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北朝鮮

2006年11月27日 (月)

開発援助の側面から見た人道援助(杉原ひろみ)

前回の関連コラム「米国NGOが実施した米朝二国間の人道援助

そもそも「人道援助」と「開発援助」は何がどう違うのか。英国の大学院で開発学を学び、開発援助の側面から実務や研究に就いてきた私には、実は「人道援助」には馴染みが薄かった。それゆえ、米国政府の対北朝鮮援助を研究するようになって初めて、「人道援助」とは何かを考えるようになったと言っても過言ではない。私の知る人道援助研究は、難民や人権問題を扱う国際政治・国際法の研究者や、緊急援助活動を行う実務家が研究論文を発表するケースが多い。そして事例研究として、スーダン、ソマリア、エリトリア、リベリア、コソボ、アフガニスタン、カンボジアなどが取り上げられている。人道援助研究では、これまで開発援助関連の英語文献しか読んで来なかった私にとって、知らない言い回しや専門用語が多く、論文を読むことはかなり苦痛だった。

他方、日本国内で「平和構築」という言葉をよく耳にするようになった。米国の対北朝鮮人道支援について研究にするようになって以来、ずっと平和構築と北朝鮮で何か接点はないのだろうかと考えてきた。「地球に乾杯!NGO」の2006年2月6日付コラムの「北朝鮮の人道・開発援助の特異性(2)」で述べたように、北朝鮮の特異性として、これまでの他国の援助と比較して、緊急援助、食糧支援で問題となった事柄が一度に、しかも極端な形で現れている。そして、対北朝鮮援助は国際政治の重要問題と理解されている半面、国際政治で主流の「安全保障化のパラダイム(Securitization Paradigm)」では北朝鮮の人道政策分析ができない。

北朝鮮では1995年に起きた水害のため、西側諸国を中心に「緊急救援活動」が行われていたが、自然災害がなくなっても慢性的な食糧や医薬品等の不足が続いたため、一部の対北朝鮮支援は緊急援助から開発援助へシフトしていった。そうした中、現場で支援を行う関係者は、人道か開発かといったジレンマに悩まされるようになった経緯がある。北朝鮮のような「脆弱国家」に対する緊急援助から持続的開発への援助に移行を考えるヒントが「平和構築」の一連の議論に隠されていないかと考えたのである。

私は、国レベルで考える安全保障などマクロな国際政治分野からだけでは片付けられない国内・地域固有の問題が多く、そこを紐解き、解決していかないかぎり、「複雑な政治的危機」(Complex Political Emergencies)は解決できないのではないかと考える。そうした考え方は、開発、中でも農村開発の基本であり、それを応用した援助手法が主流になってきている。しかし、国際政治や国際法研究をざっと読み解くと、そうした視点から書かれたものが皆無と言ってもいい。そんなとき、開発援助の視点から研究をしているデイビッド・ヒューム(David Hulme)らが書いた論文が目に留まったのである。彼らは紛争解決・平和構築研究と開発政策研究の両者の分野を見事に橋渡ししていた。

デイビッド・ヒュームは、1990年代初頭にマイケル・エドワーズ等と「政府とNGOの関係」について研究していた英国マンチェスター大学教授である。その後、1997年から2年間、英国リサーチ・研修NGO「INTRAC」のジョナサン・グッドハンド(Jonathan Goodhand)等と、DFID(英国国際開発省)などの予算で、平和構築と、そこでのNGOの役割について研究し、ワーキングペーパーを12本、DFID向けに執筆している。また、一部が論文としてThird World Quarterly(1999年2月号)という開発分野で有名な学術誌に特集で掲載された。それ以降、開発分野において「複雑な政治的危機」(Complex Political Emergencies)という用語とその概念が定着したと言える。同時期に、デンマーク国際学研究所(CDR)において、ジョアキム・グンデル(Joakim Gundel)が文献調査を実施し、ワーキングペーパーにおいて人道援助の潮流を詳しく書いている。

DFIDへ提出されたワーキングペーパーを読むと、ヒュームとグッドハンドは「紛争の原因分析をする際、国際・国レベルの分析ではなく、コミュニティ・レベルの分析を試みる。その理由として、紛争は各々、異なる力関係、構造、アクター、信仰、不平不満などを背景にしている。そして、喜怒哀楽などの感情や、知性・理性など、コミュニティが持つ心が紛争と密接に結びついている。」としている。私はその考えに共感し、私の米国の対北朝鮮人道援助研究の基本姿勢がようやく見つかったような気になった。

参考文献:
●Goodhand, J. and Hulme, D. (1997) ‘NGOs and Peace Building in Complex Political Emergencies: an Introduction’, Peace Building and Complex Political Emergencies Working Papers No1, IDPM, University of Manchester.
●Hulme, D. and Goodhand, J. (2000) ‘NGOs and Peace Building in Complex Political Emergencies: Final Report to the Department for International Development’, Peace Building and Complex Political Emergencies Working Papers No12, IDPM, University of Manchester.
●Goodhand, J. and Hulme, D. (1999) ‘From Wars to Complex Political Emergencies: Understanding Conflict and Peace Building in the New World Disorder”, Third World Quarterly Vol20, No1, pp13-26.
●Gundel, J. (1999) ‘Humanitarian Assistance: Breaking the Waves of Complex Political Emergencies – A Literature Survey’, CDR Working Paper, Centre for Development Research.

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2006年5月29日 (月)

米国NGOが実施した米朝二国間の人道援助(杉原ひろみ)

(前回のコラム「米国の北朝鮮人権法の成立過程を追う」)

「米国の対北朝鮮人道・開発支援」に関して、特定の政策立案プロセスを研究したいのか。それとも具体的なプログラムやプロジェクトに焦点を当てた研究をしたいのか。前回のコラムでは、政策レベルの研究の一例として、北朝鮮人権法の成立過程について考えてみた。今回のコラムは、具体的なプログラム・プロジェクト焦点を当てて考えてみることにする。

リードによると、北朝鮮でどのドナーも人道援助の枠組みを超え、大がかりな開発援助を進められない理由は主に2つある。一つに、核問題や人権問題など政治的な対立が解決していないため、開発援助を見合わせているのである。二つに、開発援助の実務者の間で常に問題になることとして、北朝鮮内部における透明性とデータ収集能力の欠如、そして包括的な評価(assessment)に対して非協力的であるため、開発援助を実施するのに限界があることだ(Reed, 2005)。

