2015年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

農村開発プロジェクト

2006年11月27日 (月)

開発援助の側面から見た人道援助(杉原ひろみ)

前回の関連コラム「米国NGOが実施した米朝二国間の人道援助

そもそも「人道援助」と「開発援助」は何がどう違うのか。英国の大学院で開発学を学び、開発援助の側面から実務や研究に就いてきた私には、実は「人道援助」には馴染みが薄かった。それゆえ、米国政府の対北朝鮮援助を研究するようになって初めて、「人道援助」とは何かを考えるようになったと言っても過言ではない。私の知る人道援助研究は、難民や人権問題を扱う国際政治・国際法の研究者や、緊急援助活動を行う実務家が研究論文を発表するケースが多い。そして事例研究として、スーダン、ソマリア、エリトリア、リベリア、コソボ、アフガニスタン、カンボジアなどが取り上げられている。人道援助研究では、これまで開発援助関連の英語文献しか読んで来なかった私にとって、知らない言い回しや専門用語が多く、論文を読むことはかなり苦痛だった。

他方、日本国内で「平和構築」という言葉をよく耳にするようになった。米国の対北朝鮮人道支援について研究にするようになって以来、ずっと平和構築と北朝鮮で何か接点はないのだろうかと考えてきた。「地球に乾杯!NGO」の2006年2月6日付コラムの「北朝鮮の人道・開発援助の特異性(2)」で述べたように、北朝鮮の特異性として、これまでの他国の援助と比較して、緊急援助、食糧支援で問題となった事柄が一度に、しかも極端な形で現れている。そして、対北朝鮮援助は国際政治の重要問題と理解されている半面、国際政治で主流の「安全保障化のパラダイム(Securitization Paradigm)」では北朝鮮の人道政策分析ができない。

北朝鮮では1995年に起きた水害のため、西側諸国を中心に「緊急救援活動」が行われていたが、自然災害がなくなっても慢性的な食糧や医薬品等の不足が続いたため、一部の対北朝鮮支援は緊急援助から開発援助へシフトしていった。そうした中、現場で支援を行う関係者は、人道か開発かといったジレンマに悩まされるようになった経緯がある。北朝鮮のような「脆弱国家」に対する緊急援助から持続的開発への援助に移行を考えるヒントが「平和構築」の一連の議論に隠されていないかと考えたのである。

私は、国レベルで考える安全保障などマクロな国際政治分野からだけでは片付けられない国内・地域固有の問題が多く、そこを紐解き、解決していかないかぎり、「複雑な政治的危機」(Complex Political Emergencies)は解決できないのではないかと考える。そうした考え方は、開発、中でも農村開発の基本であり、それを応用した援助手法が主流になってきている。しかし、国際政治や国際法研究をざっと読み解くと、そうした視点から書かれたものが皆無と言ってもいい。そんなとき、開発援助の視点から研究をしているデイビッド・ヒューム(David Hulme)らが書いた論文が目に留まったのである。彼らは紛争解決・平和構築研究と開発政策研究の両者の分野を見事に橋渡ししていた。

デイビッド・ヒュームは、1990年代初頭にマイケル・エドワーズ等と「政府とNGOの関係」について研究していた英国マンチェスター大学教授である。その後、1997年から2年間、英国リサーチ・研修NGO「INTRAC」のジョナサン・グッドハンド(Jonathan Goodhand)等と、DFID(英国国際開発省)などの予算で、平和構築と、そこでのNGOの役割について研究し、ワーキングペーパーを12本、DFID向けに執筆している。また、一部が論文としてThird World Quarterly(1999年2月号)という開発分野で有名な学術誌に特集で掲載された。それ以降、開発分野において「複雑な政治的危機」(Complex Political Emergencies)という用語とその概念が定着したと言える。同時期に、デンマーク国際学研究所(CDR)において、ジョアキム・グンデル(Joakim Gundel)が文献調査を実施し、ワーキングペーパーにおいて人道援助の潮流を詳しく書いている。

DFIDへ提出されたワーキングペーパーを読むと、ヒュームとグッドハンドは「紛争の原因分析をする際、国際・国レベルの分析ではなく、コミュニティ・レベルの分析を試みる。その理由として、紛争は各々、異なる力関係、構造、アクター、信仰、不平不満などを背景にしている。そして、喜怒哀楽などの感情や、知性・理性など、コミュニティが持つ心が紛争と密接に結びついている。」としている。私はその考えに共感し、私の米国の対北朝鮮人道援助研究の基本姿勢がようやく見つかったような気になった。

参考文献:
●Goodhand, J. and Hulme, D. (1997) ‘NGOs and Peace Building in Complex Political Emergencies: an Introduction’, Peace Building and Complex Political Emergencies Working Papers No1, IDPM, University of Manchester.
●Hulme, D. and Goodhand, J. (2000) ‘NGOs and Peace Building in Complex Political Emergencies: Final Report to the Department for International Development’, Peace Building and Complex Political Emergencies Working Papers No12, IDPM, University of Manchester.
●Goodhand, J. and Hulme, D. (1999) ‘From Wars to Complex Political Emergencies: Understanding Conflict and Peace Building in the New World Disorder”, Third World Quarterly Vol20, No1, pp13-26.
●Gundel, J. (1999) ‘Humanitarian Assistance: Breaking the Waves of Complex Political Emergencies – A Literature Survey’, CDR Working Paper, Centre for Development Research.

