているからだ。また、仮に開発援助を行えたとしても、開発プロジェクトに対するモニタリング・評価ができなければ、米国議会に対して説明責任を果たせず、十分な支持を得られないのではないか。つまり、食糧援助が北朝鮮の独裁体制を維持させることにつながるのではないか、また食糧援助をすることで、一体、誰が恩恵を被るのか、と言った問いに対して納得できる答えが用意できない限り、本格的な支援は難しい。

そんな中、国際NGOはさまざまな形で北朝鮮支援を行っている。国際NGOの場合、たとえば、英国セーブ・ザ・チルドレンは、栄養士をUNICEF北朝鮮に派遣し、そこを窓口に北朝鮮支援を行った。また、キリスト教系の国際NGOカリタスは、世界規模のネットワークをふるに活用している。最初、カリタス・ドイツが北朝鮮支援を行っていたが、カリタス香港がリエゾン機関として北朝鮮と関わる必要性もあり、また適切であるとして取って代わられた(Smith, 2002)。このように、NGOの特徴でもある柔軟性をうまく活用し、北朝鮮支援を行ってきている。

他方、アメリカのNGOはどうだろうか。米朝間には国交がないため、多くの国交があるヨーロッパ諸国とは援助のやり方を異にする。しかし、決定的に違うのは、米国政府とNGOが極めて近い関係にあることではないだろうか。

1997年6月に米国政府は、米国NGOコンソーシアム(以後、コンソーシアム)の組織支援を開始した。それには、WFPを通じて行っている食糧の配給やモニタリングを、米国NGOに行ってもらいたいという思いがあった。他方、米国のNGOは、北朝鮮の大洪水の危機が一段落すると、民間から共感を得られにくくなり、活動資金を受けられなくなってきたこと、平壌でのプレゼンスを高める必要性があったことなどから米国政府の援助スキームに接近した(Flake, 2003)。

そして、1997年8月から2000年5月までの間に、コンソーシアムは5つのプロジェクトを実施した。うち最初の4回は、WFPを通じて行われた食糧支援やfood-for-work(FFW)(注釈=FFWとは何か)プログラムのモニタリングである。そしてコンソーシアムが実施した最後のプロジェクトとして、1999年7月から2000年5月まで、初の、そして最後の米朝二カ国間食糧援助(米国政府の緊急食糧支援予算枠を使用)「じゃがいもプロジェクト」(the Potato Project)がある。

具体的には、米国政府とコンソーシアム、そして北朝鮮政府(Flood Damage Rehabilitation Committee)の三者間でプロジェクトの契約合意書を作成し、実施した。コンソーシアム設立当初のプロジェクト調整および信託機関をCARE(The Cooperative for Assistance and Relief Everywhere)とし、コンソーシアムをリードする機関として位置づけられた。

予算規模はUSAIDが二国間食糧援助プロジェクトとして1500万ドル、米国農務省が1180万ドル、そしてNGOコンソーシアムが60万ドルを拠出することになっていたが、1年後、はやくもプロジェクトが頓挫し、結果的に約100万ドルの支出(うち60%がコンソーシアムの支出)段階で、失敗に終わった(GAO, 2000)。

「じゃがいもプロジェクト」の失敗原因として、プロジェクト開始時期が遅れたことや、悪天候なども挙がっているが、根本的な問題は、プロジェクト目的の相違ではないだろうか。GAOの報告書によれば、米国側の目的は、北朝鮮の農民によるじゃがいもの生産を向上させることにあったが、北朝鮮側は商業グレードの種いも生産技術の移転を受けることを期待していたのだ。

また、コンソーシアム側の言い分として、なかなかビザが降りず、プロジェクト現場に入り込めなかったこと、また、北朝鮮国内の移動の自由がなく、移動の自由がなかったこと、モニタリングが十分にできなかったこと等を挙げている。さらに、プロジェクトのリード役だったCAREはプロジェクト終了の1ヵ月後、コンソーシアムから脱退する意向を示した。その理由として、北朝鮮は緊急援助から復興・開発プログラムを推し進める時期にさしかかり、北朝鮮の上級レベルの人と協議したいがそれが出来ないこと、開発プロジェクトを進める上で、透明性やアカンタビリティが重要であることを理解されないこと等を挙げている(Flake, 2003)(McCarthy, 2000)。

こうしたプロジェクトを実施したことで、北朝鮮との相互理解や信頼関係が構築されるどころか、北朝鮮に懐疑心を植えつけ、結果的に不信感を増大させたとも言える。スミスによれば、米国政府やNGOに対する北朝鮮側の指摘として、「米国からの食糧援助の大半はWFPを通じて行っている。また、これまで、米国援助によるFFWプログラムは、WFPの物流システムを使って実施された。それなのになぜ、じゃがいもプロジェクトはWFPでなく米国NGOが行う必要があるのか。」とある。また、食糧援助のためのモニタリングか、それともモニタリング(監視)のための食糧支援なのか、わかりかねることが多いと、北朝鮮代表は報告書に記しているそうだ(Smith, 2002)。

