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フィールド体験

2007年10月14日 (日)

パイロット活動(位田和美)

(前回のコラム「青少年センターにおける現行啓発活動調査」)

任期中の最後の1ヶ月間、腰を据えて1箇所で活動できたことは、非常に実りの多いものであった。というのも、約1ヶ月間の調査中は、各青少年センターにつき3-4日間の日程で、スタッフとの成果分析(不賛成意見多数につき、折り合いに時間がかかる)、地域のキーパーソンへの聞き取り(まず日程調整が至難の業であり、現場へ行かないとアポは取れず、アポは取れても守られるとは限らない)、青少年へのインタビュー(学年末であったがためにアクセスが困難であり、さらに、本音を聞きだすのに時間がかかる)、啓発活動の見学、と盛りだくさんであった。そして、盛りだくさんであるがために、自らのエネルギーを使い切ったにも関わらず、一過性の活動に陥る可能性が否めなかった。実際、調査を終え、配属先である青年省へ中間報告をした際には、先方の賛辞とは裏腹に、人事問題や保健システム不備という根本問題を目にし、私には焦燥感、無力感だけが積もった。

そんな精神状態で臨んだパイロット活動であったが、スタッフとの関係が深まるにつけ、さまざまな内外の課題を抱えつつも、自らの哲学をもってできることから地に足をつけて取り組んでいる、青少年センタースタッフの姿に感銘を受けた。例えば、青少年センターに検査技師を雇用するのが困難であるのならば、出張検査を実施し(日当を出すことができる)、何とかセンターと検査技師とのつながりを保ったり、パートナー援助機関からの資金配当が遅延しているのならば、保健センターが実施するルレ(コミュニティヘルスワーカー)の研修場所を提供することにより、効率よく保健センターやルレとの連携を保っていたり、ITが苦手であれば、隣の青少年局でボランティアをしている人に頼んで手伝ってもらい、月間報告書の義務は(意外にも)きっちりと達成しようとしていたり、等々。これら最低限のセンターの機能を守る努力を見、質の改善は大きな課題ではあるが、なぜ目標に掲げている固定検査数が伸びないのか、ピュアエデュケーターやルレが思うように機能していないのか、を理解することはできた。

そこで、実際の活動としては、フィージビリティに配慮し、①センター長が活かしきれていない人脈を駆使し、また、センターの最大の課題である広報活動を克服すべく、ロビー活動の強化、②ロビー活動をする上で補助となる、広報ツールの作成、③さらなるお金をかけなくても啓発活動ができるよう、IEC技師の部屋に埋もれている「使える」啓発教材の整理・活用、④今までセンター長の感覚で実施してきた活動を客観視すべく、四半期毎の目標設定・掲示、の4つを活動として行った。

この1ヶ月間の活動の最大の成果は、上記①のロビー活動であろう。センター長は、一番はじめに訪れたロビー活動先である市役所にして、青少年センターがその存在以外に、機能や役割等まったく理解されていなかったことを初めて知ったのである(知名度が低いとの調査結果にも、最後まで反対していた)。これまで、何となく日々の付き合いから知られているだろうと踏んでいた青少年センターが知られていなかったという事実に対して、センター長はすぐさま認識を改め、その後、教育委員会、宗教指導者、州議会、軍医務局とロビー活動を重ねていくにつれて、説明型から提案型へ変わっていき、また、各機関が抱える課題をセンター長と共有してくれるようになり、センター長も地域問題のコーディネーターとしての役割をも認識するようになった。

結果として、宗教指導者からの提案により、「イスラムとリプロダクティブヘルス」と題したコンファレンス開催という運びとなった。(2007年10月7日現在、まだ開催はされていません)これは、特定地域での教育現場におけるリプロ教育反対という保守派への対応に困っていた教育委員会のニーズにも応えるテーマであり、また、今まで単独で活動してきた各機関にとっても、連携強化のチャンスである。当コンファレンスが開催されれば、より一層の相乗効果が期待でき、今回介入した青少年センターの活性化にもつながると踏んでいる。

こうして、前半こそ課題の多さ、重さに無力感を感じたものの、何とか改善の糸筋を見出すことができた。もちろん、これで課題がすべて解決した訳ではないし、スタッフの活動継続性はモニタリングしていかなければならない。けれど、今回垣間見させてもらった、現場の人々の背伸びしない、でも希望を失わず、細々と続けるという姿勢が、私自身を現場で働くよう惹きつける最も大きな要因であることを再認識した滞在であった。

以上

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2007年9月14日 (金)

青少年センターにおける現行啓発活動調査(位田和美)

前回のコラム(2度目のセネガル)

前回紹介したHIVエイズ対策VCT(Voluntary Counseling and Testing)統合サービスプロジェクトでは、全国13箇所ある青少年センター中、8箇所を選定し、支援を行っている。私の派遣は、3ヶ月間という短い期間であるため、同時に派遣された短期隊員と2人で手分けして現行啓発活動調査を実施することとなった。結果、私が担当したのは、セネガル東部2州にわたる計4箇所の青少年センターである。