では、アメリカが大がかりに北朝鮮に対して援助を行わない最大の理由は何であろうか。まず、米国の法律に「国際テロ支援国家に対して、開発援助は行わない。」という条項があり、北朝鮮は国務省の国際テロ支援国家リストの中に入っているからだ。また、仮に開発援助を行えたとしても、開発プロジェクトに対するモニタリング・評価ができなければ、米国議会に対して説明責任を果たせず、十分な支持を得られないのではないか。つまり、食糧援助が北朝鮮の独裁体制を維持させることにつながるのではないか、また食糧援助をすることで、一体、誰が恩恵を被るのか、と言った問いに対して納得できる答えが用意できない限り、本格的な支援は難しい。

そんな中、国際NGOはさまざまな形で北朝鮮支援を行っている。国際NGOの場合、たとえば、英国セーブ・ザ・チルドレンは、栄養士をUNICEF北朝鮮に派遣し、そこを窓口に北朝鮮支援を行った。また、キリスト教系の国際NGOカリタスは、世界規模のネットワークをふるに活用している。最初、カリタス・ドイツが北朝鮮支援を行っていたが、カリタス香港がリエゾン機関として北朝鮮と関わる必要性もあり、また適切であるとして取って代わられた(Smith, 2002)。このように、NGOの特徴でもある柔軟性をうまく活用し、北朝鮮支援を行ってきている。

他方、アメリカのNGOはどうだろうか。米朝間には国交がないため、多くの国交があるヨーロッパ諸国とは援助のやり方を異にする。しかし、決定的に違うのは、米国政府とNGOが極めて近い関係にあることではないだろうか。

1997年6月に米国政府は、米国NGOコンソーシアム(以後、コンソーシアム)の組織支援を開始した。それには、WFPを通じて行っている食糧の配給やモニタリングを、米国NGOに行ってもらいたいという思いがあった。他方、米国のNGOは、北朝鮮の大洪水の危機が一段落すると、民間から共感を得られにくくなり、活動資金を受けられなくなってきたこと、平壌でのプレゼンスを高める必要性があったことなどから米国政府の援助スキームに接近した(Flake, 2003)。

そして、1997年8月から2000年5月までの間に、コンソーシアムは5つのプロジェクトを実施した。うち最初の4回は、WFPを通じて行われた食糧支援やfood-for-work(FFW)(注釈=FFWとは何か)プログラムのモニタリングである。そしてコンソーシアムが実施した最後のプロジェクトとして、1999年7月から2000年5月まで、初の、そして最後の米朝二カ国間食糧援助(米国政府の緊急食糧支援予算枠を使用)「じゃがいもプロジェクト」(the Potato Project)がある。

具体的には、米国政府とコンソーシアム、そして北朝鮮政府(Flood Damage Rehabilitation Committee)の三者間でプロジェクトの契約合意書を作成し、実施した。コンソーシアム設立当初のプロジェクト調整および信託機関をCARE(The Cooperative for Assistance and Relief Everywhere)とし、コンソーシアムをリードする機関として位置づけられた。

予算規模はUSAIDが二国間食糧援助プロジェクトとして1500万ドル、米国農務省が1180万ドル、そしてNGOコンソーシアムが60万ドルを拠出することになっていたが、1年後、はやくもプロジェクトが頓挫し、結果的に約100万ドルの支出(うち60%がコンソーシアムの支出)段階で、失敗に終わった(GAO, 2000)。

「じゃがいもプロジェクト」の失敗原因として、プロジェクト開始時期が遅れたことや、悪天候なども挙がっているが、根本的な問題は、プロジェクト目的の相違ではないだろうか。GAOの報告書によれば、米国側の目的は、北朝鮮の農民によるじゃがいもの生産を向上させることにあったが、北朝鮮側は商業グレードの種いも生産技術の移転を受けることを期待していたのだ。

また、コンソーシアム側の言い分として、なかなかビザが降りず、プロジェクト現場に入り込めなかったこと、また、北朝鮮国内の移動の自由がなく、移動の自由がなかったこと、モニタリングが十分にできなかったこと等を挙げている。さらに、プロジェクトのリード役だったCAREはプロジェクト終了の1ヵ月後、コンソーシアムから脱退する意向を示した。その理由として、北朝鮮は緊急援助から復興・開発プログラムを推し進める時期にさしかかり、北朝鮮の上級レベルの人と協議したいがそれが出来ないこと、開発プロジェクトを進める上で、透明性やアカンタビリティが重要であることを理解されないこと等を挙げている(Flake, 2003)(McCarthy, 2000)。

こうしたプロジェクトを実施したことで、北朝鮮との相互理解や信頼関係が構築されるどころか、北朝鮮に懐疑心を植えつけ、結果的に不信感を増大させたとも言える。スミスによれば、米国政府やNGOに対する北朝鮮側の指摘として、「米国からの食糧援助の大半はWFPを通じて行っている。また、これまで、米国援助によるFFWプログラムは、WFPの物流システムを使って実施された。それなのになぜ、じゃがいもプロジェクトはWFPでなく米国NGOが行う必要があるのか。」とある。また、食糧援助のためのモニタリングか、それともモニタリング(監視)のための食糧支援なのか、わかりかねることが多いと、北朝鮮代表は報告書に記しているそうだ(Smith, 2002)。

「じゃがいもプロジェクト」開始の経緯と実施状況、そして結果などを見る限り、どこの国のどのプロジェクトにも起こり得ることであり、特筆すべき点はあるだろうかと思う。これが私の追求すべき研究材料なのだろうか。悩みは深くなる一方である。

それはさておき、今後の注目すべき点として、ヨーロッパの対北朝鮮支援のあり方が挙げられる。ヨーロッパの多くの国は、WFPないしECHO(欧州人道援助局)を通じて北朝鮮支援を行っているが、ドイツは二国間の援助を行っている(UN, 2002)。ドイツ政府の援助方針とドイツNGOの動きに着目すると、また違った形で欧米の対北朝鮮人道・開発支援のあり方が見えてくるに違いない。

参考文献

●Edward P. Reed. 2005. "The Role of International Aid Organizations in the Development of North Korea: Experience and Prospects". Asian Perspective. Vol. 29, No.3, pp.51-72.
● “Report to the Chairman, Committee on International Relations: Foreign Assistance: North Korea Restricts Food Aid Monitoring,” GAO NSISD-00-35, October 1999.
● “Report to the Chairman, and Ranking Minority Member, Committee on International Relations, House of Representatives: Foreign Assistance: U.S. Bilateral Food Assistance to North Korea Had Mixed Results,” GAO NSIAD-00-175, June 2000.
● L. Gordon Flake. 2003. “The Experience of U.S. NGOs in North Korea.” L. Gordon Flake and Scott Snyder (eds.). Paved with Good Intentions ? The NGO Experience in North Korea. London: Praeger.
● Thomas McCarthy. 2000. “CARE’s Withdrawal from North Korea”Nautilus Institute PFO 00-03: DPRK Development Aid.
● Hazel Smith. 2002. “Overcoming Humanitarian Dilemmas in the DPRK (North Korea)”. Special Report 90. United States Institute of Peace.
● United Nations. 2002. “DPR Korea Common Country Assessment”.