「じゃがいもプロジェクト」開始の経緯と実施状況、そして結果などを見る限り、どこの国のどのプロジェクトにも起こり得ることであり、特筆すべき点はあるだろうかと思う。これが私の追求すべき研究材料なのだろうか。悩みは深くなる一方である。

それはさておき、今後の注目すべき点として、ヨーロッパの対北朝鮮支援のあり方が挙げられる。ヨーロッパの多くの国は、WFPないしECHO(欧州人道援助局)を通じて北朝鮮支援を行っているが、ドイツは二国間の援助を行っている(UN, 2002)。ドイツ政府の援助方針とドイツNGOの動きに着目すると、また違った形で欧米の対北朝鮮人道・開発支援のあり方が見えてくるに違いない。

参考文献

●Edward P. Reed. 2005. "The Role of International Aid Organizations in the Development of North Korea: Experience and Prospects". Asian Perspective. Vol. 29, No.3, pp.51-72.
● “Report to the Chairman, Committee on International Relations: Foreign Assistance: North Korea Restricts Food Aid Monitoring,” GAO NSISD-00-35, October 1999.
● “Report to the Chairman, and Ranking Minority Member, Committee on International Relations, House of Representatives: Foreign Assistance: U.S. Bilateral Food Assistance to North Korea Had Mixed Results,” GAO NSIAD-00-175, June 2000.
● L. Gordon Flake. 2003. “The Experience of U.S. NGOs in North Korea.” L. Gordon Flake and Scott Snyder (eds.). Paved with Good Intentions ? The NGO Experience in North Korea. London: Praeger.
● Thomas McCarthy. 2000. “CARE’s Withdrawal from North Korea”Nautilus Institute PFO 00-03: DPRK Development Aid.
● Hazel Smith. 2002. “Overcoming Humanitarian Dilemmas in the DPRK (North Korea)”. Special Report 90. United States Institute of Peace.
● United Nations. 2002. “DPR Korea Common Country Assessment”.

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2006年5月22日 (月)

人々の中のNGO(位田和美)

(前回のコラム「行動変容へのあくなき挑戦」)

今回は、本コラムのタイトルでもある「NGO」の存在をめぐり、村落部の人々を取り巻く社会環境を概観してみたい。しかし、「村落部の人々」と一概に括ることはできないため、ここで述べることは私の活動村という一例であり、私の所感に過ぎないことを冒頭に言及しておきたい。

まず、私自身が活動を行う村(活動村)を選ぶ際に、学校やヘルスクリニックなどの公共機関やNGOが活動している土地を選んだせいもあろうが、当地では村落部の人々の生活の中にNGO支援が深く根付いているという印象を受ける。例えば、人が生まれ、体重測定をする際にはNGOが体重計や軽体重児への栄養補給食を支給し、村の地域保健普及員による体重測定の監督を行っている。疾病予防のための啓発活動にかかる教材供与もしかりである。子供が学校へ行くようになると、NGOから学校に対し学用品や給食時に使用する食器、食器洗いのための洗剤、大きなものになると学校建設(クラス、塀)の支援を受ける。また、視聴覚教育充実のためにソーラーパネル、ビデオ機材を供与されている学校さえも存在する。他方、大人、特に女性を対象にした識字教室の開催・運営もNGOが支援しており、生活技術指導とともに成果をあげている。他には、村人の生活基盤である給水塔、中規模換金作物作りのための種子や畑の柵といった材料も供与され、その維持管理の監督もNGOが務めている。さらには、村の一大関心事、つまり、人々が自ら資金を提供しようとする動機づけが高いとされている宗教行事を開いたりするときでさえ、NGOから資金援助を受けている場合もある。

このように、人々は複数NGOの支援を受けているため、フォーカルポイントとなっている村の代表者はそれこそ息つく暇もないほど対応に追われている。逆に、フォーカルポイントがしっかり業務管理していればいるほど、NGOにとっても支援しやすい村と判断され、さらなる支援を見込むことができるようである。

そのNGO活動であるが、私は実態を目にする前は人々が支援要請をあげ、NGOがそれに応える要請主義形式が主体かと思っていたのであるが、実際には要請主義を掲げながら、NGOが積んできた経験を基にプロジェクト導入の雛型のようなものがあり、NGOからの提案方式でコトが進められていることが多いように感じる。
しかしながら、NGO支援開始にはさまざまな経緯が存在する。

