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2006年5月15日 (月)

米国の北朝鮮人権法の成立過程を追う(杉原ひろみ)

(前回のコラム「欧米における北朝鮮人道・開発研究」)

欧米の対北朝鮮人道・開発支援をテーマに研究を始めたが、自分の専門が違うからあれができない、実務で扱って来なかったからこれは出来ない等、へりくつを並べているうちに一ヶ月が過ぎてしまった。なぜ出来ないのか、やりたくないのか、その理由を明確に文章に記すだけでも意義あることではないか。

最初の自分自身への問いかけは、「米国の対北朝鮮人道・開発支援」に関して、特定の政策立案プロセスを研究したいのか?それとも具体的なプログラムやプロジェクトに焦点を当てた研究をしたいのか?

政策レベルの研究としてどのようなものが考えられるか。今回コラムでは、カリン・リー他が書いた「North Korea on Capitol Hill」という論文を元に、2004年10月18日に米国で制定された北朝鮮人権法の成立過程に焦点を当ててみる。

北朝鮮の人権問題が取り上げられるようになったのは、ブッシュ政権が始まる2001年以降である。クリントン政権時は、主に食糧問題の是非が議論されていた。クリントン大統領は、北朝鮮に対して宥和政策(engagement)をとり対話を唱える一方で、議会では共和党を中心に強硬政策を唱える者が多かった。共和党は、食糧援助のモニタリングが十分に行われていないことを理由に、食糧援助が北朝鮮の政体維持に使われているのではないかと主張し、強硬姿勢をとったのである。なお、1999年10月にGAO(米国会計検査院)は「Foreign Assistance: North Korea Restricts Food Aid Monitoring」という食糧援助のモニタリングに関する報告書を発表している。

他方、民主党は政治と人道支援とは別であり、食糧援助が重要であると反対し、97年8月から2000年5月まで、USAIDのファンドによりNGOがコンソーシアムを組み(米国NGO連合体の「インターアクション」が調整役)(参考)、食糧援助を実施すると同時に、議会に対して、北朝鮮への人道支援を継続することの重要性を訴えていった。

2001年から始まるブッシュ政権では、北朝鮮に対して、食糧援助よりむしろ、難民流出と人権問題を抱き合わせて考え、強硬政策を取るようになった。その流れで、2002年5月にNGO「国境なき医師団」が、そして6月にはドイツのNGO「ドイツ緊急医師団」のメンバーとして北朝鮮で1年半働いたノルベルト・フォラツェン医師が上院の公聴会に呼ばれて証言した。(参考)北朝鮮で大勢の人が難民として国外脱出を図り、その結果、東欧型の崩壊をするという、ドイツ人医師が主張したシナリオはインパクトを持ち、ハドソン研究所を中心に支持を得た。

そして同年10月には、米国北朝鮮人権委員会(the US Committee for North Korean Human Rights: HRNK)が設立され、翌2003年6月には同委員会の会長が国会で、北朝鮮の核兵器開発防止要求と同じくらい人権問題が重要であると訴えた。そして21団体が集まって北朝鮮自由化連合(the North Korea Freedom Coalition: NKFC)が設立、人権問題を優先し、援助には反対の姿勢を取った。その背後には、キリスト教の福音派(Evangelical)や在米韓国人教会コミュニティなど草の根の支援が大きかった。

2003年に法案が審議されたが、人権問題の他、大量破壊兵器、麻薬貿易など、内容が多岐に渡り、北朝鮮政府の「体制変化」要求という、政治目的があまりに明確であったため、法案は通過しなかった。翌年の法案では政治色が薄まり、「人道課題」(humanitarian agenda)中心となったこともあり、2004年10月18日にブッシュ大統領が署名して法が制定された。

しかし、そこでいくつか疑問が沸き起こる。第一の疑問として、法が制定されて以降、何か変わったのか?

人権法が出来た背景として、議会における対北朝鮮強硬派(体制変革を求める)が政府内でどんどん力をつけたことにあるのではないか。予算として2005年から2008年度まで毎年2000万ドル(約2億円)の予算が計上されたが、政治的意図が主眼であり、人道目的の支援は二の次であるためか、法律の実行性に乏しい。2006年3月24日付け東亜日報では、レフコウィッツ北朝鮮人権特使へのインタビュー記事を掲載しているが、冒頭に「米政府は、04年に通過した北朝鮮人権法の制定後これまで、たった1人の脱北者も難民の地位を受けていない。」と指摘している。2004年の北朝鮮人権法に基づく米国の脱北者受け入れは2006年5月が最初である。法が制定されることと、それを実施することとはまったく別の作業である。だとしたら、それは一体誰の何のための法律なのか。

第二の疑問として、クリントン政権時に力を持っていた宥和政策支持派はどこに行ったのか。かつて私が米国NGO連合体でインターンをしていた時、クリントン政権時に政治職としてUSAIDの要職に就いていた人が、ブッシュ政権移行後、インターアクションに転職してきた。しかしそうした人も、じきに辞めて消えていった。彼女のような人たちは一体、今、どこで何をしているのか。

そして第三の疑問として、人権法を支援したグループの中でも、在米韓国人キリスト教コミュニティ、福音派、ハドソン研究所等は各々支援の意図は異なるはずである。各々のステークホルダーの利害と思惑はどこにあったのだろうか。元USAID長官アンドリュー・ナチオスはかつて、米国NGO「ワールド・ビジョン」の副会長として北朝鮮を訪問しているが、そのNGOは福音派に属している。ステークホルダーの思惑と政治的利害がどのように交差して、人権法制定に至ったのだろうか。

特定の政策立案のプロセスの研究は、本当に自分自身が求めている研究なのだろうか?悩みは尽きない。

参考文献
● Karin Lee and Adam Miles. 2004. “North Korea on Capitol Hill”. Asian Perspective, Vol. 28. No.4. pp.185-207.
● “Report to the Chairman, Committee on International Relations: Foreign Assistance: North Korea Restricts Food Aid Monitoring,” GAO NSISD-00-35, October 1999.
● 東亜日報2006年3月24日付記事「米、脱北者に近く難民の地位を付与」
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2006032478948&path_dir=20060324

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