バックナンバー

2006年8月28日 (月)

青年海外協力隊の役割(位田和美)

(前回のコラム「人々の中のNGO」)

今回は、数あるフィールド・ポストの中でも、まさに「草の根レベルで」「住民と共に」活動する青年海外協力隊の役割を個人的観点から記したい。

前回のコラムでは、NGOが住民の生活に必要な公共サービスをも提供していることを記した。そして、それらのサービスは成果を挙げている場合が多く、私の赴任地に限って述べると、地方政府からの信頼も非常に厚い。

私は、赴任当初からNGOをはじめとする援助団体の活動地域・分野を把握することに努力を払ってきた。というのも、青年海外協力隊の常として、地方政府に配属はされているものの、具体的なTORも活動制約もなく、地方政府のリソースを活用しつつ、独自の活動を展開することが可能であるからである。つまり、自身の役割を認識した上で、赴任地における地方開発支援活動の住み分けによる相乗効果を図ろうとしたのである。

結論から言うと、地方開発における協力隊の役割は主に2つあると思う。

第一には、住民との対話や自身による観察を通して、村の現状(例えば、住民の課題は何か、現在行われている各種プロジェクトのその後がどうなっているか)を情報整理し、関係機関に伝えること。

青年海外協力隊の活動は、非常に限られた地域に限定されることが多い。しかしながら、それを逆手に取り、当該地域の情報を包括的かつ詳細に集めることが可能である。NGOはその規模が大きければ大きいほど、プロジェクト開始後の個別フォローアップが甘いことがある。当然、プロジェクトの中間評価や最終評価は行われているのであるが、それら評価システムから漏れるものも多いのである。そこで、軌道修正可能な時点で活動提案も含めた現状報告をするのが有効である。小回りが効き、ある程度客観的な視点を持った協力隊の情報提供は実際、重宝されることが多かった。

もうひとつの役割は、新しい付加価値を生み出すことである。協力隊は、言わば異文化から来ているため、地域に根付いている人々の気づかないポイントを発見することができることもあるであろう。

例えば、私の任期中、関係機関に最も評価されたもののひとつに、「掲示版」の定着が挙げられる。掲示版は日本では身近な広報ツールであるが、セネガルではあまり一般的ではない。しかしながら、その効果は絶大であることは村の各種行事の中で証明された。自身の今までの経験と村の情報を有機的に結びつけ、さまざまな提案をしていくと、互いの情報交換も進み、理解も深まったと感じている。

2年2ヶ月のセネガルでの活動を終了した今、協力隊というのは、本当に住民の生活に密着した活動を展開できる事業である、とより一層感じている。物理的には、非常にミクロな視点に限られてはいるものの、一定地域全体の課題を鳥瞰することができ、また、その原因を住民の生活観を持って感じ取ることができるのである。住民と心を通い合わせることができるという意味において最もダイナミックで面白い職業ではないか、とひそかに自負している。

(バックナンバー)

2005年6月13日 (月)

PLA実施(位田和美)

(前回のコラム「ニーズ調査の先走り」)

2005年2月2日。活動村で初めてきちんとした会議を開き、PLAを実施した。活動村へ通い始めて3ヶ月ほど経ったときのことだ。会議開催前は、果たして村人が来てくれるのか、私のつたない現地語で進行できるのか等々、不安だらけであった。

会議当日、約束の時間に村人のよく集まる木の下へ行ってみると、村長以下、何人かが既に待ってくれていた。そこで、もう少し人が集まるのを待つ間、村長たちに村のプロフィールについて質問することにした。村の人口から始まり、基礎インフラ、村内外の組織の存在等々。話を聞いているうちに、過去に村で行われていた女性グループ活動の問題点・課題も垣間見えてきた。

次に村の地図作り。これは後の地図活用を省みると成功したとは言い難いが、地面にしいた大きな紙の上に石や小枝を置いたりして、自分たちの村に何があるのかを皆で声に出してあれやこれや言い合うこと自体が楽しかったようである。後からやってきた村人たちも、「何の騒ぎだ?」と興味深々で地図作成に参加してくれた。

地図完成後、いよいよ村の課題を話し合ってもらおうと、PLAツールのひとつである「問題の木」を実施した。これは、村人が直面している問題をまず挙げてもらい、次にその原因と結果を分析してもらい、最後にアクションプランを立てる、というものである。結局、この村では(1)女性の重労働と(2)健康、(3)ソーシャルセーフティネットの欠如と3つの問題が挙がった。以下、村人たちが考えた因果関係を紹介する。

(1) 女性の重労働

具体的に、女性たちはどんな仕事に従事しているのか。それは村の生活を見れば一目瞭然であり、予想通り、重労働の代表選手、水の運搬や薪での調理、ミル搗きから成る炊事と畑仕事、子守りが女性たちの主な仕事であることが挙がった。

しかし、さらに面白いことに、女性の重労働の要因の根底に一夫多妻制が挙げられ、議論が白熱したことである。女性たち曰く、一夫多妻制によって一家にたくさん女性がおり、子供の数も多い。したがって、家族の数に比例し、炊事や子守りが大変である。また、男女間で「家族」の単位が異なるため(男性たちはすべての妻子を含む大家族を一単位とする一方、女性たちは自分と自分たちの子供を中心とする家族を一単位と認識しているようである)、女性たちは自分の「家族」を守るために、野菜の種や子供の洋服、しいては日常用品を買うにも畑で一生懸命働かざるを得ず、特に第二夫人以降はその傾向が強いと言う。さらに、女性の権利が尊重されていないために、夫の意向に逆らえず、家族計画を立てることもなく、結果として子だくさんとなり、いつまで経っても仕事が減らない、とのことであった。そして、その重労働の結果として、休む暇もなく、日常的に疲労感があり、ときに健康を害することがある、と分析していた。