そもそも、青少年センターには、青年省が雇用するコーディネーター、IEC(Information, Education and Communication)技師、それから、某国際機関が雇用支援していたソーシャルアシスタントおよび検査技師が配置されているはずである。私の活動対象である啓発活動は、上記IEC技師を中心に、ピュアエデュケーター、地域啓発員(ルレ)によって実施されていることになっている。しかしながら、2007年1月から調査開始時の2007年6月にいたるまで、ほとんどの青少年センターでは某国際機関との雇用契約の切れたソーシャルアシスタントと検査技師が不在という状況であった。さらに、援助機関がプロジェクトのフェーズ終了に従って手を引いて行く中、開構以来外部依存の強かった青少年センターに資金源が少なくなった現在、青少年センターが報酬を渡して啓発活動を委託していたピュアエデュケーターやルレのセンター離れが強くなっている。このように、調査開始以前から、人材確保という青年省レベルでの組織上の問題に直面していた。しかしながら、現行活動調査自体は、手探りながらも大学院で勉強したフォーマティブリサーチ手法を適用し、各青少年センターにてSWOT分析、質的・量的調査を実施することができた。

上記4箇所の青少年センターを比較した結果、見えてきたのは、まず、当然のことながら、青少年センターとしての人材配置がきちんとされており、それぞれがそれぞれの職務を、プロフェッショナリズムを持って果たしているセンターほど、センターの知名度も高く、VCT受診数、カウンセリング受診数も多く、センターとして機能しているということであった。次に、地域のオピニオンリーダーや医療機関や教育機関等の主要機関との連携が強ければ強いほど、青少年センターの青少年の行動への影響も大きいことがわかった。さらに、啓発活動数や青少年センターの知名度とVCT受診数は必ずしも比例せず、やはり啓発活動の質とコミュニケーション手段の吟味が必須であることが再確認された。

以上から、青少年のVCT受診を含む行動変容には、青少年個人レベルでの啓発、および青少年を取り巻くコミュニケーションを網羅したソーシャルネットワークからの啓発の強化、ならびにオピニオンリーダーをはじめ、地域社会の連帯意識としてのHIVエイズ対策が必要であると言えよう。そこで、青少年センター4箇所の現行啓発活動の各レベルに応じて活動強化のための提案をした。

結果、後半1ヶ月間に介入すべく選定したのは、地域の青少年間での青少年センターの知名度が低く、IEC技師は配置されているけれども、事務所仕事をこなすだけで対外活動に消極的であり、ピュアエデュケーターやルレも機能しておらず、コーディネーターが地域の情報と人脈を豊富に有しているにも関わらず活用していない、つまり、地域のオピニオンリーダーとの連携が希薄な青少年センターである。次回コラムでは、啓発活動能力強化の準備としての青少年センターの広報活動、組織マネジメント強化を中心とした、1ヶ月間のパイロット活動について記したいと思う。

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2007年8月31日 (金)

2度目のセネガル(位田和美)

前回までのコラムでは、青年海外協力隊 村落開発普及員として2年2ヶ月間過ごしたセネガル村落部での活動について書かせていただいた。その後、1年間ワシントンDCの大学院でPublic Healthを勉強した後、2007年5月末に再びセネガルへ降り立った。今回は、3ヶ月間という短期間ではあるが、某援助機関がセネガル青年省および他援助機関と合同で実施している、HIVエイズ対策VCT(Voluntary Counseling and Testing)統合サービスプロジェクトが対象とする、青少年センターにおける啓発活動の強化という名目で派遣された。

上記プロジェクトは、15歳から24歳までの青少年をターゲットと設定し、危険な性行動を取りがちであると言われる青少年におけるVCTサービス受診数を上げ、HIVの低感染率を維持することを目的としている(1)。 本プロジェクトが始まる2005年2月以前には、某国際機関が青少年センターにおけるリプロダクティブヘルスに関するカウンセリングサービス実施支援をしており、本プロジェクトは既存のカウンセリングサービスにVCTという新サービスを統合し、より包括的に青少年の健康を維持向上しようとしている。また、本プロジェクトの醍醐味は、通常VCTというと医療機関で実施し、対象層を動員するのに対し、対象村である青少年の集まる青少年センターにVCTサービスを設置しているところにある(2)。 これにより、性感染症や婚前妊娠というセンシティブな問題を抱え、医療機関で人目につくことを恐れる青少年や、医療機関に支払うお金がない青少年、また、健康であるがためにわざわざ医療機関へ行く必要はないが、感染予防が必要な青少年をカバーすることができている。実際、2007年1月時点で、全国104箇所あるVCTセンター中、上記プロジェクトが対象としている青少年センター8箇所のみで18%のVCT実施という成果を挙げている。

今回のコラムでは、次回以降2度に分けて、①前半2ヶ月間の青少年センターにおける現行啓発活動の調査結果、②後半1ヶ月間の選定した青少年センターでの啓発活動強化パイロット活動について記したい。

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(1)セネガルにおける一般人口のHIV感染率は、サブサハラアフリカ諸国でも低く、0.7%である。ちなみに、一般人口のHIV感染率が1%を超えると、「流行期」に入り、全国に蔓延しやすいと言われている。

(2)青少年センターの有するVCTサービスには、青少年センターでVCTを行う固定検査と、学校へ居住地まで赴く出張検査の2種類がある。

2006年8月28日 (月)