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2006年5月15日 (月)

米国の北朝鮮人権法の成立過程を追う(杉原ひろみ)

(前回のコラム「欧米における北朝鮮人道・開発研究」)

欧米の対北朝鮮人道・開発支援をテーマに研究を始めたが、自分の専門が違うからあれができない、実務で扱って来なかったからこれは出来ない等、へりくつを並べているうちに一ヶ月が過ぎてしまった。なぜ出来ないのか、やりたくないのか、その理由を明確に文章に記すだけでも意義あることではないか。

最初の自分自身への問いかけは、「米国の対北朝鮮人道・開発支援」に関して、特定の政策立案プロセスを研究したいのか?それとも具体的なプログラムやプロジェクトに焦点を当てた研究をしたいのか?

政策レベルの研究としてどのようなものが考えられるか。今回コラムでは、カリン・リー他が書いた「North Korea on Capitol Hill」という論文を元に、2004年10月18日に米国で制定された北朝鮮人権法の成立過程に焦点を当ててみる。

北朝鮮の人権問題が取り上げられるようになったのは、ブッシュ政権が始まる2001年以降である。クリントン政権時は、主に食糧問題の是非が議論されていた。クリントン大統領は、北朝鮮に対して宥和政策(engagement)をとり対話を唱える一方で、議会では共和党を中心に強硬政策を唱える者が多かった。共和党は、食糧援助のモニタリングが十分に行われていないことを理由に、食糧援助が北朝鮮の政体維持に使われているのではないかと主張し、強硬姿勢をとったのである。なお、1999年10月にGAO(米国会計検査院)は「Foreign Assistance: North Korea Restricts Food Aid Monitoring」という食糧援助のモニタリングに関する報告書を発表している。

他方、民主党は政治と人道支援とは別であり、食糧援助が重要であると反対し、97年8月から2000年5月まで、USAIDのファンドによりNGOがコンソーシアムを組み(米国NGO連合体の「インターアクション」が調整役)(参考)、食糧援助を実施すると同時に、議会に対して、北朝鮮への人道支援を継続することの重要性を訴えていった。

2001年から始まるブッシュ政権では、北朝鮮に対して、食糧援助よりむしろ、難民流出と人権問題を抱き合わせて考え、強硬政策を取るようになった。その流れで、2002年5月にNGO「国境なき医師団」が、そして6月にはドイツのNGO「ドイツ緊急医師団」のメンバーとして北朝鮮で1年半働いたノルベルト・フォラツェン医師が上院の公聴会に呼ばれて証言した。(参考)北朝鮮で大勢の人が難民として国外脱出を図り、その結果、東欧型の崩壊をするという、ドイツ人医師が主張したシナリオはインパクトを持ち、ハドソン研究所を中心に支持を得た。

そして同年10月には、米国北朝鮮人権委員会(the US Committee for North Korean Human Rights: HRNK)が設立され、翌2003年6月には同委員会の会長が国会で、北朝鮮の核兵器開発防止要求と同じくらい人権問題が重要であると訴えた。そして21団体が集まって北朝鮮自由化連合(the North Korea Freedom Coalition: NKFC)が設立、人権問題を優先し、援助には反対の姿勢を取った。その背後には、キリスト教の福音派(Evangelical)や在米韓国人教会コミュニティなど草の根の支援が大きかった。

2003年に法案が審議されたが、人権問題の他、大量破壊兵器、麻薬貿易など、内容が多岐に渡り、北朝鮮政府の「体制変化」要求という、政治目的があまりに明確であったため、法案は通過しなかった。翌年の法案では政治色が薄まり、「人道課題」(humanitarian agenda)中心となったこともあり、2004年10月18日にブッシュ大統領が署名して法が制定された。

しかし、そこでいくつか疑問が沸き起こる。第一の疑問として、法が制定されて以降、何か変わったのか?

人権法が出来た背景として、議会における対北朝鮮強硬派(体制変革を求める)が政府内でどんどん力をつけたことにあるのではないか。予算として2005年から2008年度まで毎年2000万ドル(約2億円)の予算が計上されたが、政治的意図が主眼であり、人道目的の支援は二の次であるためか、法律の実行性に乏しい。2006年3月24日付け東亜日報では、レフコウィッツ北朝鮮人権特使へのインタビュー記事を掲載しているが、冒頭に「米政府は、04年に通過した北朝鮮人権法の制定後これまで、たった1人の脱北者も難民の地位を受けていない。」と指摘している。2004年の北朝鮮人権法に基づく米国の脱北者受け入れは2006年5月が最初である。法が制定されることと、それを実施することとはまったく別の作業である。だとしたら、それは一体誰の何のための法律なのか。

第二の疑問として、クリントン政権時に力を持っていた宥和政策支持派はどこに行ったのか。かつて私が米国NGO連合体でインターンをしていた時、クリントン政権時に政治職としてUSAIDの要職に就いていた人が、ブッシュ政権移行後、インターアクションに転職してきた。しかしそうした人も、じきに辞めて消えていった。彼女のような人たちは一体、今、どこで何をしているのか。

そして第三の疑問として、人権法を支援したグループの中でも、在米韓国人キリスト教コミュニティ、福音派、ハドソン研究所等は各々支援の意図は異なるはずである。各々のステークホルダーの利害と思惑はどこにあったのだろうか。元USAID長官アンドリュー・ナチオスはかつて、米国NGO「ワールド・ビジョン」の副会長として北朝鮮を訪問しているが、そのNGOは福音派に属している。ステークホルダーの思惑と政治的利害がどのように交差して、人権法制定に至ったのだろうか。