この議論をしているとき、女性たちはとても生き生きしていた。普段黙々と働いている彼女たちが、「一夫多妻制は妻の労働分担を図り、ひとりあたりの労働を削減するための措制度である」と言い返す男性陣をもろともせず、村の男性たちの前で上記のように堂々と意見を言い、自分たちの思いのたけを存分に述べていた。

(2) 健康

さて次に(1)の女性の重労働の結果としても挙がった「健康」の問題であるが、この村には簡易保健小屋があり、地域保健普及員も精力的に保健啓発活動や乳幼児体重測定を実施している。実際、村全体の保健分野に対する取り組みが評価され、JICAの母子保健プロジェクトのパイロット村としても指定された村である。そのような村の健康の問題とは何か、ここでも女性たちが積極的に発言してくれた。

曰く、健康問題の原因としては疾病予防の知識はあってもその実践が欠如しており、また、栄養不足、重労働、資金不足と合わせて相乗効果を発揮してしまっているとのことであった。ここでも原因分析の際に一夫多妻制のことが持ち上がり、多くの妻を持つ夫が家計を握っているがために各家族(妻単位)に石鹸や蚊帳などが行き渡らず、また、病気の際にも夫が付き添うか、交通費を出すかしなければ病院にも行けず、もしも夫が遠方に出稼ぎに言っている場合、その帰りを待つこともあると言う。

実際、PLA実施以前にも、村に嘔吐が続く赤ちゃんがおり、母親から「夫にこの子を病院に連れて行くように言ってちょうだい。」と懇願されたことがある。当時は何のことがよくわからず、「どうして自分で頼まないのかな。」と思いつつも、赤ちゃんが心配なので言うだけは言ってみた。すると、旦那さんは「じゃ、今日はもう日も暮れるから、翌朝一番に設備の整っている病院へ連れて行くか。」とすぐさま承諾してくれた。その後、病状回復した赤ちゃんの母親から予想以上に感謝された、という経験がある。

上記事例に見られるように、この村ではPLA実施時のような会議等での女性の発言権は比較的あると言えるが、家庭内では必ずしもそうでないということがわかる。ここでも村人の問題分析力に感心すると同時に、問題の奥深さ、問題解決の複雑さに気づかされた。

(3) ソーシャルセーフティネットの欠如

最後に、ソーシャルセーフティネットの欠如の問題であるが、(1)(2)の問題とも相互に関連し、男女ともに衣食住の不足を問題であると捉えていた。しかし、この問題に関しては、議論が展開されるに従い、だんだんと「ショッピングリスト」化し、原因結果分析どころではなくなってきたため、途中で打ち切った。

以上、3つの問題が挙がり、村人たちの手で原因結果分析もした。しかしながら、「では、これからどのような活動をするか」と言ったときに、やはり資金源がネックとなり、結局費用も手間もかからない石鹸作りから始めることとなった。今思えば、マイクロクレジット制度の紹介等もして、もっと村人に選択肢を持ってもらうべきだったと反省しているが、当時は始めての会議をどう収拾しようか考えるのに精一杯であった。このように、数々の自己課題が明らかになった会議ではあったが、会議終了時には満足気でさえあった村の女性たちを見るにつけ、(その後の活動につながるか否かを問わず)PLAを実施し、村の男女が一同に介した場で、女性たちが発言の機会が持てたこと自体とても価値のあることに思えた。今後は、これを自己満足に終わらせないように、いかに活動を展開していくか。試行錯誤は果てしなく続くのであった。

2005年5月22日 (日)

プロジェクトの持続性とは…(2)-グアテマラの二言語教育プロジェクトの終了を控えて-(上岡直子)

(前回のコラム「プロジェクトの持続性とは…(1)」

前回のコラムにおいて、グアテマラの二言語教育プロジェクトの、コミュニティ・レベルを超えた持続性に関する懸念に言及した。プロジェクトがコミュニティより上のレベルにおいても持続されるには、国の政府の政策決定権のある人々が、まず第一にプロジェクトの目的を分かち合っており、活動の内容と成果に充分な関心を持ち、それが有益であると認めた上で、公共事業の一部として行く事が必要である。

当グアテマラの先住民向けの二言語教育のプロジェクトの場合は、1996年の和平協定の締結を受けて、USAIDが先住民に対し、先住民の言語と文化を取り入れた教育プロジェクトを実現させる目的で実施に至ったものである。USAIDは1980年代より先住民対象の二言語教育に対し支援を行なっているが、従来はスペイン語の習得を効果的に行なうため、生徒の母語であるマヤ語を使いスペイン語を教授するのが、主な目的であった。しかし、和平協定後の二言語教育プロジェクトは、協定に明記された先住民の文化的権利と、学校での先住民言語の使用、および文化・伝統の保存を支持する目的から、すべての科目におけるマヤ言語の使用、マヤの生活習慣、世界観、文化を織り込んだ授業を目指したという点で、従来の二言語教育と異なる。実際、プロジェクト名からしても二言語異文化間教育(Educación Bilingüe Intercultural)と、文化面も強調されている。USAIDだけでなく、ドイツを始めとする他の国際ドナーも、和平協定後、先住民向けに同様の教育活動への支援を一気に開始した。