青年海外協力隊の役割(位田和美)

(前回のコラム「人々の中のNGO」)

今回は、数あるフィールド・ポストの中でも、まさに「草の根レベルで」「住民と共に」活動する青年海外協力隊の役割を個人的観点から記したい。

前回のコラムでは、NGOが住民の生活に必要な公共サービスをも提供していることを記した。そして、それらのサービスは成果を挙げている場合が多く、私の赴任地に限って述べると、地方政府からの信頼も非常に厚い。

私は、赴任当初からNGOをはじめとする援助団体の活動地域・分野を把握することに努力を払ってきた。というのも、青年海外協力隊の常として、地方政府に配属はされているものの、具体的なTORも活動制約もなく、地方政府のリソースを活用しつつ、独自の活動を展開することが可能であるからである。つまり、自身の役割を認識した上で、赴任地における地方開発支援活動の住み分けによる相乗効果を図ろうとしたのである。

結論から言うと、地方開発における協力隊の役割は主に2つあると思う。

第一には、住民との対話や自身による観察を通して、村の現状(例えば、住民の課題は何か、現在行われている各種プロジェクトのその後がどうなっているか)を情報整理し、関係機関に伝えること。

青年海外協力隊の活動は、非常に限られた地域に限定されることが多い。しかしながら、それを逆手に取り、当該地域の情報を包括的かつ詳細に集めることが可能である。NGOはその規模が大きければ大きいほど、プロジェクト開始後の個別フォローアップが甘いことがある。当然、プロジェクトの中間評価や最終評価は行われているのであるが、それら評価システムから漏れるものも多いのである。そこで、軌道修正可能な時点で活動提案も含めた現状報告をするのが有効である。小回りが効き、ある程度客観的な視点を持った協力隊の情報提供は実際、重宝されることが多かった。

もうひとつの役割は、新しい付加価値を生み出すことである。協力隊は、言わば異文化から来ているため、地域に根付いている人々の気づかないポイントを発見することができることもあるであろう。

例えば、私の任期中、関係機関に最も評価されたもののひとつに、「掲示版」の定着が挙げられる。掲示版は日本では身近な広報ツールであるが、セネガルではあまり一般的ではない。しかしながら、その効果は絶大であることは村の各種行事の中で証明された。自身の今までの経験と村の情報を有機的に結びつけ、さまざまな提案をしていくと、互いの情報交換も進み、理解も深まったと感じている。

2年2ヶ月のセネガルでの活動を終了した今、協力隊というのは、本当に住民の生活に密着した活動を展開できる事業である、とより一層感じている。物理的には、非常にミクロな視点に限られてはいるものの、一定地域全体の課題を鳥瞰することができ、また、その原因を住民の生活観を持って感じ取ることができるのである。住民と心を通い合わせることができるという意味において最もダイナミックで面白い職業ではないか、とひそかに自負している。

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2006年5月22日 (月)

人々の中のNGO(位田和美)

(前回のコラム「行動変容へのあくなき挑戦」)

今回は、本コラムのタイトルでもある「NGO」の存在をめぐり、村落部の人々を取り巻く社会環境を概観してみたい。しかし、「村落部の人々」と一概に括ることはできないため、ここで述べることは私の活動村という一例であり、私の所感に過ぎないことを冒頭に言及しておきたい。

まず、私自身が活動を行う村(活動村)を選ぶ際に、学校やヘルスクリニックなどの公共機関やNGOが活動している土地を選んだせいもあろうが、当地では村落部の人々の生活の中にNGO支援が深く根付いているという印象を受ける。例えば、人が生まれ、体重測定をする際にはNGOが体重計や軽体重児への栄養補給食を支給し、村の地域保健普及員による体重測定の監督を行っている。疾病予防のための啓発活動にかかる教材供与もしかりである。子供が学校へ行くようになると、NGOから学校に対し学用品や給食時に使用する食器、食器洗いのための洗剤、大きなものになると学校建設(クラス、塀)の支援を受ける。また、視聴覚教育充実のためにソーラーパネル、ビデオ機材を供与されている学校さえも存在する。他方、大人、特に女性を対象にした識字教室の開催・運営もNGOが支援しており、生活技術指導とともに成果をあげている。他には、村人の生活基盤である給水塔、中規模換金作物作りのための種子や畑の柵といった材料も供与され、その維持管理の監督もNGOが務めている。さらには、村の一大関心事、つまり、人々が自ら資金を提供しようとする動機づけが高いとされている宗教行事を開いたりするときでさえ、NGOから資金援助を受けている場合もある。

このように、人々は複数NGOの支援を受けているため、フォーカルポイントとなっている村の代表者はそれこそ息つく暇もないほど対応に追われている。逆に、フォーカルポイントがしっかり業務管理していればいるほど、NGOにとっても支援しやすい村と判断され、さらなる支援を見込むことができるようである。

そのNGO活動であるが、私は実態を目にする前は人々が支援要請をあげ、NGOがそれに応える要請主義形式が主体かと思っていたのであるが、実際には要請主義を掲げながら、NGOが積んできた経験を基にプロジェクト導入の雛型のようなものがあり、NGOからの提案方式でコトが進められていることが多いように感じる。
しかしながら、NGO支援開始にはさまざまな経緯が存在する。