例えば、セネガル政府が国家プロジェクトとして始めたものの経過観察および深化を目的とした引継ぎ形式がある。特定のNGOが引き継いだ政府プロジェクトのさらなる引継ぎもある。当地では乳幼児死亡率低下のための栄養プロジェクトがこれに該当する。

また、本来であれば公共機関(私の赴任地では医療機関であることが多い)の業務であるのであるが、資材・人材不足から人々や、公共機関までもがNGOに支援要請し、実施するという形式もある。全国一斉ワクチン接種や学校行事開催がこれに該当する。

いずれにしろ、NGOは公共サービスの代替であるという印象を強く受けることが多い。

上記に見るように、当地では人々の生活の中にはNGO支援が根付いていると言っても過言ではないだろう。人々にとってはNGOが地方公共団体より身近な存在であったりする。

私は赴任当初、上記の状態を「援助づけ」「住民の意向を無視した、上からの押し付け形式」と一括りに見る傾向があった。しかしながら、2年近く観察していると、日々食べていくことに加え、簡易診療所から学校運営に至るまでコミュニティが負荷を負っている現状を鑑みると、NGO支援がどのような形であれ(仮に住民が受け身であったとしても)、実際に人々にとって必要であり、役に立っていることが確かな場合が多い。むしろ、私見ではその支援期間に有限性のあるNGO支援終了「後」の村落開発こそが課題であり、支援終了後を見据えた活動計画が欠如しているとの問題意識を抱いている。

その中で協力隊員としてどのような役割を見出すのか。次回のコラムでは、草の根レベルで活動する青年海外協力隊の役割とその醍醐味を記したい。

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2006年5月18日 (木)

「フューチャー・ポジティブ 開発援助の大転換」が書店に並びます

ウェブマスターから速報です。
「地球に乾杯!NGO」執筆者が翻訳に参加したマイケル・エドワーズ著「フューチャー・ポジティブ 開発援助の大転換」(原著:Future Positive: International Co-operation in the 21st Century)がいよいよ2006年5月中旬に日本評論社から刊行予定です。
CSOネットワーク・杉原ひろみ/企画・監修
杉原ひろみ・畑島宏之・鈴木恵子・粒良麻知子/訳 
Amazon.co.jpへのリンク
BK1へのリンク


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「国際協力におけるNGOや国際機関の役割とは? なぜ信頼性が低下したのか? 説明責任を果たしてない現状を見つめ、問題提起。」(出版社の案内文)

推薦のことば
緒方貞子
国際協力機構(JICA)理事長

「本書は国際協力の現状を厳しく見つめ、将来像を前向きかつ大胆に描いた良書です。開発や国際関係の専門家にとどまらず、広く一般の方々に読んでいただきたいと思います。」

目次

まえがき  
謝 辞  
第I部 過去をふりかえって
第1章 国際協力の責務 
第2章 国際協力の歴史:一九四五年から今日まで
第3章 経済成長と政治体制 
第4章 開発プロジェクト再考:大きいことはいいことなのか
第5章 人道支援の現状 
第6章 まとめ:「アメ」と「ムチ」と援助の受け手の主体性
 
第II部 未来を考える
第7章 新しい対外援助のありかた 
第8章 血の通った資本主義
第9章 グローバル・ガバナンスの未来 
第10章 変革に向けた支持基盤の構築:チャリティの盛衰
第11章 組織の改革と自己変革 
第12章 結論:私たちには何ができるか
訳者解説   

2006年5月15日 (月)

米国の北朝鮮人権法の成立過程を追う(杉原ひろみ)

(前回のコラム「欧米における北朝鮮人道・開発研究」)

欧米の対北朝鮮人道・開発支援をテーマに研究を始めたが、自分の専門が違うからあれができない、実務で扱って来なかったからこれは出来ない等、へりくつを並べているうちに一ヶ月が過ぎてしまった。なぜ出来ないのか、やりたくないのか、その理由を明確に文章に記すだけでも意義あることではないか。

最初の自分自身への問いかけは、「米国の対北朝鮮人道・開発支援」に関して、特定の政策立案プロセスを研究したいのか?それとも具体的なプログラムやプロジェクトに焦点を当てた研究をしたいのか?