しかし、グアテマラの政府にとって、先住民は国の人口の割合からしては過半数であるにもかかわらず、先住民に関する関心は薄く、政府の政策や事業で、先住民が恩恵を受けるものは限られている。これは、政府高官は、大多数が非先住民であり、同胞の非先住民の利益を優先して政府の事業を進めるからである。もちろん植民地時代から続く、先住民に対する偏見、差別もいまだに根強いこともあるだろう。政府は、先住民の起用を対外的に示す必要もあって、少数ながら先住民出身の高官を起用しているが、それらの人々は、政策決定権の周辺部におかれている場合が少なくない。また、政府事業は、農村部よりも都市部対象に重点が置かれがちで、先住民の殆どは農村部に集中しているから不利である。先住民を対象とする二言語教育に関しても、政府の教育政策に明確に含まれておらず、事業も殆ど国際ドナーに頼って実施している。(教育省に異文化間二言語教育局があるが、職員自身の予算も常に充分でなく、事業費にいたっては、殆どないのが現状である)。

 World Learningの当二言語教育(正確に言えば二言語異文化間教育)は、プロジェクトの効果と持続性を図るために、コミュニティ・レベルでの活動と並行し、中央と県レベルの教育省と連携してきた。それは、教育省の高官との討議に限らず、教育省の職員を教員と一緒(または別に)トレーニングし、二言語教育手法を伝授したり、先住民向けの教育に関する会議やワークショップを開催して、二言語教育の重要性を啓蒙したりと、数知れない。昨年(2004年)の初めに新政府が発足し、教育省の高官も一新された後は、教育大臣を当プロジェクト実施地のキチェ県に招待し、実際に教師や父兄が、プロジェクトから伝授された手法で二言語教育を行ない、生徒が和気藹々と学んでいる様子も参観してもらった。草の根レベルで成果が現れた手法と経験をベースに、政府の教育政策や事業に影響を与えるという、ボトムアップの政策戦略である。その結果もあって、教育省が、プロジェクトが終わる前に、先住民の割合が高い十三県を対象に、プロジェクトの開発した、異文化間二言語教育手法を伝えるトレーニング・ワークショップを開催して欲しいと依頼があり、そのワークショップは今年初めに実施された。

しかし政府がこれから、キチェ県で私達のプロジェクトの活動を県の職員によって引き継いでいったり、また、他県において、プロジェクトがワークショップを通して伝授した手法や経験を実際活用していくという予定は、特に出していない。このプロジェクトは、グアテマラ政府とUSAIDの協力協定により開始されたもので、書類上は、政府(教育省)がカウンターパートとなっている。しかしそれは形式上のことだけで、政府は相変わらず先住民に対する関心が薄く、自分達の予算を費やしてまで二言語教育を推し進める意図はないことを、改めて認識させられた次第である。世界銀行やJICAの技術移転のプロジェクトであれば、政府が真のカウンターパートであり、その為、政府の意向や官僚システムに否が応でも振り回され、プロジェクトが従来意図した活動を行いにくかったり、効率的に活動を進めるのが困難だったりする。以前世銀にいた私は、USAIDのプロジェクトの実施し易さがうれしかったのだが、今になって、それは政府の範疇外で活動が行なわれていたためと気づき、唖然としてしまったのである。当プロジェクトは、草の根レベルで教師や住民に、二言語教育に対する意識変革を引き起こすことには、ある程度成功したと思う。また、プロジェクトが起用した先住民のコーディネーター達も、プロジェクト終了にあたって、自分達の同胞の先住民に対する支援を引き続き行なう目的で、NGOを結成したりと、プロジェクトの活動がローカルのキャパビルの一端を担ったと自負している。しかし、USAIDのこのようなプロジェクト実施のモダリティが、コミュニティを超えたレベルでの持続性を持たせられるのか、考えさせらてしまうところである。

2005年2月21日 (月)

プロジェクトの持続性とは…(1)-グアテマラの二言語教育プロジェクトの終了を控えて-(上岡直子)

1月の後半に、グアテマラを訪ねた。World LearningがUSAIDの資金で5年半程実施していた、マヤの先住民向けの二言語教育が今年三月に終了するため、そのプロジェクト終了のイベントに参加するのが、主な目的だった。

このイベントはグアテマラの首都で開催された。プロジェクト・チームが、プロジェクト実施地であるキチェ県農村部の学校における活動内容を、参加者に多少でも見てもらいたいと、プロジェクトが関わってきた学校のひとつから先生と子供たちにも来てもらった。イベント会場の一部に小さなテントが張られ、クラスルームが再現される。先生がプロジェクトによる教員養成訓練を通じて習い、自分自身でも工夫をこらした二言語教育法を駆使し、授業をデモンストレーション。グアテマラでは、一般的には、教師がマヤの言語や文化を教えることが今まで殆どなく、その教授法や教材に乏しい。プロジェクトは、貧しい農村部でも、身の回りにある資源やリサイクルの物を利用し、マヤの言語や文化を教える様々な方法を紹介してきた。このモデル授業においては、先生が乾燥させたとうもろこしの芯に針金を通して作った教材で、自由自在にアルファベットの字を作り、小学校一年の子供たちにアルファベットの書き方と発音を教えていた。また、図工のクラスでは、子供たちは様々な草花を直に紙に擦り付け、色とりどりな絵を仕上げた。

会場は、プロジェクトが過去5年間関わってきた様々な組織の人々であふれていた。ドナーのUSAID、GTZやJICAを初めとする他の政府機関、教育省の人々、先住民や教育関係のNGOや教育専門家、教員養成所の教師と生徒など。そのうちに、グアテマラの副大統領のEduardo Stein、二言語教育担当の教育次官のCelso Chaclánも会場に現れ、モデルクラスを見て先生や子供たちに質問したり、展示された教材を見て回ったりした。副大統領の登場とともに、イベントの取材で会場に来ていた様々なテレビや新聞の報道陣も一挙に副大統領にまとわりつき、副大統領をフラッシュとインタビュー攻めにする。