特定の政策立案のプロセスの研究は、本当に自分自身が求めている研究なのだろうか?悩みは尽きない。

参考文献
● Karin Lee and Adam Miles. 2004. “North Korea on Capitol Hill”. Asian Perspective, Vol. 28. No.4. pp.185-207.
● “Report to the Chairman, Committee on International Relations: Foreign Assistance: North Korea Restricts Food Aid Monitoring,” GAO NSISD-00-35, October 1999.
● 東亜日報2006年3月24日付記事「米、脱北者に近く難民の地位を付与」
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2006032478948&path_dir=20060324

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2006年4月24日 (月)

欧米における北朝鮮人道・開発研究(杉原ひろみ)

前回のコラム「ナチオス元USAID長官と北朝鮮

『北朝鮮にかかる文章をドキドキしながら拝見しています。素人から考えると、「情報あるのかしら」と思っていましたが、結構論文など出ているのですね。』

開発援助の実務に携わる友人から感想が送られてきた。また、別の人からは『日本人なら「在日」・「韓国人」を知った上で、それらとの比較で「北」の社会を類推していく近隣国的発想が普通である。』『北米にいて北朝鮮にリンクする際は、プラクマティックな研究態度にならざるを得ないのではないか。』等の意見をいただいた。

そこで今回コラムでは、北朝鮮研究、特に対北朝鮮人道・開発支援研究に関して、欧米(主にアメリカ)の英語圏ではどんな人たちが、どのように研究しているのかまとめてみる。

日本ではブルース・カミングスが一般に知られている。彼の著作には邦訳本が多く、メディアにも取り上げられている()。しかし、層は薄いながら、他にも北朝鮮に関する研究をしているアメリカ人はいる。では、欧米、特にアメリカにおいて、組織として北朝鮮の人道・開発研究をしている機関はあるのか。日本と違ってアメリカは北朝鮮から地理的に遠く、直接的な利害関係もあまりないため、数も少ない。ブッシュ政権の外交・安保政策に大きな影響力を持つとされるシンクタンク「ハドソン研究所」(Hudson Institute)や、政府機関「米国平和研究所」(US Institute of Peace)、また民間シンクタンク「ノーチラス研究所」(Nautilus Institute)などが挙げられるが、組織としてより個人の力に依るところが大きい。また、インターネットの普及に伴い、国境を超え、英語を共通言語にして、情報の蓄積や研究者間のネットワークの形成が進んでいる。

ワシントンDCで調査するかぎり、大きく分けて研究者層は三つに分かれる。一つに地域研究者である。1970年代に韓国の開発援助に携わった人が、現在、北朝鮮の人道・開発支援や研究を行っているケース。現在、アジア財団韓国駐在事務所代表を務めるエドワード・リード(Edward P. Reed)などがそうである。彼は1970年から73年まで米国平和部隊(日本で言う青年海外協力隊)隊員として韓国ソウルに派遣され、大学の英語教師となった。その後、米国ウィスコンシン大学で国際開発学博士号を取得し、開発援助実務と大学研究の双方で活躍している。他に、北朝鮮の人道・開発支援に対して、欧米や韓国など国際NGOがどのように取り組んでいるのか、他の研究者と詳細に調査し、一冊の本にまとめ上げた、マンスフィールド財団事務局長のゴードン・フレイク(Gordon Flake)もいる。

二つに外交や防衛など北東アジアの安全保障や、国連等の実務経験者である。北朝鮮に実務で携わった経験を元に論文を執筆している。例えばケネス・キノネス(Kenneth Quinones)などがそうだ。1992年、彼は朝鮮戦争後、北朝鮮に訪問して金日成と面会した初めてのアメリカ人元外交官である。また、イギリス人のヘーゼル・スミス(Hazel Smith)は国際政治学者であるが、同時にWFPなど国連や、キリスト教系NGO「カリタス香港」のスタッフとして北朝鮮に関わり、論文を数多く執筆している。北朝鮮から中国に逃れてきた難民や人権問題に関する論文を発表している。私の知るかぎり、彼女が最もバランスのとれた学際的な学者である。

三つにキリスト教関係者である。例えばエルス・カルバー(Ells Culver)がそうだ。米国緊急援助型NGO「マーシー・コー」(Marcy Corps)の創設者の一人である。彼は活動家であり、残念ながら執筆した学術論文等は見当たらない。2005年に78歳で死去したが、翌年1月に初のアメリカ人として、北朝鮮より友好メダル(friendship medal)を授与されている。また、カナダ人のエリッヒ・ワインガートナー(Erich Weingartner)は個人コンサルタントだが、1985年、世界教会協議会(World Council of Churches、本部ジュネーブ)からの派遣で初めて北朝鮮を訪問。以来、北朝鮮と韓国の教会代表団との初の接触準備を行うなどし、1997年から99年に初の国際NGO(カナダNGO)代表として平壌に駐在しており、関係論文も発表している。さらに、アメリカ人のカリン・リー(Karin Lee)は、American Friends Service Committee (クエーカー教徒によって設立された平和問題や人権環境を扱う米国NGO)等に属した後、現在はクエーカー教徒のロビー団体Friends Committee on National Legislationで東アジア政策教育プロジェクトを担当している。彼女は2004年の米国人権法制定に至るまでの過程で、NGO側から米国上下院へアドボカシーを効果的に行ったとワシントンDC界隈の実務者の間で評価されている。他方、学術界ではその経験をもとに論文を発表している。

ハドソン研究所:http://www.hudson.org/
米国平和研究所:http://www.usip.org/
ノーチラス研究所: http://www.nautilus.org/

Edward P. Reed
● Edward P. Reed. 2004. “Unlikely Partners: Humanitarian Aid Agencies and North Korea”. Ahn Choong-yong, Nicholas Eberstadt, Lee Young-sun (eds.). A New international Engagement Framework for North Korea? – Contending Perspectives. Washington DC: The Korea Economic Institute of America.
● Edward P. Reed. 2005. “The Role of International Aid Organizations in the Development of North Korea: Experience and Prospects”. Asian Perspective. Vol.29. No.3. pp.51-72.

Gordon Flake
L. Gordon Flake and Scott Snyder (eds.). 2003. Paved with Good Intentions? The NGO Experience in North Korea. London: Praeger.