例えば、セネガル政府が国家プロジェクトとして始めたものの経過観察および深化を目的とした引継ぎ形式がある。特定のNGOが引き継いだ政府プロジェクトのさらなる引継ぎもある。当地では乳幼児死亡率低下のための栄養プロジェクトがこれに該当する。

また、本来であれば公共機関(私の赴任地では医療機関であることが多い)の業務であるのであるが、資材・人材不足から人々や、公共機関までもがNGOに支援要請し、実施するという形式もある。全国一斉ワクチン接種や学校行事開催がこれに該当する。

いずれにしろ、NGOは公共サービスの代替であるという印象を強く受けることが多い。

上記に見るように、当地では人々の生活の中にはNGO支援が根付いていると言っても過言ではないだろう。人々にとってはNGOが地方公共団体より身近な存在であったりする。

私は赴任当初、上記の状態を「援助づけ」「住民の意向を無視した、上からの押し付け形式」と一括りに見る傾向があった。しかしながら、2年近く観察していると、日々食べていくことに加え、簡易診療所から学校運営に至るまでコミュニティが負荷を負っている現状を鑑みると、NGO支援がどのような形であれ(仮に住民が受け身であったとしても)、実際に人々にとって必要であり、役に立っていることが確かな場合が多い。むしろ、私見ではその支援期間に有限性のあるNGO支援終了「後」の村落開発こそが課題であり、支援終了後を見据えた活動計画が欠如しているとの問題意識を抱いている。

その中で協力隊員としてどのような役割を見出すのか。次回のコラムでは、草の根レベルで活動する青年海外協力隊の役割とその醍醐味を記したい。

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2006年2月20日 (月)

続・マラウイ徒然3  食糧危機の中、メイズの販売禁止令が出された(小林由季)

(前回のコラム「続・マラウイ徒然2  食糧危機ふたたび+洪水」)

前回書いたように、マラウイは食糧危機の真っ只中にある。そして、本当に必要としている人の手にメイズ(トウモロコシ)が行き渡るよう、いろいろな策が講じられている。

そんな中、1月4日付でマラウイ北部の主要都市であるムズズ市でメイズの販売禁止、という新聞記事が掲載された。ムズズ市議会は、同市内でのメイズ販売をADMARC(The Agricultural Development and Marketing Corporation:全国に拠点を持つ農協のような公社)だけに限定し、それ以外の民間業者のメイズ販売を一切禁止するというのである。第一報の記事では「メイズを高値で売る不届きな民間業者のメイズ売買を止めさせる」ことが目的と書かれている。

マラウイでは農産品販売が自由化されているが、政府はADMARCを通して、市場価格(房つきキロ40クワチャ前後)ではメイズを買えない人たちのために、補助金で低価格(房つきキロ17マラウイ・クワチャ)に抑えたメイズを販売している。

食糧不足の現在、メイズは一人当たり一度に25キロまで購入可能、と割当が決まっているが、入荷量に対して購入希望者が多すぎるため、入荷があった時に並んでいる人の数を見ながら、割当てを5キロ~15キロに減らし、なるべく多くの人に低価格の補助金メイズが行き渡るようにしている。それでもすぐに在庫が底をつき、何日も次の入荷がないことがある。

このメイズ販売禁止令について、以下、関連新聞記事から抜粋してみた。

ムズズ市議会の行政の長Chief Executiveによれば、
「市内のメイズ不足について、ステークホルダーと話し合った結果」
「民間のメイズ取引業者は、低価格の補助金メイズをADMARCから不当な手段で大量に購入し、それを(市場価格の高値で)転売したり、中部や南部に輸送して販売しているという告発があったため」
「一部の個人の利益ではなく、すべてのムズズ市民の利益のために」
今回の決定が下されたとのこと。

本件についてADMARC北部マネジャーは次のようにコメントして、今回の決定を歓迎するとしている。
「クリスマス直前の一週間で、ムズズ市内のADMARC販売所全体で500トン以上のメイズを売り切ってしまった。我々はまるでメイズを(底なしの)穴に注ぎ込んでいるようだ。」
「ムズズ市内のADMARCでは通常は一週間に100~150トンしか販売しない。誰かがADMARCからメイズを大量に買っているというコミュニティからの申し立てもあって、(民間取引業者が)転売しているという疑惑につながった。」

それに対して、民間のメイズ業者は次のように反発し、商売を続けるとしている。
ムズズ・マーケットでメイズを販売している露天商:
「俺たち全員がADMARCからメイズを仕入れているという証拠でもあるのか。疑いだけで全員の商売を禁じるなんて。」
「ADMARCから買っている人間だけを捕まえればすむことじゃないか。」
「我々はタンザニアやChitipa県からメイズを買いつけてるんだ。」
「私たちはメイズで生計を立てている貧しい人間なんだ。」
「市や政府はこの商売を止めろというけど、夫に先立たれて5人の子どもの面倒を見なきゃいけない私はどうすればいいの。」
北部露天商協会会長:
「メイズ販売禁止の決定が下された話し合いに自分たちの代表はよばれていない。一方的に下された決定に従うことはできない。」
「マイクロファイナンス機関のFincaやPrideから金を借りてこの商売をしている人間もいるんだ。ある日突然商売をやめろというのはフェアじゃない。」
「我々は全員逮捕されてもいいと思っている。」