そして昼前に、正式なプロジェクト終了式の始まり。まず、プロジェクトの先住民のコーディネーターの一人(彼はマヤの祭司でもある)が、伝統的なマヤの儀式にのっとり、お香を焚いて祈りを捧げて、式は幕を開けた。それから、プロジェクトの活動内容と成果の概要が説明され、グアテマラのUSAIDのトップ、教育次官、副大統領のスピーチと続く。副大統領のSteinは、自身がグアテマラの学校で受けた英語、ラテン、ギリシャ語の教育、また後米国で博士課程に在学中した際の経験を交えて、語学教育の意味を述べ、先住民にとってマヤの言語と文化を重視した教育の大切さを強調した。去年よりは、マヤ語を習っているという発言に、皆の拍手喝采が起きた。(教育省のウェブに、当イベントが報道されている。http://www.mineduc.gob.gt/articulos_2005/enero/6/noticia6.htm)

このように、プロジェクト終了式は、華々しく終わった。翌日の新聞は、Prensa Libreを初めとする主な全国紙が、こぞってイベントを報道し、先住民向けの二言語教育を焦点とする記事を載せた。しかし現在、プロジェクトの終了報告書を用意しながら、当プロジェクトが終了した後、果たして持続性はあるのか、考えさせられてしまう。コミュニティ・レベルでの持続性に関しては、まだ良い。プロジェクトは、すでに数ヶ月前に学校やコミュニティ向けの活動を終了したいたが、今回の一月に私が活動地の学校を訪れた際は、教師はいまだにプロジェクトから教わった教授法や教材を活用し、二言語での教育を行なっていた。父母たちも相変わらず定期的に集会を開き、教師とともに子供たちの教育をさらによくしていくためのプランを話し合っていた。教師も父母も口を揃え、二言語教育と、生徒や親の参加をはかる教育の恩典を理解した今、自分達はこれからもそれを実施続けるつもりだと述べていたのが、印象的だった。

しかし、懸念なのは、コミュニティ・レベルを超えた持続性である。実際にプロジェクトは、プロジェクト終了後、教育省が当プロジェクトの活動を公的に引き継ぐのを期待しながら、活動開始当初より中央と地方の教育省との協力関係を築く努力をし、様々な連携を図った。それは、中央教育省との会合、会議やセミナーから、地方レベルでの教育担当官との共同活動実施まで、多数にわたる。その成果もあって、今年に入ってから、教育省の依頼で、先住民の割合の多い一三県向けに、プロジェクトが開発した二言語教授法に関するトレーニングを行なった。でも、政府側は、二言語教育に関して、真のコミットメントをもち、プロジェクトの開発した方法なり経験を、実際に応用して行くのであろうか。政府高官が出席したプロジェクト終了式に参加して、政府の公約が形式だけに終わないことを祈らずにはいられなかった。

次回のコラムでは、同グアテマラのプロジェクトを基に、プロジェクトの持続性に関しさらに検討したいと思う。

2005年1月10日 (月)

ローカルNGOによるPLA研修(位田和美)

雨季中、農作業に勤しむ住民に圧倒され、村落開発に挑戦する自信を失い、悶々としていたとき。私の葛藤を見透かしたかのように、JICAセネガル事務所企画の現地技術補完研修が実施された。本研修は、村落開発に関して豊富な経験を有するローカルNGO、ENDA3Dの指導の下でのPLAの実践学習を目的とし、研修中に得たアイデアを任地での活動に活かそうという意図から企画・実施されたものである。「PLAの実践学習」とは!しかも、セネガルローカルの老舗NGOの手法を実地体験できるとは!まさしく私が欲していた研修内容であり、事前学習から相当の心意気を持って臨んだ。

かくして5日間の研修は、(1)PLAツール概要確認、(2)PLAツール実践、(3)ENDA3DによるPLA実践見学、(4)村の3ヵ年計画立案、の4本立てで、非常に効率よく実施された。また、研修期間を通し、ENDA3Dの24時間体制および現地ファシリテータ(近郊村在住の村落開発普及員)のマンツーマン指導により、きめ細かなサポート体制がしかれ、私自身が抱いていた疑問や課題にも懇切丁寧に応じてくれた。

PLA実践前は、現地語もままならず、社会的背景の異なる外部者である自分が住民にどのように接したらよいのか、住民の前で「話をする」という事自体に全く自信がなかった。しかしながら、いざ腹をくくってやってみると、住民はこの「何者かよくわからないお客さん」に対し辛抱強く応えてくれ、むしろ、片言の現地語に四苦八苦している「外国人」との会話を楽しんでくれている様子さえ伺えた。研修実施時は雨季の真っ最中であり、また、そのうちの1日は定期市の日と重なり、住民が集まるかどうか懸念されたが、女性グループ代表の言葉を借りれば、「お客さんが来ているのに、集会に行かない訳にはいかない」と、自分の予定を変更してまでも参加してくれる住民が少なくなかった。
他方、PLAツール実践時には、ニーズとウォンツの分析が甘く、幾度も失敗を重ね、納得のいく結果を残すことはできなかった。それでも、自分なりにファシリテーション方法を試行錯誤する過程で学んだものは多く、PLA理念の現地適用度の高さ、PLAの技術面での奥深さを再認識し、また、村落開発における私自身の課題を明確にすることができた。