Kenneth Quinones
ケネス・キノネス、2000、「北朝鮮 米国国務省担当官の交渉秘録」伊豆見元監修、山岡邦彦・山口瑞彦訳、中央公論新社
ケネス・キノネス、2003、「北朝鮮II 核の秘密都市寧辺を往く」伊豆見元監修、山岡邦彦・山口瑞彦訳、中央公論新社

Hazel Smith
●Hazel Smith. 1999. “’Opening up’ by default: North Korea, the humanitarian community and the crisis”. The Pacific Review Vol.12 No.3: Routledge.
●Hazel Smith. 2000. “Bad, Mad, Sad or Rational Actor? Why the ‘Securitization’ Paradigm makes for Poor Policy Analysis of North Korea”. International Affairs Vol.76 Issue 3.
●Hazel Smith. 2002. “Overcoming Humanitarian Dilemmas in the DPRK (North Korea)”. Special Report 90. United States Institute of Peace.

Erich Weingartner
● Erich Weingartner. 2001. “NGO Contributions to DPRK Development: Issues for Canada and the International Community”. North Pacific Papers 7: University of British Columbia.

Karin Lee
●Karin Lee and Adam Miles. 2004. “North Korea on Capitol Hill”. Asian Perspective, Vol. 28. No.4. pp.185-207.

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2006年3月20日 (月)

ナチオス元USAID長官と北朝鮮(杉原ひろみ)

(前回のコラム「子育てと開発援助の接点」)

開発援助の世界でアンドリュー・ナチオス(Andrew S. Natsios)といえば、2001年5月から2006年1月までUSAID長官として活躍していたことで有名である。引退後の現在、ジョージタウン大学外交学部教授(Professor in the Practice of Diplomacy at the Walsh School of Foreign Service, Georgetown University)に就任している。しかし、彼には別の顔があることをご存知だろうか。北朝鮮の人道・開発支援の世界では、彼は北朝鮮の飢饉や人道支援の専門家として知られている。2002年に出版された”The Great North Korean Famine”が日本語訳され、日本初の北朝鮮の食糧危機に関する書籍として出版された。

では、アンドリュー・ナチオスはなぜ北朝鮮の飢餓について本を書いたのか。USAID長官に抜擢される前、彼は1993年から98年まで大手NGOの米国ワールドビジョン副会長として勤め、貧困に対する米国政府の政策を変えようとしていた。政府とNGOといえば、一般に日本では対話と協調が進んできているが、アメリカでは、いや、少なくともワシントンDCに事務所を構えるNGOを見ていると、NGOから政府へ、その反対に政府からNGOへの異動が頻繁かつ日常として起こっている。彼もまた、その一人だったのである。さらに94年からは、米国NGO連合体「インターアクション」の執行委員会のメンバーとして「人道政策と実践委員会」(Humanitarian Policy and Practice Committee)で活動していた。

そして北朝鮮への人道援助に携わり、何度となく北朝鮮国内や中朝国境を訪れ、飢餓の実態を調査するとともに、飢餓の初期段階からアメリカで援助の必要性を訴えてきた。本書はそのような立場から食糧危機の実態や援助をめぐる論争を解説したものである。さらに1998年から99年までの間、米国平和研究所上級研究員として籍を置き、「人道支援、紛争解決、飢饉と内戦、海外援助、国連機関、NGO、北朝鮮」を専門に、1997年の北朝鮮の大飢饉を中心に研究活動に従事していた。

このように、北朝鮮の人道・開発援助研究の世界でも知られるナチオスだが、開発援助全般における論調はどうなのだろうか。英国ODI(Overseas Development Institute)が発行するジャーナル誌Development Policy Review, 2006, 24(2)に、2005年10月12日にODIと共催で、英国議会で講演したナチオスのスピーチが、非常に示唆に富むものであるとされ、掲載されている(Andrew S. Natsios, “Five Debates on International Development: The US Perspective”)。

そこでは、国際開発援助の政策立案者に対して5つの論点を提示しているが、そのうちの「戦略的再編成」と「変革をともなう開発(Transformational Development)」が注目に値する。東西冷戦時代は、二極世界とソ連との競合という枠組みの中で、外交、防衛、そして開発援助がなされていた。しかし今日、特に9.11以降、米国にとっての脅威は虚弱国家であるとし、その虚弱国家に対する支援を強調している。そして、途上国に対して経済機会を与え、民主国家を広めていくことこそが、米国の国家安全保障上、極めて重要だとしている。

具体的には、ドナー国と受益国双方とも、「政治」(Politics)がもっとも重要な要素であると述べている。先進国、途上国の区別なく悪い政策が変えられない理由は、資産や思考、社会的優位、名声、伝統的な物事の進め方などすべてに、根深く固定化した既得権益が絡んでいて、それを打ち壊す変革が非常に難しいからである。そこで、正しい政策を持ち、理にかなった議論を進めることで、そうしたマイナスの利害体制を変えていくことができると主張している。そのためには、開発のプロは、既存の政治システムの中で、守旧派を不利にし、改革推進派を支援するような政治的圧力をかけ続けることが大切である。

すなわち、単に開発は持続可能なだけでなく、変革をともなうものでなければならないとしている。ナチオスは、決して北朝鮮や、かつて私が暮らしたジンバブエを例に挙げたりしていないが、こうした国こそが虚弱国家であり、ドナー国も当事国も、変革をともないながら開発を進める必要があると、行間から伺える。彼はUSAID長官からアカデミアの世界に移ったが、こうした論調で今後もシビル・ソサエティを誘導し、米国政府に対して働きかけていくに違いない。米国の対北朝鮮人道・開発支援を研究していく上で、今後もナチオスの学術・実務双方の分野での活動を注意深く追って行く必要がある。

主な著作:
Andrew S. Natsios. 2002. The Great North Korean Famine. Washington, D.C.: United States Institute of Peace Press.
アンドリュー・S・ナチオス、2002、「北朝鮮飢餓の真実」小森義久監訳、坂田和則訳、扶桑社
●Andrew S. Natsios. 1997. U.S. Foreign Policy and the Four Horsemen of the Apocalypse. Washington D.C.: Center for Strategic and International Studies.
●Andrew S. Natsios. 1996. “NGOs and the UN System in Complex Humanitarian Emergencies: Conflict or Cooperation?”. Thomas G. Weiss and Leon Gordenker (eds.)NGOs, the UN, and Global Governance. Boulder: Lynne Rienner.