話し合いに参加した「ステークホルダー」は、Traditional Authorities (伝統的権威・リーダー)、政治家、ムズズ市議会当局、中央政府のスタッフで、確かにメイズ販売業者がいない場での決定だったらしい。

農業・食糧安全保障省の大臣はこのメイズ販売禁止令に反対として、
「本件について省は相談consultationを受けていない。」
「この食糧の足りない時に、ADMARCだけで市全体のメイズを供給するのは無理がある。民間業者がメイズを市場に供給する機会を与えるべきだ。」
とコメントしている。

マラウイ消費者協会(Consumers Association of Malawi: CAMA)のディレクター代理も、本件はメイズの販売を統制し、需要を抑制することが目的なのだろうとしながらも、これは経済の自由化に逆行するもので、消費者がメイズにアクセスするのを妨げる側面があると強調している。

また、マラウイ商工会議所(Malawi Cofederation of Chambers of Commerce and Industry:MCCCI)の会頭は、本件についての声明の中で次のように述べている。
「現在のシナリオは、メイズを輸入したり、自ら生産している民間業者が、市場価格が上昇したのを見て、貯蔵していたメイズを放出しても十分な利益があがると判断したということだろう。」
「(それなのに)ADMARC以外でのメイズ販売を禁止するのは、短期的に見てもなんの解決にもならない。(このような禁止令は)メイズ生産を続けようという民間セクターの企業家精神をそぐことになる。」

1月7日以降、これを書いている1月21日まで、本件についての続報を目にしていない。次回はこのメイズ販売禁止令と、経済自由化、地方分権化の関連について考えてみたい。

関連新聞記事
The Nation紙
1月4日付Mzuzu City bans sale of maize, http://www.nationmalawi.com/articles.asp?articleID=14453
The Daily Times紙
1月4日付Mzuzu residents ban maize traders, maize traders banned in Mzuzu, websiteなし
1月6日付 Vendors defy maize ban, websiteなし
The Weekend Nation紙
1月7-8日付 Mussa against maize sale ban, websiteなし

2006年1月30日 (月)

続・マラウイ徒然2  食糧危機ふたたび+洪水(小林由季)

(前回のコラム「続・マラウイ徒然1 元旦にマラウイ政治の歴史をふりかえる」)

再び、マラウイが食糧危機に瀕している。洪水やかんばつ、農業投入物不足のため、昨シーズン(2004/05年)の出来が悪かったのだ。主食であるメイズ(トウモロコシ)房つきの値段はどんどん高騰して、昨年4月に雨季が終わった時点で、キロ20マラウイ・クワチャ(1マラウイ・クワチャは約1円)だったのに、今はキロ40マラウイ・クワチャはする。人口約1200万人の内、食糧援助が必要な人の数は、05年5月には200万人、6月には420万人とされ、長らくこの数字が使われていたが、12月頃から上方修正されて、今年に入ってからの新聞記事では500万人とも言われている。

以前、2001/02年シーズンの不作が引き起こした食糧危機について書いたが、その時は私の住んでいるブランタイヤ(マラウイ一番の都市)のスーパーの棚からウファ(メイズの粉)が消えてしまった。今回は値段は高騰しているものの、スーパーではメイズ粉が、地元の市場では房つきメイズがちゃんと売られている。ただ、キロ40マラウイ・クワチャはとても庶民が手を出せる値段ではない。

政府はメイズの不足分に対して
(1) 政府が買い付けて、全国に拠点を持つ農協のような公社The Agricultural Development and Marketing Corporation :ADMARCを通じて補助金で低価格に抑えて(房つきキロ17マラウイ・クワチャで)販売する
(2) WFPを通じて緊急援助で無料で配給する
という主に2つの方法で対応しており、この両者にドナーの援助が入っている。この他、ムタリカ大統領が民間セクターからの寄付を募って食糧の無料配布を実施する財団:Feed the Nation Fundを立上げたし、国内外の財団、宗教団体、NGOが食糧支援を行っている。しかし、上記のように食糧援助が必要な人の数がどんどん上昇する中で、援助は足りていないとも言われている。

新聞やテレビの報道だけではよくわからない食糧援助だが、今回は05年12月5日にWFPの食糧配給サイトを訪問する機会を得ることができた。食糧配給の背景、実施方法、問題点など詳細レポートについては写真入りで次のサイトに掲載していただいたので、是非ご覧いただきたい。

日本マラウイ協会 マラウイ食糧支援募金 2005
http://www.h4.dion.ne.jp/~malawi/index.htmlページ下の「2005 緊急レポート:マラウイ食糧事情とWFP配給現場」をクリックして下さい。
*こちらにはWFPへの募金の案内も掲載されています。