さらに、何よりも昼夜を通してENDA3Dや現地ファシリテータと様々な議論を交わし、彼らの仕事にかける熱意やポリシーを垣間見ることができたのは、本研修の最大の成果である。彼らは「今のセネガルは経済的には決して豊かだとは言えない状況にある。けれど、後10年、今の世代の人たちが頑張って国の基盤を築いていくことができたら、必ず良い未来が開けると思う」と言う。これを聞いたとき、私もこのような希望溢れる国で、彼らや住民と一緒に、少しずつ、ゆっくりと国の基盤作りに参加していきたいという想いを新たにすることができた。

2004年11月29日 (月)

セネガルの現実(位田和美)

 前回書いたとおり、私は青年海外協力隊として、PLAの実践、住民のニーズの追及という課題を持って村落開発に挑もうとしていた。そのセネガルに足を踏み入れたのは2004年4月。協力隊の研修システムとして、到着後1ヶ月間は現地語学訓練で占められ、いざ任地へ赴任するときには、乾季ももう終盤に入っていた。

 そして、右も左もわからない任地へ赴任後、1週間足らずでとうとう雨季に突入した。雨季になると、各農家はこぞって種子や肥料を準備し、ときには農業銀行に対し、その年の収穫物を担保に融資を申し込んだりする。郡政府も、私の配属先である農村普及センターも、この頃には落花生の種子の販売管理に忙殺され、種子を求めて次々と押し寄せる農家をさばき、農耕準備の一環を担う。準備が整うと、人々は皆一斉に畑へ行き、朝から晩まで、雨が降る速さと闘うように、落花生や粟(ミレット)、とうもろこしといった主要作物の種子を植える。種子の植え付けが終わっても、農作業は延々と続く。雑草処理、土の掘り起こしなど、人のみならず、牛や馬の休まる暇もない。まだ幼くて農作業ができない子も、皆と一緒に畑へ行き、木陰でさらに小さい子の子守をする。まさに一家総出である。それもそのはず。この期間の雨量と農作業量が一年間の収穫量を左右し、その年に「食えるか」「食えないか」が決まるのである。住民の、一家の生活がかかっている。

 こうなると、もう参加型開発どころか、住民と話をすることもままならない。雨のために陥没の多くなった悪路を忍んで村へ行っても、老若男女とも畑へ出払っているため、村はもぬけの殻である。たまに昼食担当で家に残っている女性に出会っても、重労働の農作業と家事の二重苦でやせ細り、今にも倒れそうである。

 こうして私の意気込みは、村のリアリティの前に総崩れとなり、はからずしも雨季が明けるまで、少なくとも住民の邪魔にならないよう、村の生活を観察することになった。その数ヶ月間、農作業に勤しむ住民の生活と、私の持つリアリティとのギャップを痛切に感じた。そして、いつしか私自身が持っていた村落開発課題に挑戦する見通しと自信をすっかりなくしてしまったのである。

2004年10月24日 (日)

マイクロファイナンスとは?(粟野晴子)

「地球に乾杯!NGO」をご覧になった読者の方々が用いた検索エンジンでのキーワードを元に、以前掲載したコラムを厳選してお送りいたします。
第6回:キーワード=「マイクロファイナンスとは

 マイクロファイナンスは、貧困削減やエンパワーメント効果があると注目され、多くの機関やドナーが取り組んでいる。今回、このコラムに参加するに当り、まず、私の専門であるマイクロファイナンスの定義や具体的な内容を説明したいと思います。

 「マイクロファイナンス」とは、貧困層や低所得層を対象とした小口の融資や預金などの金融サービスを指しています。バングラデシュのグラミン銀行等の小口融資プログラムが有名になった当初は、「マイクロクレジット」という言葉が使われていましたが、その後、貧困層にとっても預金や保険などの融資以外の金融サービスのニーズがあり、これらのサービスを行う機関が増えてきました。そこで、現在はこれら預金等のサービスも含めて示す「マイクロファイナンス(以下、MFに省略)」という言葉が使わています。(「マイクロクレジット」を使いたい組織もあるようですが…。)

 MFでは、都市および農村の零細事業主や零細農や小農などを対象に、一般金融機関が取扱わない小額の融資や預金サービスを行います。そして、これまで貧困層がサービスを受けられなかった様々な制約を取り除くための、革新的な手法を用いていることも特徴です。担保に代わるグループ連帯保証制度、機関のスタッフが貧困層やグループを訪問する移動銀行などです。そして、これらのMF機関は、これまで高利貸しや友人・知人などのインフォーマル金融に頼らざるを得なかった貧困層に対し、市場金利に近いコストでの融資への道を開きました。家庭でのタンス預金などの貯蓄手段しか持たなかった人々に、安全な預金手段を提供している機関も増えています。

 MFについては、融資による所得向上効果の他、女性の発言力の強化などのエンパワーメントの効果も多く報告され、一部では、貧困削減やエンパワーメントの万能薬であるかのような賛美もされますが、その一方で、「最貧困層には届かない」「貧困層の負担を増加させている。」「本当に所得向上効果があるのか?」「グループ貸付けは、社会での人間関係を崩壊させる面もあるのではないか?」といった否定感や疑問も多く聞かれます。今後の報告では、近年のMFの流れをご紹介すると共に、このようなMFに対する評価や限界、それに対する取り組みについても考えていきたいと思いますので、皆さんが見られた事例やご意見もどうぞ活発にお寄せ下さい。

(このコラムは2002年7月10日に掲載しました。バックナンバーはこちら。また、関連文献リストはこちら。)

2004年5月30日 (日)

コミュニティと住民参加-プロジェクト実施にあたって再考してみると(2)-(上岡 直子)