アンドリュー・ナチオスの経歴
米国平和研究所より: http://www.usip.org/specialists/bios/archives/natsios.html
USAIDより: http://www.usaid.gov/about_usaid/bios/bio_asn.pdf
ジョージタウン大学より: http://explore.georgetown.edu/news/?ID=11716

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2006年2月 6日 (月)

北朝鮮の人道開発援助の特異性(2)(杉原ひろみ)

(前回のコラム「北朝鮮の人道開発援助の特異性(1)」)

前回のコラムでは、私が現在、行っている北朝鮮の人道・開発援助が極めて特殊で、それゆえ研究、分析を困難にしている4つの点のうち2点を挙げた。今回は、残りの2点について言及してみる。

第三に、これまでの他国の援助と比較して北朝鮮が決定的に異なるのは、これまでの緊急援助、食糧支援で問題となった事柄が、北朝鮮では一度に、しかも極端な形で現れていることだ (リード、2004)。リードは、比較の対象としてエチオピアやカンボジア、イラクでの緊急援助や食糧支援を例に挙げている。エチオピアで起きた1983-1985年の飢饉に国際社会は緊急援助を実施したが、後になって、援助が実は政治目的に利用されてしまっていたことが判明した。カンボジアでは、1979年にポル・ポト政権が崩壊し親ベトナム政権が樹立されたが、援助機関は、多数の国民への援助を実施するのに、カンボジア政府による厳格な監督を受けるという条件を甘受するか、あるいはクメール・ルージュの残党が侵入いるタイ国境付近の難民を支援するのかという、究極の選択をしなければいけない状況に追い込まれた。また、イラクでは、十年にもわたる国連の経済制裁で疲弊したイラクに対して食糧援助を行うことは、サダム・フセインの独裁政権を支援し、強化することになり、イラク国民の苦難を継続させることになっていたと非難された。こうした過去の経験と失敗が、北朝鮮で同時に起きているとリードはいっているのである。そうした北朝鮮の人道・開発援助をどのように分析するのか。答えはなかなか出てこない。

第四に、対北朝鮮援助は国際政治の重要問題と理解されている半面、そのような見方だけでは決して捉えきれないことである。具体的には、国際政治で主流の「安全保障化のパラダイム(Securitization Paradigm)」では北朝鮮の人道政策分析ができない(スミス、2000)。スミスは、英国ウォーウィック大学政治・国際学部で国際関係を専門とする教授だが、これまでWFPやUNICEF、NGOのスタッフとして何度も北朝鮮に滞在しているため、人道援助の実務レベルから国際政治分野までを網羅する論文を執筆している。国際政治は私の専門外なので、人道援助の実務家寄りの論文を読む分には彼女の議論についていけるが、彼女の国際政治面から書かれた論文を読むと頭がしびれてしまう。それを敢えて国際協力の側面から解釈すると、スミスは上記の主流パラダイムでは複雑な北朝鮮政治や急速な変化を把握しきれないと主張している。北朝鮮の現体制の継続か、終焉かを議論するのでなく、歴史的背景を重視し、状況に応じ、道理にかなった分析を行い、朝鮮半島における平和や安定、そして飢餓からの解放に向かって現実的に実証する必要があるとしている。

たしかに結論が二者択一となる議論は楽である。しかし、開発援助の現実はそんなに単純な議論で切り落とせるものではない。歴史・経済・社会・文化などさまざまな要因を総合して考え、そこに暮らす人々の開発を考えなければならず、唯一の答えなど存在しない。間口が広く奥が深いので、それが面白いところであり、また研究を進める上で、困難なところでもある。

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参考文献
●Michael Edwards. 1999. Future Positive. London: Earthscan.
●Edward P. Reed. 2004. “Unlikely Partners: Humanitarian Aid Agencies and North Korea”. Ahn Choong-yong, Nicholas Eberstadt, Lee Young-sun (eds.). A New international Engagement Framework for North Korea? – Contending Perspectives. Washington DC: The Korea Economic Institute of America.
●Hazel Smith. 2000. “Bad, Mad, Sad or Rational Actor? Why the ‘Securitization’ Paradigm makes for Poor Policy Analysis of North Korea”. International Affairs Vol.76 Issue 3.

2005年11月28日 (月)

米国NGOの対北朝鮮人道支援(杉原ひろみ)

(前回のコラム「国際社会の対北朝鮮人道・開発支援開始にいたる歴史的背景」)

前回のコラムでは、国際社会が北朝鮮に対し、どのように人道・開発支援を行ってきたか、その経緯を大ざっぱに振り返った。今回は、米国NGOがどのようにして北朝鮮に対して人道支援を行うようになったのかご紹介する。

1995年8月大洪水に見舞われた北朝鮮は、9月に西側諸国を含む国際社会に対して国際援助アピールを行った。それ以前の米国の対北朝鮮人道支援の主体は韓国系アメリカ人で、宗教的(キリスト教)理念に基づいた活動や、北朝鮮に親戚がいる人たちによる医療・農業支援が中心で、米国NGOとして組織だった支援はなされていなかった。1996年以降、北朝鮮側の国際援助アピールに応えて、米国NGOが本格的に活動を始めた。米国NGO全体の動きは以下のとおりである。

二つのネットワーク組織の設立

1.1996年春「北朝鮮ワーキング・グループ」(North Korea Working Group)の設立
米国NGO連合体「インターアクション」内に設立。発起人はインターアクション人道政策と実践局長James Bishopで、かつてソマリア大使を務めるなど、経験豊富で政府とNGOの双方にネットワークを持つ職員である。余談だが、私がインターアクションでインターンとして働いていた頃、彼が米国NGOの対北朝鮮人道支援の動きを最初に教えてくれた。当グループの設立理由として、フレイク(2003)は「米国NGOは対北朝鮮人道支援に関する情報と経験が欠如していたため、NGO同士が共有する必要があるため。」と述べている。また対外的には、米国内の政治や人道援助コミュニティに対し、北朝鮮人道支援の必要性等を理解してもらうためのアドボカシーを行うためである。