TICAD市民社会フォーラム(TCSF) アラート通信3号
http://www.ticad-csf.net/alert03.pdf

こうした食糧危機の中、この雨季は雨がしっかり降ってメイズの育ちがいいな、と近所の畑を見回していたところへ、「洪水で8000世帯が家を失う」という新聞記事(リンクは下記参照)が出た。最南端のNsanje県とその隣のChikwawa県でクリスマス・イブに洪水、鉄砲水が発生し、Chikwawa県で8,000世帯、Nsanje県で4,500世帯の家、家畜、畑の作物が流され、木に登って避難する人たちも出たという。その他、洪水による被害はLilongwe、Zomba、Thyolo、Balakaの各県で確認されているようだ。政府はNsanjeとChikwawaの2県について、メイズ粉、豆類、シェルター用のプラスチックシート、バケツなどの配布を手配中とのことだが、現地で緊急援助に従事するNGOによれば、「毛布や衣類の支援がもっと必要だ」とのこと。これらの支援も、2県に通じる道が雨季に入ってから一部不通になっており、また洪水で通れなくなっているので、困難を極めることが予想されている。

洪水の関連記事は次の通り:
1月5日付 IRIN News  MALAWI: Number of affected people rising as rain continues http://www.irinnews.org/report.asp?ReportID=50957&SelectRegion=Southern_Africa&SelectCountry=MALAWI
1月5日付 The Nation  Government releases K10m for flood victims
http://www.nationmalawi.com/articles.asp?articleID=14472

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2006年1月 9日 (月)

続・マラウイ徒然1  元旦にマラウイ政治の歴史をふりかえる(小林由季)

2006年 明けましておめでとうございます。

新年にちなんで、しばらくお休みしていた「マラウイ徒然」に「続」をつけて、再開してみようかという気持ちになった。

私は昨年に引き続き、マラウイのブランタイヤで年を越したが、雨季の中、元旦は曇空で明け、一日中雨が降っては止みしており、青空はついに見ることがなかった。

元旦の朝、起きてテレビを点けると、TV Malawiでは「マラウイの歴史」として、マラウイの初代大統領カムズ・バンダ博士の演説が放映されていた。マラウイは64年にイギリスより独立したが、その直後に大統領になったカムズ博士は「マラウイの人間は一生懸命に働かなければならない。我々には(ザンビアにある)銅鉱も(南アフリカにある)金鉱もないが、土地がある。この土地が経済の源となる。マラウイが発展していくためには、Loyalty (国への忠誠)を中心にしたUnity (異なるエスニック・グループを超えた団結)が必要だ。しかしこれだけでは十分ではない。更に、Discipline(規律)とObedience (従順)も大事である。」と演説していた。「これがカムズ大統領のMalawi's Four Cornerstones(四つの礎)だよ。」と横で夫が説明してくれる。(*カッコ内は小林による注。)

強力なリーダーシップで国民を引っ張ったカムズ大統領は、周囲の国が共産主義化し、南アフリカのアパルトヘイトに反対する中、資本主義を貫き、南アフリカを支持することを宣言し、南アフリカからの支援を引き出し、台湾と国交を結んだ。彼によれば、それが南部アフリカの内陸国、資源のないマラウイの生き残る道であった。自らを終身大統領と規定したバンダ大統領であるが、言論の自由を統制してMalawi Congress Party(MCP)による一党制支配を保持し、大勢の人が秘密警察に逮捕され、政治難民として国外に逃れる人も出て、独裁政権と批判されました。それでも、「あの時は物言えば唇寒しだったけれど、飢えることだけはなかった。」と、近年ではその経済運営手腕が懐かしがられてもいる。

しかしデモクラシーへの流れの中、終身大統領制は終焉を見ることになる。93年にレファレンダムによる多党制への移行が行われた後、94年の総選挙ではカムズ博士が率いていたMalawi Congress Party(MCP)は多数議席を取ることができず、United Democratic Front (UDF)が与党となり、その党首であるバキリ・ムルジ博士が大統領になった。その後2004年までの10年間、UDFは与党であり続けましたが、カムズ時代からの揺れ戻しだろうか、国はデモクラシーへの移行、人権の確立の面では進歩したが、規律や統制を失い、重要な経済インフラを民営化した結果、経済面では後退したとも言われた。

2004年の選挙で大統領になったビング・ワ・ムタリカ博士は、UDFが擁立した人物ですが、特に経済運営面で、カムズ政権時代への回帰を唱え、就任時には「私たちは自分たちの国を発展させることができる。外国の助けも借りるけれども、発展の形は私たちが描くのです。」とスピーチをしている。

そのムタリカ大統領は05年にはUDFを離脱して自分の政党であるDemocratic Progressive Party (DPP)を設立。大統領についていく形でUDFなど既存の政党から議員が離脱したが、それでもなお昨年の国会ではUDFとMCPが半ば連立したような形で国会の議席数188(全議席数193に対して、当時5議席が空席だった)の内、107議席を占めて多数野党を形成、その中に議員の出身地別の対立も入り込み、国家の年度予算成立への妨害や、大統領弾劾動議が提出され、合間にストレスであろうか、国会の議長が会期中の議場で心臓発作で倒れて帰らぬ人になるなど、政治的には非常にturbulent(大荒れ)な一年であった。