政策レベルの研究としてどのようなものが考えられるか。今回コラムでは、カリン・リー他が書いた「North Korea on Capitol Hill」という論文を元に、2004年10月18日に米国で制定された北朝鮮人権法の成立過程に焦点を当ててみる。

北朝鮮の人権問題が取り上げられるようになったのは、ブッシュ政権が始まる2001年以降である。クリントン政権時は、主に食糧問題の是非が議論されていた。クリントン大統領は、北朝鮮に対して宥和政策(engagement)をとり対話を唱える一方で、議会では共和党を中心に強硬政策を唱える者が多かった。共和党は、食糧援助のモニタリングが十分に行われていないことを理由に、食糧援助が北朝鮮の政体維持に使われているのではないかと主張し、強硬姿勢をとったのである。なお、1999年10月にGAO(米国会計検査院)は「Foreign Assistance: North Korea Restricts Food Aid Monitoring」という食糧援助のモニタリングに関する報告書を発表している。

他方、民主党は政治と人道支援とは別であり、食糧援助が重要であると反対し、97年8月から2000年5月まで、USAIDのファンドによりNGOがコンソーシアムを組み(米国NGO連合体の「インターアクション」が調整役)(参考)、食糧援助を実施すると同時に、議会に対して、北朝鮮への人道支援を継続することの重要性を訴えていった。

2001年から始まるブッシュ政権では、北朝鮮に対して、食糧援助よりむしろ、難民流出と人権問題を抱き合わせて考え、強硬政策を取るようになった。その流れで、2002年5月にNGO「国境なき医師団」が、そして6月にはドイツのNGO「ドイツ緊急医師団」のメンバーとして北朝鮮で1年半働いたノルベルト・フォラツェン医師が上院の公聴会に呼ばれて証言した。(参考)北朝鮮で大勢の人が難民として国外脱出を図り、その結果、東欧型の崩壊をするという、ドイツ人医師が主張したシナリオはインパクトを持ち、ハドソン研究所を中心に支持を得た。

そして同年10月には、米国北朝鮮人権委員会(the US Committee for North Korean Human Rights: HRNK)が設立され、翌2003年6月には同委員会の会長が国会で、北朝鮮の核兵器開発防止要求と同じくらい人権問題が重要であると訴えた。そして21団体が集まって北朝鮮自由化連合(the North Korea Freedom Coalition: NKFC)が設立、人権問題を優先し、援助には反対の姿勢を取った。その背後には、キリスト教の福音派(Evangelical)や在米韓国人教会コミュニティなど草の根の支援が大きかった。

2003年に法案が審議されたが、人権問題の他、大量破壊兵器、麻薬貿易など、内容が多岐に渡り、北朝鮮政府の「体制変化」要求という、政治目的があまりに明確であったため、法案は通過しなかった。翌年の法案では政治色が薄まり、「人道課題」(humanitarian agenda)中心となったこともあり、2004年10月18日にブッシュ大統領が署名して法が制定された。

しかし、そこでいくつか疑問が沸き起こる。第一の疑問として、法が制定されて以降、何か変わったのか?

人権法が出来た背景として、議会における対北朝鮮強硬派(体制変革を求める)が政府内でどんどん力をつけたことにあるのではないか。予算として2005年から2008年度まで毎年2000万ドル(約2億円)の予算が計上されたが、政治的意図が主眼であり、人道目的の支援は二の次であるためか、法律の実行性に乏しい。2006年3月24日付け東亜日報では、レフコウィッツ北朝鮮人権特使へのインタビュー記事を掲載しているが、冒頭に「米政府は、04年に通過した北朝鮮人権法の制定後これまで、たった1人の脱北者も難民の地位を受けていない。」と指摘している。2004年の北朝鮮人権法に基づく米国の脱北者受け入れは2006年5月が最初である。法が制定されることと、それを実施することとはまったく別の作業である。だとしたら、それは一体誰の何のための法律なのか。

第二の疑問として、クリントン政権時に力を持っていた宥和政策支持派はどこに行ったのか。かつて私が米国NGO連合体でインターンをしていた時、クリントン政権時に政治職としてUSAIDの要職に就いていた人が、ブッシュ政権移行後、インターアクションに転職してきた。しかしそうした人も、じきに辞めて消えていった。彼女のような人たちは一体、今、どこで何をしているのか。

そして第三の疑問として、人権法を支援したグループの中でも、在米韓国人キリスト教コミュニティ、福音派、ハドソン研究所等は各々支援の意図は異なるはずである。各々のステークホルダーの利害と思惑はどこにあったのだろうか。元USAID長官アンドリュー・ナチオスはかつて、米国NGO「ワールド・ビジョン」の副会長として北朝鮮を訪問しているが、そのNGOは福音派に属している。ステークホルダーの思惑と政治的利害がどのように交差して、人権法制定に至ったのだろうか。

特定の政策立案のプロセスの研究は、本当に自分自身が求めている研究なのだろうか?悩みは尽きない。

参考文献
● Karin Lee and Adam Miles. 2004. “North Korea on Capitol Hill”. Asian Perspective, Vol. 28. No.4. pp.185-207.
● “Report to the Chairman, Committee on International Relations: Foreign Assistance: North Korea Restricts Food Aid Monitoring,” GAO NSISD-00-35, October 1999.
● 東亜日報2006年3月24日付記事「米、脱北者に近く難民の地位を付与」
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2006032478948&path_dir=20060324

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