2.1997年6月 PVOC(Private Voluntary Organization Consortium)の設立
米国政府の支援も得てNGO連合が設立された。設立当初、大手の人道・開発NGOであるCRS(Catholic Relief Services)とCAREが米国国際開発庁(USAID)と契約を結び、PVOCの運営管理にあたった。また米国農務省(USDA)からも食糧支援を受けた。こうした連合組織ができる背景に、米国NGOは「飢饉を止めよう委員会」を設立し、クリントン政権や議会に対して北朝鮮人道支援を行うよう働きかけたことがある。
米国NGOにとってPVOC設立の意義は、「北朝鮮ワーキング・グループ」という内輪の集まりから一歩前進し、政府を巻き込んだ公式的な連合を設立することで、自分たちの声がアメリカ政府に届くようになり、アメリカ内外の社会に対してよりインパクトを与えられることだと考えられる。また、連合に加盟する個々のNGOにとって、連合内では規模の大小にかかわらず同等の発言権を持つことが出来、さらに役員メンバーになった場合、自分のNGOでは実現できない諸活動も連合を通じて実現可能になる。

 他方、USAIDの意図として、NGO育成の特徴にも見られるように、開発援助に関わるアクター間で、情報の共有や問題の解決を行えるようなネットワーク団体・コンソーシアムやプログラムに対してUSAIDは資金・技術協力をしている(杉原、2002)。USAIDは北朝鮮人道支援に関しても同様に、POVCに対して資金援助をしたものと思われる。

米国NGOの類型

では、どんなタイプのNGOが北朝鮮人道支援に携わっているのだろうか。フレイクによると、(1)キャンペーン型、(2)米国政府との協調型、(3)キリスト教理念重視の草の根型、の3つに類型化される。

「キャンペーン型」は、一般民衆の共感を得て募金集めを行うタイプのNGOである。一例として、元「ニューズウィーク」記者が「北朝鮮洪水救援」NGOを設立し、インターネットによるキャンペーンを行った。しかし北朝鮮側は、キャンペーンに飢えた子供たちの写真等を広報で用いられることは国際社会に恥をさらすものとして、米国NGOが行ったキャンペーンに反対してきた。

「米国政府との協調型」は、政府と協調路線を取る代わりに、政府資金や物品協力を受けるタイプのNGOで、CAREなどが挙げられる。社会主義国家の北朝鮮にとっては、NGOの概念がなかなか理解できないのに加えて、NGOと政府が協調して活動を行うことにより、NGOとは実は政府の代わりなのかと推察されることとなった。

最後の「キリスト教理念重視の草の根型」は、一般的に政治とは無関係で、小規模で地道な活動を行うことが多いため、カウンターパートである北朝鮮側の担当者と信頼関係を結ぶことも可能で、最も直接的かつ効率的で、成功を収めている。具体例として、医療支援プロジェクト等を行うThe Eugene Bell Centennial Foundation(EBCF)は草の根型の小規模NGOが好例として挙げられている。代表者が韓国・北朝鮮地域研究者で、ワシントンDCでの政治的駆け引きにも精通していることも影響しているのではないか。

なおナチオス(2002)は、アメリカ国内での北朝鮮人道援助に関わるアクターとして、韓国系アメリカ人の役割にも注目している。ただし、これはワシントンDC内の政治的駆け引きやアメリカ外交面でを重視した意見なのではないか。他方で北朝鮮は、韓国系アメリカ人を同胞と言うよりむしろ「敵国アメリカ人」とみなしている。今後、韓国系アメリカ人のアメリカ内部での位置づけを調査し、更に彼らがどうやって韓国や周辺諸国との調整を行っているのか注目する必要がある。次回コラムでは、世界のNGOの対北朝鮮支援の動きについてご紹介する。

参考文献
●L. Gordon Flake. 2003. “The Experience of U.S. NGOs in North Korea.” L. Gordon Flake and Scott Snyder (eds.). Paved with Good Intentions – The NGO Experience in North Korea. London: Praeger.
●杉原ひろみ、2002、「NGOとドナーとのパートナーシップ―米国国際開発援助庁(USAID)とNGOとのパートナーシップを事例に」、第13回国際開発学会全国大会。
http://www.developmentforum.org/Articles/NGO-Donor.pdf
●A.S.ナチオス、2002、「北朝鮮飢餓の真実」(古森義久監訳)、扶桑社、256-259頁。 

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2005年10月31日 (月)

国際社会の対北朝鮮人道・開発支援開始にいたる歴史的背景(杉原ひろみ)

(前回のコラム「開発学から見た北朝鮮人道・開発支援研究へのこだわり」)

“Open, shut them. Open, shut them. Give a little clap.”

北朝鮮と国際社会の対北朝鮮人道・開発支援の歴史を振り返ると、娘が地元のプレイグループでよく歌う童謡をつい口ずさんでしまう。1995年の大水害によって、北朝鮮は食糧支援を受けるため、国際社会に門戸を開いたかのように見えた、しかし、10年経った今年、北朝鮮は、穀物生産量の増大などを理由に、人道的支援事業を行うすべての国際機関(国際NGOも含む)に対して、今年中に撤退する旨、伝えている。この10年、北朝鮮とそれを取り巻く国際社会の間でどのような変化があったのか、開発援助の側面から簡単に振り返ってみる。

国際情勢の変化とそれに伴う北朝鮮経済の困窮化

ヨーロッパでは1989年、ベルリンの壁が崩れて東西冷戦が終結し、続く1991年にソ連が崩壊するなど、共産圏が市場主義に移行することが国際課題になった。また、中国は鄧小平の下で「改革・開放」路線が進み市場経済を取り込んでいった。その一方で、依然として北朝鮮は社会主義国家を貫き、自主的民族経済を掲げている。しかし、実際には北朝鮮は建国当初から援助漬けの状態にある「“被”援助大国」である。旧東欧各国からの援助もあったが、中ソ、特にソ連(ロシア)からの支援を多く受取り、両国からの援助が滞れば、たちまち経済が成り立たなくなるというもろさを抱えている(今村 2005)。

例えば、北朝鮮は自国の石油資源が全くなく、1980年代までソ連と中国の援助で必要な石油を得ていた。しかし、1990年代にソ連(ロシア)の経済システムが崩壊すると、対北朝鮮支援の方針や位置づけを変えてきた。そして北朝鮮が受け取るロシアからの食糧と石油の援助は激減し、それに大きく依存してきた北朝鮮産業の崩壊が始まったのである(ナチオス 2002)。中国の場合、1950年代から80年代にかけ、第三世界の支持を得るために世界各国で援助を行い、その中で北朝鮮に対して原油や石炭、食糧の援助を行っていた。しかし90年代に入ると、中国の対外援助に対する考え方が変わって援助が縮小した。さらに、92年に韓国と国交が樹立されたことに北朝鮮が抗議したため、新規の援助が一時的に中断された。