しかし05年12月に行われた議員選挙の補選は、大統領の党であるDPPに対する信任投票のような形となって、5議席全てでDPPが当選した。大統領も「たとえ弾劾されても、もう一度選挙に出て勝利する自信がある」とコメントしている。そのせいか、これも元旦のTV Malawi番組「大統領日記Presidential Diary」では、国民への新年のメッセージとして大統領が次のようにスピーチした。「私は2004年の当選後、昨年までにXX道路やXX水路、国会議事堂建設など、さまざまな開発プロジェクトを立ち上げてきました。開発プロジェクトのサイト選定には、その選挙区の議員が政権側であるかどうかは関係ありません。(中略)野党の皆さんも一緒に国の開発のために頑張りましょう。」大統領は比較的簡単だが、自分の実績をアピールしつつ、野党に対しては、政治的に自分に刃向かうのではなく、一緒に開発を頑張ろうと言っているのでした。

私 「ところで、バンダ大統領の「四つの礎」だけど、Loyalty(忠誠)とUnity(団結)、Discipline(規律)までは今でも大事にした方がいいように思うけれど、Obedience(従順)というのは誰に対するObedienceだったの?」
夫 「特に誰に対する、ということではなくて、Don't argue, just do it ということだよ。」

むむ。独裁政権で名高い「カムズ大統領」に対する服従、ということではなく、「不言実行(理屈を言わずにすべきことを黙って実行すること)」ということだったのか?本当にそうであれば、今も生きるべきValueだとは思うけれど。

私は、大雨の中、暮れていく元旦につらつらと次のようなことを考えました。マラウイの人々が、誰かにObedient(服従する)になるのではなく、自分たちで考えて、働いて、自立できる社会になるよう、自分は開発コンサルタントとして、またNGOのメンバーとして、「夫が申すところのObedientに」マラウイの開発・発展に少しでも貢献していけたらいいな、と。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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2005年12月 5日 (月)

ケニア・タンザニアでのボランティア-その4 アルーシャ編(早川元貴)

(前回のコラム「ケニア・タンザニアでのボランティア-その3 ナイロビ編」) 

4週間のボランティアも丁度折り返し点に達し、三週間目にはタンザニアのアルーシャに移動しました。アルーシャは私の勤めた東アフリカ共同体(EAC)の本部のある街です。以前お話したように、EACの加盟国はケニア、タンザニア、ウガンダの三国で、本部には200人ほどの職員が勤務しています。EACの本部が置かれている建物にはルワンダ国際刑事裁判所が入っていることもあり、国連職員や滑稽な白いカツラを被った裁判官の方を良く見かけました。ちなみに、私の滞在したアルーシャのホテルの冊子には「ようこそアフリカのジュネーブへ」、というような行があり、思わず苦笑いしてしまいました。

アルーシャでの私の主な仕事は、ダルエスサラーム、ナイロビでコンタクトを取った大使館、援助機関へのフォロー・アップとEAC保健部門のドナー・アウトリーチ戦略の作成です。また、私がアルーシャに着いた翌週に加盟国の保健大臣会議が開催されるということでその準備、会議中の事務的アシスタントも担当させていただきました。上司が言うには、この保健大臣会議ではEACの保健部門のプログラムの今後5年間の戦略的方向を決定するということで、かなり重要なものだということです。

会議期間は4日間でしたが、加盟三カ国の保健省から総勢30名ほどの代表団がやってきました。初日、二日目は高級事務レベルの会議で、各国保健省の事務次官とその補佐の方が中心となってEACの保健プログラムについて専門的な政策議論が展開されました。この事務次官レベルの政策議論は二日間延々と展開され、それぞれの国内事情、エイズなどの保健問題の政治的見解などを聞くことが出来、非常に面白いものでした。

高級事務レベルの会議では、事務次官とEAC事務局(私の上司)が政務官に提出する戦略文書を作成するのですが、30名の参加する文書作成過程はまさに議論、議論でまた議論です。そして30ページほどの下書き文書を一行、一行全体でレビューして行きます。「ここのセンテンスは“the”ではなく“a”であるべきだ」など、文字通り「重箱の隅をつつく」プロセスです。

3カ国の代表団の間で見解の違いがあり、事務次官レベルで取りまとめるのにかなり時間がかかりましたが、3日目には、無事、三カ国の政務官がEAC事務局が取りまとめた戦略書に署名、最終日には保健大臣が戦略合意書に署名して会議は終了しました。私はコピー取りなどに走り回ったり、かなり雑用作業に追われましたが、事務次官レベルのセッションの進行を担当させていただいたり、地域レベルでマルチの政策交渉の場に携わる有意義な経験をさせていただきました。

誰が言ったのか覚えていませんが、アフリカの経済発展の遅れの一つの要因として、「アフリカの人はあまり働かない、あまり勤勉でない」ということを耳にしたことがあります。そのときは「へえ」と聞き流していましたが、今思うと無性に腹が立ってしまいます。今回の滞在を通じて感じたことは、むしろ「アフリカの人は良く働く」ということです。少なくとも、私の出会った人達、ホテルの従業員にしろ、道路の清掃員、保健省の役人、EACのスタッフから受けた印象は、本当によく働く、というものです。特に、私の上司は本当に体力的にタフです。