 前回のコラムでは、World Learningのグァテマラ二言語教育のプロジェクトが、住民参加を活動の重要な一部としてプロジェクトを実施したことにより、父母会のメンバー達が二言語教育の重要性を理解し、子供たちの教育を積極的に支持するまでになった。しかしそれにもかかわらず、昨年末の評価調査では、ドロップアウトの減少、就学率向上というようなデータに、特別な変化が見られなかった、ということを述べた。プロジェクト期間が短ければすぐ数字に反映されるのが難しいのはわかるが、当プロジェクトは、すでに五年も実施している。このような定量的指標は、プロジェクト以外の外的要因にも左右されるので、これだけでプロジェクトの達成度を測るのは適当でないことは承知している。

 しかし、ここで次の疑問が沸いてきた。住民の参加を促すにあたって、父母会を対象に会話をもち、そのメンバー達の教育に対する意識改善・行動をおこすことを助けてきたが、その効果は父母会の活動に積極的に参加してきた人々に留まり、他の父母達が教育に対する理解や関心を特に高めたわけではなく、その理由もあって、コミュニティ全体の学校教育の底上げにならなかったのではないか。

 通常World Learningが教育プロジェクトを実施する際は、コミュニティにすでに存在する父母会を活用し、それを対象に住民参加を図る。しかし、前回のコラムで言及したJo de Berryは、その“Exploring the concept of community: implications for NGO management” ( CVO International Working Paper Number 8, 1999. Center for Civil Society, London School of Economics )というペーパーにおいて、NGOが既存の住民組織を通じて、コミュニティ・ベースの活動を行う際に、注意すべき点を幾つか指摘しており、そのひとつが以下である。

 既存の住民組織は、コミュニティの一部のエリートにより組織され、構成されている場合が多いため、コミュニティ全体を代表しているとは限らない。よって、コミュニティ内に存在する他の社会階層の意見と参加を、排除していることがありえる。外部者であるNGOは、コミュニティを同質の統一体と捉えがちであるが、いずれのコミュニティもヒエラルキーが存在し、社会的に分断されているのが普通である。その現実と、複雑な力関係は、外部者には理解し難い。これらのヒエラルキーや分断は、経済的なものであったり、ジェンダーや異なる民族グループに起因する社会的な要素によるものであったりと、様々である。

 そこでグァテマラの場合を鑑みると、父母会を通じて住民参加を図ってきたわけだが、Jo de Berryが指摘するように、父母会も一部のエリートなり社会層が構成するもので、コミュニティ内の様々な経済的社会的グループそれぞれが代表されているとは、限らないのではないだろうか。私がグァテマラを訪れたときに参加した父母会のミーティングでは、出席者の殆どが農民のようであったが、そういえば何人かは携帯電話を、畑仕事用の鉈などと一緒に腰のベルトにぶる下げていたのを、思い出す。その人達は、その農村の農民のなかでも、比較的恵まれている人たちなのであろう。また、参加者の一人は、着ているものからして一般の農民と違う、Tシャツ、ジーンズ姿だったので、人に訊ねてみたら、米国に出稼ぎに行き蓄えた貯金で、その土地には珍しい立派なコンクリート作りの建物を建て、雑貨屋を営んでいるとのことだった。そしてなによりも印象的であったのが、女性の参加者の少なさであった。二十数名集まっていた人々のうち、女性はただの二人。学校の父母会というと女性が多いように思うであろうが、男性が殆どだった。プロジェクトの住民参加担当者の説明によると、コミュニティには通常多種の住民組織が存在するが、女性に特化したグループ以外は、殆どの組織が男性中心に構成されているのが一般的で、学校の父母会もその例外ではない。そして、父母会のミーティングや活動も、男性が大多数の場合が多いとのことだった。そうしてみると、父母会の活動から、女性の意見や参加が、かなり排除されているのは明らかである。また、グァテマラの山岳地帯、特にプロジェクト実施地のキチェ県では、内戦中に寡婦になり、母子家族で子供を育てている女性の割合が多い。これらの母子家族は、父母会より一切疎外されている可能性が高い。

 学校の父母会のメンバーに女性の割合が少ないのに関しては、グァテマラの同プロジェクトは特別な配慮を図り、プロジェクトの途中から、50のコミュニティにおいて、女性の父母会参加を図るための活動を、試験的に加えた。まず、コミュニティの男女双方を対象に、父母会の女性参加が重要であることの認識を促すワークショップを実施した。そしてそれと同時に、女性を対象とし、父母会の活動への参加を助けるためのトレーニングをおこなった。内容は、教育の重要性に関する一般的な事柄から、父母会の組織構成や機能などに及ぶ具体的知識、また簡単な識字教育にまで及んだ。父母会に参加することを躊躇していた女性たちが多少でも自信をつけ、父母会の活動に意義を見出して、積極的に参加していくことを助けるのが目的であった。この活動により、これらの50のコミュニティにおいては、父母会メンバーの母親の割合が平均25%まであがり(当活動前は、平均5%)、また父母会の母親メンバーが、父母会が主催するミーティングや活動に、他の女性達を引き込むことから、全般的に女性が学校や子供たちの教育に、以前に比べ積極的に関与するようになった。

 ここで思うのが、これと同様に、父母会がコミュニティを代表するものといえるかどうか、その構成を、コミュニティ内の様々な経済・社会層の存在と、その力関係の実態と照らし合わせてあらかじめ鑑み、住民参加の活動を発展させることが、必要だったのかもしれない。Jo de Berryは、そのペーパーの結論において、NGOが、プロジェクトの裨益者である住民達に関する簡単な民族学的調査を行ったり、既存の調査や情報を活用したりして、まずコミュニティの現実を把握しようとすることが、NGOのコミュニティ・ベースの活動を意味あるものとし、効果を挙げる上で、非常に大切であると主張する。それも、外部者の視点でなく、住民自身によるemicな視点から、コミュニティの現実を浮き上がらせるものでなくては、意味がないと言う。