このように北朝鮮は、建国当初からソ連や中国からの援助に慢性的に依存し、国家建設を行ってきたため、1990年代以降、国際情勢の変化に伴い、両国からの援助が激減し、北朝鮮経済はかなり困窮するようになったのである。

北朝鮮の国際援助アピールと国際社会の対応

1995年8月、北朝鮮は大洪水に見舞われ、9月に西側諸国を含む国際社会に対して国際援助アピールをし、主に国連やEU、赤十字、NGOなどを通じて食糧支援を受けるようになった。具体的には、世界食糧計画(WFP)が1995年10月までに平壌事務所を開設、続いて国連児童基金(UNICEF)も平壌に事務所を開設した。他方、米国NGOの動きとして、95年秋に「北朝鮮洪水救援」NGO(North Korea Flood Relief)が、北朝鮮の洪水被害者の存在を世界に広く知らしめ、募金集めのため、インターネットによるキャンペーンを実施したのが始まりで、翌96年2月には、3つの米国NGOが北朝鮮を訪問している。このようにして、国際社会による北朝鮮への人道・開発支援が始まったのである(Flake 2003)。

次回コラムでは、米国NGOが実際に、どのように北朝鮮に対して人道支援を行うようになったのかご紹介する。

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参考文献
今村弘子、2005、「北朝鮮『虚構の経済』」、集英社新書、28-50頁。
A.S.ナチオス、2002、「北朝鮮飢餓の真実」(古森義久監訳)、扶桑社、43-52頁。 
L. Gordon Flake. 2003. “The Experience of U.S. NGOs in North Korea.” L. Gordon Flake and Scott Snyder (eds.). Paved with Good Intentions – The NGO Experience in North Korea. London: Praeger.  

2005年10月17日 (月)

開発学から見た北朝鮮人道・開発支援研究へのこだわり(杉原ひろみ)

(前回のコラム「『米国政府とNGOの対北朝鮮人道援助』を研究し始める訳」)

国際社会で北朝鮮の人道支援が取り上げられるようになったのはいつだろうか?

それを考えるとき、自身の過去10年間のこのテーマへのこだわりを思い返すとわかりやすい。1995年、大規模な水害を理由に、北朝鮮政府が国際社会に支援を求めてきたことが報道されたのは、私がロンドン大学大学院で勉強を始めた時のことだった。当時、修士論文のテーマを探していた私は、これをテーマに何か執筆できないかと、先生に相談に行ったことがある。もう10年も前の話だ。絶対的に資料がなさすぎると却下された記憶がある。当時、「工業開発」や「東アジアの奇跡」をテーマに韓国が事例として取り上げられることはあっても、北朝鮮の人道支援に着目する先生などいなかった。今でこそウォーウィック大学政治国際学部ヘーゼル・スミス教授や、USAIDナチオス長官をはじめ、多くの人が研究成果を発表しているが、1995年当時、私の調査不足もあり、英国内における研究者は、旧東ドイツの元外交官で北朝鮮赴任歴がある大学の先生ぐらいしか探し出せなかった。

翌1996年、インターン先を探してウィーンのUNIDO本部に出向き、北朝鮮の図們江地域開発の韓国人担当者と話をしたが、「実はこのプロジェクトは上手くいっていない。君にインターンとして来てもらってもすることがないよ。」と言われた。

1997年初頭、日本で国際金融機関を志す者の研修プログラムに参加し、現地研修でマニラのアジア開発銀行に行った際も「北朝鮮の人道・開発支援を語るのはまだまだ先の話だ。一つの国に固執せず、他国でのフィールド経験を積んでから北朝鮮問題を考えても遅くはない。」と言われ、以降、私は北朝鮮の人道・開発支援について追うのを止めていた。

それでも時々、北朝鮮の動向を伺い知る断片的な情報は私の元に入ってきていた。1997年から2000年までジンバブエに勤務し、全く地域を異にしていたが、98年頃だったか、北朝鮮は財政難でジンバブエの北朝鮮大使館を閉鎖した。その直前、ハラレ郊外にあるムバレ・ムシカ・マーケットにマイクロバスにて集団で乗りつけ、日用品を山盛り買いあさる北朝鮮外交官を何度も目撃したと、複数の人から聞いた。1980年代にジンバブエで仕事をしていた日本人は、「1980年代のジンバブエには沢山の北朝鮮の人が暮らしており、私が歩いていると、ジンバブエや北朝鮮の人から、おまえもNorth Koreanかと聞かれたものよ。」と言っていた。北朝鮮に医学留学していたと言うジンバブエ人にも会ったが、彼らは皆、80年代に北朝鮮に留学している。これはジンバブエに限ったことでない。タンザニア人の中にも北朝鮮留学をした人がいる。

しかし、2000年にワシントンDCという政治の街に暮らし始めてから、英国留学当時では考えられない情報が入ってくるようになった。米国NGO連合体でインターンをしていた2001年、たまたま防災訓練で一緒に階段を上り下りした彼が、実は米国NGO側を取りまとめ、米国政府との間に入って連携を取ろうとした陰のキープレイヤーの一人だった。その後、彼の紹介で、北朝鮮支援を行うNGO団体が定期的に集まる「北朝鮮ワーキング・グループ」に同席させてもらった。そうした場に居合わすことで、昔、英国で研究しようにも出来なかった北朝鮮人道・開発支援を研究したいと思うようになったのだ。

現在、私は育児中心の生活で、ワシントンDCの中心地に出かけて人に会うことなど出来ないが、育児の合間に読む本にも、彼の名前やグループの名前、そして「北朝鮮ワーキング・グループ」に参加していた当時のメンバーが、書籍や政府関連報告書に登場する。それ以外にもワシントンDCには、韓国料理を食べながら、韓国・北朝鮮をテーマにゲストがプレゼンテーションを行い、質疑応答を行うKorea Clubという場がある。そこで知り合い、気さくに話をした人も、実は専門書に登場していたりする。

こんな断片的な情報が私の元に集まっている。しかし、実際のところ、国際社会の対北朝鮮・人道・開発支援はいつ、誰が何をどれほど行ってきたのだろうか。1990年代以降、東西冷戦の終結にともない、国際社会も北朝鮮も大きく変わってきている。次回コラムでは、資料を基に時系列に追ってみる。

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