その一方で、アフリカ社会の物資の不足という問題は非常に身近に感じられました。ぼろぼろのホウキで道を掃く裸足の清掃員の人たち、午前中一度もクラッシュしなかったらラッキーと感じさせるコンピューター、大量コピーをすると必ず紙詰りを起こすコピー機、ハサミと糊を使った手作りのアドレス・ラベル(EACの秘書は「アフリカ・スタイル」と呼んでいましたが。)、ワシントンDCやジュネーブの職場で当然と思っていた些細な物が、アフリカでは手に入らない、またそのことでフラストレーションも溜まりました。そんな訳で、現地人、外国人を問わず、そんな物資に恵まれていない環境の中で毎日熱心に働く人達には、ただただ頭がさがる思いです。

ボランティアを終えてジュネーブに戻ってきてから1-2週間ほどは本当に上機嫌というか、自分でも身体の調子が良いというのが感じられました。それはタンザニアからジュネーブに戻ってこれたのが嬉しかったのか、或いはボランティアで良い経験をした為かは定かではありませんが、今回のボランティアが自分にとって良い経験であったということには変わりはありません。

ボランティア期間中はいろいろな経験をしましたが、その中でも、実際にフィールドを自分の目で見ることができたこと、アフリカでも自分のスキル・専門知識を活かして仕事が出来るという自信がついたことが最も大きな収穫でしょうか。現地の人との触れ合いも間違いなく貴重な経験だったと思います。

渡航前、以前務めていたワシントンDCのNGOの上司から「アフリカの人の親切さ、優しさを実感する良い機会になるね」てなことを言われました。セネガルに住んだことのあるWHOの同僚もアフリカの人たちの親しみやすさや人懐っこさについて、いつか話していました。アフリカを画一的に捉えて美化するつもりはありませんが、今回のボランティアを通して考えると、やはり彼らの言っていたことは多かれ少なかれ当たっていたかなっという感じがいたします。

「来年また来るかもしれません。」と別れ際に上司に半ば冗談で言いましたが、機会があれば是非もう一度訪れたいと思います。「フィールドに行こう」は、またしばらく私の目標になりそうです。

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2005年11月14日 (月)

行動変容へのあくなき挑戦(位田和美)

(前回のコラム「エイズ予防活動のその後」)

セネガルへ赴任してから1年半が経過した。ここにきて「啓発活動」の限界を感じ始めている。疾病予防活動にしろ、就学促進活動にしろ、活動開始当初は村人にいかに「聞いてもらうか」「知識を得てもらえるか」を主眼に置き、楽しみながら活動することを一番のモットーとしていた。しかしながら、知識伝達がある程度達成できたと感じられる現在では、もう一歩踏み込んで村人の「行動変容」への動機づけを目下の目標としている。

そんな折、友人の紹介で州衛生局の副局長と知り合いになった。この副局長は数々の研修を受けた上に実地経験も積んでおり、お話上手でかつ聞き手の的をついている。そこで、悩みの種の課題を相談させていただいたところ、懇切丁寧に行動変容理論を説いていただいた。大変興味深かったので、以下に紹介させていただくことにする。

曰く、人間が何か行動を起こすには8つのステップが必要である。
1. 知識: 行動(習慣)と問題の因果関係を認識
2. 関心: 個人的信条や他の人の意見に基づき、行動を起こそうとする態度/素振り
3. 決定: 行動しようとの意志決定
4. 試行: 薦められる行動を取ろうとする第一段階の試行
5. 放棄: 試行(行動)しても成果が見えないことからくる、中断の意志決定
6. 維持: 行動継続/再試行
7. 再放棄:行動を継続しようか否か迷いつつも、再中断
8. 採択: 恒久的な行動継続
ただし、1-8までスムーズに進むのではなく、各段階間を行ったり来たりもするものである。

なるほど、上記のように理論立てて説明を受けてみれば、非常に合点がいく。また、上記に沿って今までの啓発活動を位置づけてみると、まだほんの第一段階であることが整理できた。そして現在進行形の活動では、第二段階の「関心」のきざしが見えてきており、3「決定」へ向かうべく一生懸命働きかけているところであることがわかってきた。この理論を知らない頃、自身の勝手な感覚では、恐れ多くも現状は6「維持」か7「再放棄」あたりかと思い違いをしていた。やはり論理的検証は何事にも必要不可欠である。

さて、このように整理できたところで、一言で「行動変容が課題」と言ってもさまざまな段階があることがわかり、現状の課題もより明確になってきた。まず、2「関心」の段階で重要なのは、個人個人の認識や関心を形にする際の強力なサポートとなる村全体の連帯感と組織力であろう。その後の3「決定」や4「試行」は個人個人に委ねられるが、ここで外部者にできることと言えば、5の「放棄」に至る動機づけの軽減であろう。それは保健分野を例に挙げるならば、保健状況向上の実現にかかるコストの削減、現金収入向上(収入手段の確保および多角化)、労働負担の削減に伴う保健状況向上にかける時間の創出ということが考えられよう。残り任期の半年間は、かなり長期的な目で見たときの最終目標としての8「採択」を見据え、理論上予想し得る課題を先回りして考え、村人と共に準備していきたいと思う。

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