 Jo de Berryのペーパーは、グァテマラのプロジェクトの住民参加の側面に関しても、幾つかの有益な示唆を私に与えてくれた。父母会が果たしてコミュニティ全体の住民参加を促進しているかどうか充分配慮し、参加に不均衡がないようなプロジェクト活動形態を整えることが必要であると、遅ればせながら認識を強めた次第である。

2004年4月 4日 (日)

コミュニティと住民参加 -プロジェクト実施にあたって再考してみると(1)-(上岡 直子)

(前回のコラム「グァテマラの先住民が開発したコンピューター教材」)
 コミュニティを開発の主要対象にし、プロジェクト活動に住民参加を推進すること…これは、NGOが長年手がけてきたことであり、近年は政府や国際開発機関もその重要性を認識し、NGOや地方政府と連携して、この開発形態を推し進めようとしている。しかし、実際に自分がプロジェクトを、コミュニティ対象・住民主導を看板に掲げながら実施してみると、これで果たしてコミュニティや住民主体の開発と言い切っていいものか、疑問が湧いてくる場合が少なくない。最近、グァテマラのプロジェクトに関して、この点をまた新たに考えさせられた。

 私がWorld Learningで担当しているグァテマラ二言語教育プロジェクトは、グァテマラの中でも先住民の人口の割合が高い、キチェ県の数百のコミュニティを対象にしており、住民参加をプロジェクトの基調のひとつにおいている。というのは、先住民の母語であるマヤ語や、第二言語としてのスペイン語の教授方法を、教員養成を通じて強化し、二言語による教材を開発して学校に配布しても、生徒の父母が子供の教育に無関心だったり、子供を学校に送らなければ、学校教育向上にも限界があると判断するからである。それに、同プロジェクトに関しては、プロジェクト効果を挙げるに当たり、父母に教育の重要さ認識し子供の教育を支援してもらうことが大切であるほかに、二言語教育に関する正しい理解を深めてもらうことも、重要な点である。というのは、五年前のプロジェクト開始時に行った対象コミュニティの父兄からの聞き取り調査においては、一般的に先住民の父母達は、自分の師弟が自分達自身の言語を習得することに関心がなかったり、反対であった。というのは、父母の多くが、自分達の言語に劣等意識があったり無用だと見なしていた。将来子供たちが良い経済的機会を追求るにあたっては、スペイン語を習得することが一義的であり、もし二言語教育であったら、スペイン語と平行し、マヤの言語の代わりに英語を教えて欲しいという意見が、多数だったのである。しかしキチェ県を含むグァテマラ農村部においては、先住民の子供たちは、小学校の授業が、自分達の母語であるマヤ語でなくスペイン語で教授されているために、授業内容が理解できず、しまいにドロップアウトしていくのが一般的な現状である。

 そこでまず同プロジェクトは、既存の父母会を通じて、教育の重要さや二言語教育の理解を深める目的で対話を図った。マヤ語とスペイン語における二言語教育が、子供たちの学習効果を上げるのにいかに必須であり、それにより退学率も減る可能性があること。また、子供達の母語であるマヤを最初きちんと習得することが、第二言語のスペイン語の習得にも役立つこと、などに関する会話が、父母会のメンバーたちと定期的に交わされた。その結果もあり、プロジェクトが対象としているコミュニティにおいては、父母会が二言語教育を支援し、マヤの言語が話せる教師を学校にあてがってくれるよう県の教育局にかけあったりするまでになった。私が昨年の十月に対象学校の幾つかを訪れた時も、プロジェクトが父母会の要請を受けて、学校の教科内容に関する父母会の希望をまとめ、教師と討議するプロセスを手伝っていたところであった。子供たちにまず教えて欲しい教科内容として真っ先に父母会のメンバーがあげたことがらも、マヤ語の基礎能力やマヤの生活習慣・文化・伝統だった。五年前には考えられなかったことである。

 しかし、去年の暮れに実施した評価調査において、プロジェクトの対象学校において、就学率や学校終了率の向上や、ドロップアウト率の低下が、特に見られないという結果が出てしまった。これは、二言語教育が教育の効率性を上げるという推定を押し出して実施していたプロジェクト関係者には、ショッキングな結果であった。もちろん、プロジェクトの達成度をこのような数量的な指標で判断するのは、あまり意味がないことかもしれない。また、これらの指標は、外的な様々な要因(例えばコミュニティの社会・経済状況の変動など)に大きく左右されるため、プロジェクトの介入だけの問題ではない。実際にプロジェクトは、定性分析を含めた様々な指標を定めて、プロジェクト効果をモニターしでいる。

 しかし、ここで思い出されたのが、私が最近読んだ、London School of Economicsの博士課程の学生、Jo de BerryによるNGOのコミュニティ・ベースの活動にかかるペーバーである。彼女曰く、”the concept of community as used in NGO policy is weakened by the assumption that community inspired action will be beneficial to all.”(Exploring the concept of community: implications for NGO management, Jo de Berry, CVO International Working Paper Number 8, 1999. Center for Civil Society, London School of Economics).

 そこで、次回の私のコラムでは、Jo de Berryのペーパーを基に、グァテマラの二言語プジェクトが、既存の父母会を通じて行ってきた住民参加活動と、そのコミュニティ全体にかかる影響を、多少掘り下げてみたいと思う。
(バックナンバー